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ケチの遺伝子【忘れ去られた自己肯定感】 3



美鈴3


私は、高校まで行かせてもらった。
商業高校だ。
通学に自転車で40分かかる。
私はこの時間が好きだった。

歌を歌ったり、ドラマの感想をあれこれ言ってみたり、クラスメイトの真似をしてみたり……
好き勝手なことを言っても、風が全部消してくれる、そんな気がしていた。

考えてみたら、この頃から独り言が頭の中でぐるぐる巡っていたのかもしれない。


それなのに、学校でのことはあまり記憶がない。
ここでも透明人間だったようだ。

中学もそうだったが、
高校の制服も誰かのお下がりで、
体の小さい私にはいつまでもブカブカだった。

勉強はよく分からなかった。
朝学校に行って、終わったら帰る、
ただそれだけの日々だった。

誰かと話したり、
授業中にあてられたり、
そんなのほとんどなかったなぁー

カッコいいなと思う先輩が居たけど、
私なんかが見ていたら迷惑だろうと、見るのをやめた。

学校から帰ったら洗濯を取り込んで、
畳んで、ご飯を作って食べて寝る……
寝ていたらお母さんが帰ってきて、
私が作ったご飯を食べる。
お母さんが食べてるのを見て、
やっと安心して寝ていた。
そして朝、学校に行く、
ただそれだけだった。
小学生の頃から、ずっとこんな日々だった。

学校では、掃除は頑張っていた。
小学校の時も中学でも高校でも……

掃除は好きだったし、
そのくらいしか私にはできなかったから
頑張ってやっていた。

私を時々呼ぶ人がいて、その時は大抵トイレが汚れていたり、誰かが吐いたり……掃除が必要な時だった。

それでも、私は呼ばれた事が嬉しくて、
一生懸命掃除をしていた。
そんな、数少ない機会が巡ってくる時は決まって
「あー、透明人間じゃなかった」と思ってホッとしていた。



高校を卒業した後は、事務の仕事についた。
小さな会社の事務所だ。
そこは家族経営の会社で、
事務所の奥には社長さんと社長さんの奥さんと、甥っ子の誠二さんの机があった。

他に事務員の杉本さんと言う女性がいて、杉本さんは苗字が違うので親族じゃ無いと言う事だった。
杉本さんはもう三十年勤めているらしい。
いろいろ仕事を教えてくれた。

私は働くことをとても楽しみにしていた。
高校の先生が、
「将来のために簿記だけは受かっておけよ」
と言ったので、それだけは頑張って取った。
だからこの会社に入れてもらえたんだと思っている。

面接の時に思いの外、大きな声を出してしまって自分でもびっくりした。
面接練習の時にはいつも、
「声が小さい」「声が小さい」とばかり言われていたから、本当に驚いた。
前に受けたところは落ちたから、
ここしかもう無いって思っていて、
あんな大きな声が出たのかもしれない。

会社の社長さんには感謝している。
私みたいなのを雇ってくれて、
本当にありがたかった。

だから、仕事頑張ろうと思って頑張った。

杉本さんから朝早く来て掃除を済ませておいて、と初日に言われた。

朝8時から仕事だったので、
翌日から7時に会社に行った。

会社のビルの3階に社長の自宅があって、
朝7時に事務所の鍵を貰いに行ったら社長の奥さんに驚かれた。

その日は、書類の場所が違うとか、
小銭がなくなってるとか、
私が掃除した影響がいろいろあって、
事務所がざわついていた。

「あーもう辞めさせられる」と思っていた。
社長の奥さんも、私が7時に鍵を取りに来たことに怒っていて、杉本さんに宥められていた。
小銭は社長の甥っ子さんの机から無くなったと騒ぎになったが、数えたら結局、無くなっていなかった事がわかり、事なきを得た。

騒ぎがひと段落した頃、
社長さんが出社してきた。
社長さんは、朝ウォーキングをしてから出社する。
騒ぎの内容を奥さんが早口で、伝えた。

私はもう辞めさせられると思って、
その言葉が来る覚悟をして下を向き、目を瞑っていた。


つづく




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