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アーアーのトラウマ

あまり好きな人はいないとは思うのですが、歯医者さんがあまり好きではありません。

お陰様で、ここ数年は特にお世話になっておらず、お世話になった回数そのものもそんなに多くはないのですが、できることなら生涯ずっと関わらずにいたいもの……。

痛いからとか、口の中を弄られる感覚が気持ち悪いというのはもちろんあるのですが、それ以前に、口を開けたままで長い時間いるというのが、本当に辛いのです。

自分は口の開きが人よりもかなり小さいらしく、顎が外れそうになってしまうという体質の問題があるらしい。

かつて治療してくれた先生にも「ここまでのはなかなかないわ」というお墨付きを頂き、「できるだけ早めにやるわな」と気を遣われる始末。申し訳ないと思いつつ、開かないものは開かないのだから仕方がない。

どの成長の過程でこうなったのかはわかりませんが、覚えている限りでは、小学2年生の頃にはすでに、人前で大口を開けるというのが本気で嫌でした。

音楽の時間、みんな大きな声で歌うようにと担任の先生に指導されたのですが、そこでの課題曲が『あくびが出るよ』という歌。

ただひたすらに、「アーアーアーアー」と繰り返す童謡です。アーアーと無限に歌います。

これにはちゃんと意味があって、ひたすらアーアー歌うことによって喉を開くのが目的で、実際の声楽家の方の発声練習にも使われていたりするそうですが、まだ7歳の自分は、もちろんそんなことは知りませんでした。

なので、教室じゅうの40名くらいの児童たちが全員、こぞって大きな口を開けてアーアー歌っていたのが、正直なところ、なんだかだんだん怖くなってきてしまいました。

そしてある時に、自分は途中で歌うのを放棄。アーアーの暗示にかけられて、自我を見失ってしまいそうだったのです。

当然ながら先生に「ちゃんと歌いなさい」と怒られるのですが、このひたすらアーアー歌う、カルト宗教くさい雰囲気に耐えられない。

当時はカルトという単語も世の中に宗教というものがあることも知らないわけで、先生にも理由を説明しようがない。

「みんながアーアー言っててこわい」としか言いようがないけど、それだと何いってんだこの子としか思われないだろう……。

それに増して、この時の担任の先生がわりとキツめで、児童に対して思っていたことをはっきり言う先生でした。子供が相手でも容赦なく、もっと早くしなさいとか、もっとハキハキ話しなさいとか、きっぱり指摘するのです。

その前の先生が甘々で、授業中にケンカが勃発するなど学級崩壊ぎみになっていたため、あえて厳しい先生を投入したのではないかと後で親から聞かされたのですが、このキツめの先生が担任でなければ、自分はあの時にアーアーの悩みを打ち明けられたかもしれません。

幼少の砌のトラウマは、音楽の授業と関係のないところにも影響を及ぼしており、食べる時に口を開けながら噛む人、つまりクチャラーを見るのも、子供の頃からすでに苦痛でした。それを見るのがどんな時かといえば、そう、給食の時間です。

40人もいたら、そりゃあ、その中にはクチャラーも存在するわけですよ。うちの学校では、同じ班の人どうしで給食を食べるのがルールでしたが、班にクチャラーがいたら、しばらくはそれに耐えなければならない。

なので、自分は給食の時間は基本的に他人と喋りませんでした。そもそもが友達の少ないおとなしい子供で、わりと無口だったので、食事中に喋らなくても、特に気に留められなかったのは幸いなことでした。

今でも、自分は他人と会食する際に、基本的にはできるだけ相手が食べている姿を見ないようにします。別にクチャらなくても、口を開けて食べ物を放り込む瞬間も見たくないのです。

グルメ番組で出演者が大口を開けているところをアップにされたら、そこだけさっと目を逸らす。

なので、自分は恋人と「あーん」は絶対にしません。あれの何が楽しいのかわからない。

「あーん」する暇があったら、食事を中断してもっと違うこと(詳細は伏せる)がしたい。

中学生の頃、酔っ払ったオトンに「あーん」をやられた時は「マジでやめてくれ」とキレてしまいました。オトンはしょぼんとしていた。あれは申し訳なかった。でもダメなのです。「あーん」はダメ。

ようやっと例のアレも落ち着いてきて、外食も心置きなくできるようになってきましたが、他人が口を開けるのを見ないスキルを、再び鍛え直さないと……。


サウナはたのしい。