短編小説 海が、光る



 渚は走った。海沿いの歩道は潮の香りがして半袖の腕を舐めるように風が吹く。今日、決まった。夏休みの展覧会に渚の絵が出品される。この嬉しさを隠せなかった。一番に伝えたい!病院に早く着きたかった。
「なぎさくーん、待ってー」
 後ろから由奈の声が聞こえる。今日は一緒に帰らないって言ったはずだ。のんびりした声が息を切らしてついてくる。渚は舌打ちすると立ち止まり、由奈が追いつくのを待った。
「なんだよ、待つなって言ったろ」
「だってえ」
 由奈は胸を上下させ、立っていられないのか渚の腕を遠慮がちに掴んだ。
「帰りたかったんだもん」
「一人で帰るつもりだったのに」
「一緒に帰ろうよ」
 由奈は息を整え、渚の腕を離すと二、三咳込んだ。ジュース飲んでこ、と言われるのが怖くて渚は歩き始める。由奈は少し後ろをゆっくりついてくる。渚はイライラしながら由奈に歩調を合わせる。
「おばさん、喜ぶね」
 おばさんというのは渚の母親だ。思わず笑みがこぼれるが渚は平静を装いどうだろうな、と呟いた。
「この後行くの?病院」
「そう」
「わたしも行こうかなあ」
「なんでお前が来るんだよ」
「何人いたっていいじゃない」
 渚は由奈を睨みつける。由奈は口を尖らせる。
「来るなよ」
「けちね」
「なんでも来るな」
 今日、渚は母親を独り占めしたいくらいなのだ。嬉しい土産話があればきっと母親は喜んでくれる。そして少しづつ快方に向かうはずだ。暗いが清潔な病院の部屋で母親が顔を上気させる想像をする。渚はたまらなかった。早く撫でて欲しかった。母親のいない家は寂しい。
「おばさん、具合はどう?」
「まぁ一緒。毎回一緒」
「そうなんだ、早く帰ってくるといいねえ」
「病気、治ってな」
「またうちのお母さんが夕飯食べにおいでって言ってた」
「そのうちな、今日は病院行く」
「じゃあ今日は駅までだね」
 駅まで行くと少し由奈の家を過ぎる。
「いいよ、家までで」
「ヤダ、駅まで行きたい」
「……別に、いいけど」
「あ、待って。ジュース買う」
 由奈は自販機で立ち止まるとスポーツドリンクを二本買った。やはり喉が渇いていたのかと思ったが、由奈は二本とも渚に渡した。
「お見舞い。おばさんと飲んで」
「おう……」
 由奈は再び歩き出す。渚は追い越すように由奈の後から歩く。礼を言いそびれてしまう。二人は黙って駅まで歩く。
 渚は駅に着く前にSuicaを鞄から取り出す。ついでにジュースを仕舞うと由奈を振り返りながら歩く。由奈は下を向いていた。
 渚は前を向き、じゃあなと呟くと振り返るのはやめて走り改札をくぐった。

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