[創作童話] 月食がくれた宝物



「にぶんのいち割る、ごぶんのさんは……割り算だから、えーっと、分母と分子を、逆にして? ……ああもう、めんどくさいなあ!」
 その日の復習をしていたタケルは、フクザツカイキな計算問題への不満がついに爆発した。
「もうやめた、やめやめ」
 タケルはシャーペンを放り投げると、思いきりベッドに飛び込み顔を枕に押しつけた。
「タケルくんって、もっと勉強できると思ってた」
 どこからか、がっかりしたアキコの声が聞こえてきて、タケルの頭をギューッと締めつけた。
 今日、テストが返ってきた。結果は63点。タケルにとっては良くも悪くもなくいつも通りだったが、「毎日ちゃんと宿題をやってくる優等生」と思っていたアキコにとってはショックだった。タケルは言い返したかったが、63点という平凡な点数をみればみるほどみじめな思いがしてきて、こんな点数しかとれない自分が悪いとさえ思えてしまい、結局なにも言えなかった。
 そんなことがあり、今夜は宿題を終わらせたあともめずらしく机に向かっていたのだが、わからないことだらけで嫌になってしまった。そもそもタケルは勉強が好きではない。なんのために覚えなきゃいけないのか、やらされている感じがとても窮屈で嫌だった。今夜も、みじめな思いはしたくないという気持ちに動かされているだけだった。やるのは宿題だけ。やっていかないと、みんなの前で担任の大迫先生に雷を落とされる。それがたまらなく嫌で、しかたなくやる、ただそれだけだった。
「ほんとだったらゲームしたりしてたのになあ」
 のそのそとベッドから降りると、タケルはカーテンを開けた。夜空には雲ひとつなく、きれいな満月がやさしく光っていた。ぼんやりと見ているうちに、月に住むウサギたちがとても楽しそうに見えてきた。
「ぺったん、ぺったん、えーんやこりゃ、ぺったん、ぺったん、えーんやこりゃ」
 ウサギたちのお餅をつく楽しげな掛け声に、タケルもだんだん愉快な気持ちになってきた。フクザツカイキな計算問題は舞台袖に引っ込み、タケルはウサギたちと一緒に舞台の真ん中で楽しく餅をついて遊んだ。
「あれ、なんかおかしい」
 タケルはハッと我に返った。さっきまでまん丸だった月が欠けている。目をこすってもう一度よく見てみるが間違いない。
「なんか、なんか起こってる!」
 タケルは俄然わくわくしてきた。急いで双眼鏡を手にし、都合良く机の上に開いていたノートに、欠けている様をスケッチし始めた。描いているうちにも月はどんどん欠けていく。タケルは5分ごとに変化を描きとめようと思いついた。欠けていく月はやがて真っ暗になり、また現れ始めた。タケルは眠気も忘れてスケッチし続けた。満月に戻った頃にはすっかり真夜中になっていた。
「やった……」
 タケルは完成させたスケッチを見て満面の笑みを浮かべた。月の満ち欠けの様が数十個と描かれたノートを何度も何度も見返し、新聞屋さんのバイクの音を耳にして、ようやくベッドに入った。

 次の日、タケルは朝一番で図書室に駆け込んだ。きのう見たものは月食という天体現象だとネットで知り、もっと詳しく知りたくなったのだ。図鑑を広げたタケルの目に、大きくて鮮明な月食の写真がたくさん飛び込んできた。他にも、月食の仕組み、周期、世界各地の伝説などがあり、どれもタケルを夢中にさせた。次のページをめくると、月と地球と太陽の位置を示した図と一緒に、見たこともない計算式が出てきた。
「分数の割り算よりフクザツカイキだ……」
 タケルはしばらく目が離せなかった。
 ふと、この図鑑に載っていることを全部自分のものにしたいと思いついた。タケルは、月食をスケッチしたノートに気になったところを片っ端からまとめ始めた。フクザツカイキな計算式も間違えないように慎重に書き写した。まとめ終わると、そのノートが自分だけの宝物になったような気がして、大事にカバンにしまうのだった。

「ねえ、それ落書き?」
 算数の時間、となりの席からタケルのノートをのぞいたアキコが茶化すように話しかけてきた。
「うるせさいな、なんだっていいだろ」
「見せて見せて」
「あ!」
 タケルはノートをひったくられた。返せ! ケチ! などとやっているとすぐに大迫先生の雷が落ちた。カッカッと甲高い靴音で足早にやってきた先生は、原因となったタケルのノートを取り上げてしまった。
 タケルはドキリとした。算数と関係ないことを描くなと怒られるかな、全部消せって言われるかも、そうなったら言わなきゃ、これは宝物なんだって。タケルは先生を注意して見た。
 大迫先生はノートをじっと見ていた。そして「タケルくん」と厳粛な声を発した。タケルはすかさず起立した。
「これ、タケルくんが書いたの? ひとりで?」
「はい。自分ちと図書室で」
 タケルは手短に答えた。クラスのみんなはどんな雷が落ちるか、怖さ半分、興味半分で息を潜めている。
「きのう、先生も見ましたよ。とてもすてきでしたね」
 大迫先生は朗らかに笑った。予想外の反応にクラスはどよめき、なによりタケルが一番ビックリした。こんなにも柔らかい顔をした大迫先生を見たことがなかった。
「まだ授業でやってないのに、すごいですね。次の皆既月食は4年後だそうです。楽しみですね」
「はい……」
 先生からの慣れない言葉にタケルはなぜだか恥ずかしくなり、思わず目をそらしてしまった。先生はノートを丁寧にタケルに返すと算数の授業に戻った。すかさずアキコが話しかけてきた。
「やっぱ勉強できるんだね」
「まあな」
 勉強ができるのとは違う気がしたが、動揺おさまらないタケルはとりあえずそう応えてやりすごした。そうとは知らないアキコは、その日はずっとご機嫌だった。
「4年後か……」
 そのとき自分はどんな風になっているだろう。タケルにはあまりも先のことで想像がつかなかった。先のことはわからないが、まずは、途中になっているフクザツカイキな分数の割り算をやろうと思った。それから、先生から丁寧に渡してもらったノートをいつまでも大切にしようと思った。そして、4年後もこのノートに月食の様子を描こうと心に決めるのだった。

(おしまい)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?