短編小説 初めての子供



 美雨は可愛い。眠っている時のふわふわとした髪の毛もそうだし、舌足らずで正悟を呼ぶのも可愛い。少し重くなってきたが、抱えられないというほどではない。むっちりとした腕、すべすべの足、幼児特有の頬の膨らみ。
 ただ、好きなのかと問われれば首を傾げざるを得ない。正悟は大きな声が嫌いで、美雨は泣くしかできないのだ。
 この一点だけで、全てが台無しになるほど美雨の泣き声は大きい。しかも幼児とはいえ女なのだ。少し気にいらないと泣き出すなんて訳がわからない。癇癪を起こす美雨は最悪だ。

 だから正悟は美雨にあまり会わないようにしている。世話は母親である美陽に任せている。女同士の方がいいだろうといういいかげんな理由を見付けてからは働く事に専念出来ている。
 今日もそうだ。残業と称して帰路についたのは九時を過ぎた頃だった。夕飯は要らない。それが美陽に対する良心だった。
 家に着くと美雨は美陽と寝ていた。少しほっとして起こさないよう静かに歩き、風呂を済ませた。
 夜のビールの缶を開けたとき、美陽が起きてきた。
「起こしちゃった?」
「寝ちゃってた」
 美陽は正悟と同じテーブルに着くとじっとビールの缶を眺める。
「飲めば?」
「おっぱいあげてるからやめとく」
「ミルクにすれば?」
「胸張ってきちゃうし、やめとく」
 そう、と正悟が返すとやはり美陽はビールをじっと見る。飲みづらくなりつまみを探す程で席を立つ。美陽は妊娠中からずっと酒を絶っている。やはり母性というのは違うな、と正悟は思う。美陽とバーに行ったりして一緒に酒を飲みながら話す時間は楽しかった。正悟の蘊蓄をにこにこと聞く美陽は可愛らしかった。
 可愛らしい美陽との間に産まれた美雨は可愛らしい。でも、正悟はあの泣き声に耐える事が出来ない。小さなため息をつく。すると美陽は泣きそうな顔で「お疲れ様」と言った。違う、と言い出せず正悟は立ち上がる。
「美雨を見てくるよ」
 寝ている美雨なら大丈夫。そうだ大丈夫だと正悟は寝室へ向かう。

 美雨は眠っていた。美雨は可愛い。ふわふわとした髪の毛、むっちりとした腕、すべすべの足、幼児特有の頬の膨らみ。唇を窄めて動かす様も愛らしい。
 正悟は起こさないようにそっと美雨の髪の毛に触れた。どうして泣くんだろう。泣かなければ君と仲良くなれるのに。正悟は息をついた。美雨は答えない。答えられる訳がないのだ。正悟はひとしきり美雨を眺めた後、美陽のいる居間へと戻った。

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