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天界のクリスマス

今年は世界中でウイルスが猛威を奮っていて、クリスマスだというのにどこの店も閉まり、外出は避けるように命じられ、テレビでも例年のようなお祭り騒ぎは見られない。

本当なら友人と飲み会を催す予定だったが、それもおじゃんになってしまった。

仕方なく、ひとり寂しく、缶チューハイをちびちびと飲んでいる。

空き缶や服が散乱した部屋の中に、ふと、ポケモンのイーブイのぬいぐるみが落ちているのを見つけた。いつだったかゲームセンターで手に入れたものだが、埃がかかっている。

そういえば、セイヤちゃんはイーブイが好きだったな。

セイヤちゃんとは小学校の同級生で、薄茶の髪の長い女の子だ。とても仲良しだったが、4年生のとき、クリスマスの前日に、ウイルス性の突然の病気で亡くなってしまった。

その時の僕はずっと泣いて、ウイルスなんて世界からなくなればいいと思った。

葬式で誰かが「永遠の眠り」と言っていた。その時に初めて僕は、永遠という言葉の意味を知った。

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うー……ん。

どうやら、布団に顔を埋めたまま、眠ってしまっていたらしい。缶チューハイ1本で寝落ちしてしまうとは、酒に弱くなった。

頭は特に痛くないので二日酔いは免れたようだが、なんとなく、ふわふわした感覚が残っている。

部屋を少し見渡して、うっすらと考える。

あれ?僕の部屋ってもっと、空き缶とか脱ぎ散らかした服とか、いろんな物が散乱して汚かったような。

しかし、今、目の前にある僕の部屋の床には何も落ちていない。フローリングの綺麗な床が見える。

ベッドから起き上がり、反対側に何か大きな家具が置かれているのに気づいた。これは、……なんだかずいぶん昔に見たことがあるような……、あっ、そうだ。

これは、……。学習机だ。

台にはドラゴンボールのマットが敷いてある。その上にはミニ四駆……ビークスパイダーが置いてある。本棚には教科書と国語辞典とコロコロコミック。

引き出しを、下から順に開けてみた。

学校でもらったプリントが、ぐしゃぐしゃに詰められていた。低学年の頃に使っていたクレパスとクーピーがあった。

レゴブロックのお城シリーズの幽霊の人形が転がっていた。ポケモンのサイコロ……プラコロという当時そこそこ流行っていたおもちゃも転がっていた。ビー玉で撃ち合うおもちゃのビーダマンも転がっていた。  

すべてのものに、見覚えがある。

まぎれもなく、これは小学生の頃の僕が使っていた学習机だ。 

さらに、壁に立て掛けていた鏡を見て驚いた。

僕の背丈が、明らかに低くなっている。両手を確認すると、これも明らかに小さくなっている。足のサイズも縮んでいる。  

おそるおそるパンツの中を見てみると、まだ毛が生えていない。

喉元を触ってみたら、真っ平らだった。

「あ」

声を出してみた。本来の僕の声よりもキーが高い。きっと、まだ変声期が来る前で、喉仏も出ていない。つまりのところ……。

どうやら僕は、小学生の頃の自分になってしまったようだ。

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あっけにとられていると、突然、素頓狂な声が聞こえた。

「ねえ、ちょっと、なにこれ!掃除しといてよ!」

幼い女の子の声だ。

「誰だ?どこにいる?」

部屋を見渡すが、誰もいない。いったいどこから声が聞こえているのか。その瞬間、机のいちばん下の引き出しがパカッと開き、大量に重なったプリントの山から、人が出てきた。

「学校からもらったプリントはこんなとこに仕舞わないで、ちゃんとお母さんに見せなさい!」   

プリントを振りかぶって出てきたのは、幼い女の子だった。赤い帽子に赤い服。いわゆるサンタの格好だ。小学中学年といったところか。

薄茶の髪は背中にかかり、ちょっと吊り目ぎみ。……というか、ずいぶん昔にこの人を見たことがあるような。

「…………セイヤちゃん?」 

「そうよ。セイヤ。小学生の頃にキミと同じクラスで、家も近かったセイヤ。ポケモン青バージョンを注文しに一緒にローソンに行ったセイヤ」

「…………確かに、セイヤちゃんだ。ていうか、なんで引き出しから出てきたの?」

「サンタだから」

「は?」

「いや。は?って言われても……。わたしサンタやってるの。天界では優秀な子供しかなれないんだよ、サンタ」 

「天界にいるんだ、セイヤちゃん」

「ま、死んだからね。でも面白いよ、天界。キミも来る?いいとこだよ天界。おいでやす天界」

「いや、そんな京都のお寺を巡るみたいなノリで行くのはちょっと……」

「では、サンタさんらしく、お願いを訊くね。ほしいものはなに?」

「うーん、なんだろうなあ……」

「ええっ?プレステほしいって言ってたじゃん?」

「言ってた……かなあ。20年以上前に」

「たまごっちは?ミニ四駆のコースは?デジモンは?レゴのでっかいお城は?」

「全部おもちゃじゃん。僕、大人だし」

「困ったなあ……なにかあげないと、サンタは帰れないんだよね。なんかないの?」

「………たくさんの金」

「お金とかは無理」

「………エッチなことさせてくれる人。VRでも可」

「そういうフジュンなのも無理。ていうかVRってなに?」

「………じゃあ、ないかな」

「ほんとに?ほんとにない?いい?落ち着いて探してみて。机の引き出しの奥のほうとか、ベッドの下とかも調べた?あ、ほら、こことか」

そう言ってセイヤちゃんは、机のフックに引っかかっていたランドセルを取り上げて、蓋を開けて逆さまにした。 

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ランドセルの中に入っていた教科書やノートが、部屋じゅうに散らばった。くしゃくしゃのプリントも混ざっている。

そのプリントの中から1枚を手にとって、セイヤちゃんは僕に見せつけた。枠線の引かれた400字詰めの原稿用紙で、鉛筆の汚い文字で、ぼくのしょうらいのゆめ、とだけ書かれている。

「まだ作文提出してないの?ダメでしょ、早く書かなきゃ!」

「作文……?そんなのあったっけ?」

「なに言ってんの!宿題でしょ!2学期中に提出するように言われてたじゃん!」

「えーっ、……と」

さすがに、小学4年生の2学期の宿題の内容なんて覚えていない。しかしどうやら、作文を提出しなければならなかったのに、ろくに書いていなかったらしい。

いちおうテーマは将来の夢ということらしいが……。その頃の僕の将来の夢は、なんだっただろう。

「具体的な仕事じゃなくてもいいって、先生言ってたでしょ?こんな人になりたい、とかでもいいって」

セイヤちゃんが、僕の目を見て問い詰める。

「………セイヤちゃんは、もう提出したんだっけ?」

「もちろん!」

「なんて書いたの?」
 
「教えない」

「なんでだよ」 

「笑われそうだし……」

頬を軽く掻いて、セイヤちゃんは目を伏せた。ああ、思い出した。セイヤちゃんは恥ずかしがっているとき、頬を掻く癖があった。

「……ねえ、天界、行ってみる?」 

「いや、……まだ死ぬのはちょっと……」

「天界いいとこだよ。トナカイもいるし、トナカイせんべいもあるよ。おいでよ天界」 

「いや、そんな奈良の鹿に会うみたいなノリで行くのはちょっと……」

「別に死ぬわけじゃないよ。ちょっとだけ空を飛ぶだけ」

「……う、うーん」

「ほら、つべこべ言わずに!」

セイヤちゃんは、僕の手を無理やり握った。

目の前が轟々と光って、眩暈を覚えているうちに、いつの間にか僕の身体は宙に浮いていた。

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「えっ?なにここ?地面に足ついてないんたけど!」

慌てふためく僕を見て、セイヤちゃんはゲラゲラ笑う。

「あははははっ!いかにも初心者っぽい反応!ウケるー!」

「いや、ウケるとかウケないとかじゃなくて、これ……。空、飛んでんじゃん!」

「だって、今のキミは天使だもん。12月24日中にサンタが天界に連れてった人は、もれなく天使をゲット」

「そんなメルカリのポイントみたいなノリで天使をもらうのはちょっと……」

「つべこべ言わないの!ていうかメルカリってなに?あ、ほら、あそこにうちで飼ってるトナカイがいるの。名前はイーブイ」 

セイヤちゃんが指さした先では、立派な2本の角を生やしたトナカイが、やはり宙に浮いていた。

名前はイーブイ、か。好きなポケモンから付けたんだな。石を与えたら進化するのだろうか。つぶらな瞳のトナカイは僕のほうを見て、会釈のように首を上下に振った。

セイヤちゃんは、ポケットから1枚の煎餅を取り出して、トナカイの口元に差し出した。

「ほら、イーブイ。かわいいねイーブイ」

煎餅をひと口でガブリと平らげたイーブイは、満足そうにつぶらな瞳をとろんとさせている。本当に奈良の鹿みたいだな。まあ、トナカイもシカ科だったっけ……。

などとぼんやりと思っていると、セイヤちゃんが僕の腕を無理やり引っ張って、身体ごとイーブイの背中に乗せた。

そういえば、この頃はセイヤちゃんのほうが力が強かったな。……。あ、ああ、そうだ。僕の将来の夢。それは、強い人。

職業では何も思いつかなかったし、小さい頃は気が弱かったから、強い人になりたいと書いたんだった。

心の強い人。目の前で泣いている人がいたら、助けてあげられる人。とても悲しいことがあっても、乗り越えて笑って生きられる人。 

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僕たちを乗せて、イーブイはゆっくりと足を踏み出した。

「……あの、トナカイってこんなふうに乗るものなの?橇に人を乗せて引っ張るもんなんじゃないの?」

「天界には、じかに乗るタイプのトナカイもいるの」

「はあ……」

なんだか思っていた天界とは少し違うが、景色はとても綺麗だ。

闇の中に浮かぶ、たくさんの星たち。その星たちは、次々に流れていった。やがて、だんだんと白い結晶に変わって、溶けて落ちていった。これは、冬によく見る風景。

雪だ。雪が降っている。

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空を飛びながら、僕はセイヤちゃんといろんな話をした。なにせ20年ぶりだから、積もる話がある。

ドラえもんの声が変わった。クレヨンしんちゃんの声も変わった。ポケモンは今は800種類くらいいる。ミニ四駆は今は大人がやっている。エヴァンゲリオンは完結した。

笑っていいともは終わった。猿岩石の有吉はピン芸人として再ブレイクした。アムロは引退した。滝沢くんも引退してジャニーズの幹部になった。SMAPは解散した。V6も解散した。GLAYとB'zとミスチルが合同コンサートを開いた。

セイヤちゃんは、うんうんと興味深そうに頷いて、さみしそうに笑った。

こんな風景がいつまでもつづくといいな、僕は心からそう思った。永遠。あのときに覚えた言葉。それがほしい。セイヤちゃんといる世界が、終わらないように。

「……ごめん」

会話の途中で、いきなりセイヤちゃんが泣きそうな顔になった。

「キミのほしいもの、わかっちゃった。しかもそれ、わたしが持ってるものだった」

「……なに?」 

「終わらない時間」

「うん。……それで合ってる」

「えっと……。難しい言葉だと、なんていうんだっけ?」

「……………………」

答えを知っていたけど、わざと僕は黙った。なぜか、その答えを口にすれば、セイヤちゃんが目の前から消えてしまうような気がしたから。

「でも、あげられない。それをあげたら、キミは……」  

「うん……」

僕が本当に生きているのは、セイヤちゃんのいない世界だ。

このまま願いが叶って永遠にこの時間が続けば、僕は元に戻れなくなる。      

セイヤちゃんと僕は、子供みたいに……、いや、ふたりとも子供なんだよな……、子供らしく、声を上げて泣いた。  

イーブイが頭を撫でてくれたけど、それでもずっと泣いた。セイヤちゃんが泣いているのに、僕には何もできない。強い人になりたいのに。 

泣きながら、セイヤちゃんは言った。

「わたしが作文に書いた夢……、それは、ね」

「うん」

「…………………………サンタさんみたいな、優しい人」

「うん」    

「……笑わないの?4年生にもなって、サンタさんとか、優しい人とか」

「実際に、なってるじゃん。それなら、僕の作文のほうがバカみたいだよ。強い人になりたいです、って」

「……なってるよ」

「え?」

「なってる」

「こんなに情けなくて、わんわん泣いてるのに?」

「うん。だって、一緒に泣いてくれてるもん」

セイヤちゃんは、頬を軽く掻いた。

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うー……ん。

いつから眠っていたのだろう。なんだか、懐かしい夢を見ていたような気もするけど……とぼんやり思っていると、足下にポケモンのイーブイのぬいぐるみが落ちているのを見つけた。

いつ手に入れたのかも忘れてしまったものだが、埃がかかっていたのを綺麗に拭いて、ベッドの棚に座らせた。何が僕をそうさせたのかはわからないけど、たぶん寝ぼけていたのだろう。

そういえば、棚の引き出しも随分と長いあいだ整理していないな。もしかしたら引き出しから、誰かが出てくるかも……。いや、そんな妄想をしてもしょうがないよな。小学生じゃないんだから。

テレビを点けると、アイドルの女の子が、クリスマスの歌を踊っていた。薄茶の長い髪で、まだ小学4年生なのだという。

なんだか、僕が子供の頃に仲の良かったセイヤちゃんに似ているな。もしかして、生まれ変わりかな。最近はポケモンにハマっていて、イーブイがお気に入りらしい。

今夜は、友人と飲み会の約束をしている。まだ少し早いけど、外に出た。街はどこもクリスマスのデコレーションで彩られているし、店はどこも賑わっている。

空の上には、気の早い星が出ていた。あっちでは、ひと足さきにクリスマスパーティーをやっているのかもしれない。

雪が目の前にちらっと揺れた。空から誰かの声が聞こえたような気がしたけど、誰の声だろう。もしかして、サンタさんかな。





サウナはたのしい。