ミツルくんの記憶

いつもTwitterやnoteで楽しく読ませていただいている、杉山さんの昔話マンガに、イマジナリーフレンドのエピソードがありました。

自分はイマジナリーフレンドという言葉を知らなかったのですが、これに近い感覚が、幼稚園の頃の記憶にあります。

自分は1年保育で、さらにそのうちの半分くらいは小児喘息で入退院を繰り返していたため、実質的に幼稚園に通っていたのは半年程度の短い期間でした。

それでも運動会の写真は残っていますし、親によると文化祭でマラカスを振っていたらしいので、秋ごろには元気になっていたのでしょう。

あまり通園できなかったし、引っ込み思案で無口だったので、なかなか友達をつくるきっかけが作れなかったのですが、どういう流れだったかさっぱり忘れたけど、トモくんという子とユウくんという子と仲良くなり、特にトモくんは親同士も仲良くなったのでお互いの家に行ったりしました。

あと、もうひとり、当時の自分には友達がいたはずでした。

苗字は覚えていませんが、名前はミツルくん。ミツグくんだったかもしれない。

幼稚園の休み時間、いつも階段の踊り場の窓から外を見下ろして何かしらを話していたような記憶があるのです。何を話していたかは覚えていません。ミツルくんがどんな性格だったのかも、ほとんど思い出せない。ただ、幼稚園児にしてはなんだか大人びていて、一人称は「オレ」。それだけは覚えています。

基本的にはいつも自分は、いつもトモくんとユウくんとつるんでいて、特に行動力があったユウくんについていく形だったのですが、不思議とそこにミツルくんが交ざっていた記憶がいっさいありません。というか、ミツルくんとはふたりで遊んだ記憶しかない。

わりとすぐにトモくんとユウくんと仲良くなれた気がしていたけど、本当はそれは幼稚園の最後の方の期間だけで、それまではミツルくんしか友達がいなかったのかもしれない。

階段の踊り場は動物の形(なんの動物だったかは失念)で窓がくり抜かれていて、それが好きで、ひとりでもよく、意味もなく行っていました。もしかしたら、その時に勝手に話し相手のミツルくんという子がいたのだと錯覚しているのかもしれません。

運動会の他にも幼稚園児の頃の自分の写真はいくつか残っているのですが、トモくんやユウくんが写っているものはあっても、ミツルくんと思しき人物はどこにも写っておらず、親に聞いても、そんな子を見た覚えがないと言われました。本当はいなかったのかな……。

小学校の低学年の頃、担任の先生に将来の夢を訊かれました。なぜかはわからないけど、「郵便屋さん」と答えました。

本当はドラえもんを描く人になりたいと言いたかったはずなのですが(当時は漫画家という言葉を知らなかったし、藤子・F・不二雄という字の読み方も知らなかったのだと思う)、それを上手く表現できず、ならばトミカになりたいと言おうと思ったけどそれもわけがわからないし、たぶんトミカの郵便トラックを思い出してそう言ったのではないかと分析しています(今となっては正解を確かめようがない)。

もしかしたらすでに3年生くらいで、トミカとか言うのが恥ずかしかったからごまかしただけかも。ちなみに自分は中1まで現役でトミカで遊んでいましたが何か。ところで一瞬だけミニ四駆のトミカあったの知ってる?今メル●リでけっこう高値で取り引きされていて……、いやそれはともかく。

幼稚園の担任のF先生(当たり前だけどもちろん藤子先生ではないぞ)からは、小学生になった後も何年か年賀状のやりとりがありました。それがなんとなく嬉しかったような記憶があります。

自分は幼稚園の仲間ともっと長い時間を過ごしたいと思っていて、その時の唯一の連絡手段だったハガキを取り扱う郵便屋さんに無意識に憧れていたのかもしれません。

まあそう考えると綺麗ですけど、実際は本当に何も考えずに何の意味もなく言っただけかも。先生以外の幼稚園の知り合いから年賀状が届くことはありませんでした。というかなぜF先生(ちなみにこの先生に関しては、未だにフルネームをちゃんと覚えています)は何年も年賀状を送ってくれたのだろう。その年賀状の記憶ももしかして……。

今たとえミツルくんに再会できたとしても、たぶんお互いにもう、本当に幼稚園の頃のあいつと同一人物なのかどうかわからないでしょう。

小中学校は馴染めなくて大嫌いだった自分ですが、なぜか幼稚園で嫌な記憶があまりないのですよね。

まあ小さい頃のことなので記憶の総量がそもそも少ないというのもあるし、単純に都合のいいことしか覚えていないだけということもあり得ますが、それはそれで幸せなんじゃないかと思います。

サウナはたのしい。