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女流とかセクシュアリティとか

原文中に引用があった場合、すでに世に出ている(定着している)日本語訳があれば、それに倣うことにしている。

ここ数日も、図書館で同じ本の違う版を3冊借り、分厚い3冊からたったひとつの文を探していた。

その本は女性作家の日記で、当時彼女は30歳前後。恋愛のこと、承認欲求のことが多く記されている。私も昔はこんな感じだったかもな、などとも思うけれど、それだけに、同族嫌悪というか、忌避したい気持ちになる。読むのがとても苦痛だったけど、2日かかってやっとお目当ての文を見つけることができた。

辛い読書だったけれど、異国で何版もの訳書が出るほどの作家であり、才気があるのはわかる。ごく自然に男女も超え、カップルも超えて愛しあい、その関係性を鋭く分析・描写している。(書かれたのは1930年代)

同年代の友だちが
「最近は恋愛したいという気も起こらない。私ってアセクシュアルかも?」
とSNSに書いていて、年齢的に恋愛のテンションじゃなくなるのはちっとも不思議じゃないのでは?と思った。

もちろん生涯恋愛するひともいるけど、年齢と共に恋愛から離れるひとは増えていくし、それは環境や気力・体力によるところが大きくて、セクシュアリティ(性的指向)とは別件では、と。

セクシュアリティを細分化、言語化して名前をつけ、自分にラベルを貼って安心しているような感じがする。先の女性作家は、自分も他人もカテゴライズすることなく、自由に愛していた。そこはすごく素敵だった。

多様な人たちが尊重しあうことは大切で、LGBTの権利が整備されていない部分なんかは当然変えていくべきだと思う。わざわざ主張しなくても、ごく自然に多様な人がいて、違いを理由に困ることなどないようになればいいのに、と思う。今は過渡期にあるのか、過剰なほど違いが強調されているように感じている。



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