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小さいシルバニアと役に立つ機関車

末っ子のお誕生日だった。
末っ子は3月生まれだから、小さいころからお友達のお誕生日を見送る1年を送っている。
学年が上がるたび、みんながお姉さんお兄さんになるのを見続けているせいか、きょうだいの誰よりも「おたんじょうび」を楽しみにしている。

何日も前から「あと〇日でお誕生日だ~」と恍惚とした表情で呟いていて、前日には「明日の朝起きたら一番最初は、お誕生日おめでとう、って言ってね」と私と夫に伝えてから眠りについた。

迎えた当日、朝からドレスを出すよう末っ子から命を受けた。
彼女の中に祝われる者としての自覚がみなぎっている。

「やっと、みんなと同じ7歳か……」

満足げに7歳を嚙みしめて、すこし大人の表情を浮かべていた。束の間の「みんなと同じ7歳」を飽きるほど噛みしめていてほしい。
なぜななら、あとふた月もすれば仲良しのレンちゃんとしーちゃんが8歳になって末っ子はまた現実を受け止める必要がある。
毎年、仲良しの彼らが歳をひとつ重ねるたびに、1年間焦がれたものがたったふた月で散る切なさをほんの少しだけ感じる。
あと20年もしたらきっと早生まれでちょっぴり得した気分を味わうから、そのときを楽しみにするがいい。

夕飯は末っ子のリクエストで回転ずし。
我が家ははま寿司贔屓なので、はま寿司へ。
レジ前のガチャガチャをやりたがる末っ子をなだめて帰宅すると、長女にこっそり買ってもらったらしいガチャガチャを見せてきた。
長女からのお誕生日プレゼントらしい。
やややややさしいな!!!!長女!!!!!!

「ほら、ごはんの前に100均行けない?って訊いたでしょ。プレゼントを買いたかったの。時間がなくて行けなかったから」

眩しい笑顔。天使なのかな。私からほんとうに産まれたのかな。お母さん、妹をひたすらにいじめた記憶しかないのだよ。
善良すぎて心がざんざん洗われる。


帰宅したら自宅の飾りつけをみんなでやった。
とにかくお誕生日に強めの情熱を抱いている末っ子は、家族のお誕生日に毎回それは張り切って飾りつけをするのだ。
なのに、末っ子のお誕生日に飾りつけをしないとかちょっと許されない。
もちろん末っ子が指揮をとり、みんなせっせと折り紙でわっかを作ったり、キラキラを壁に飾ったり、でっかい「7」の数字を壁に貼ったりした。


ケーキはリクエストのニャオハのケーキ。
箱を開けた瞬間に飛び込んだニャオハはいささかおじいちゃんパティシエの画力の限界を感じるものではあったけれど、愛嬌があってこれはこれでかわいい。

ニャオハの色してればだいたいニャオハになるという学びとともにローソクを刺す。

電気を消して、長女がピアノを弾いて、ハッピーバースデーを歌ってろうそくをふき消した。
こんなのあと何年できるんだろう。
いつまでみんな歌ってくれるだろうか。
淵にローソクがあしらわれたバースデー眼鏡をかけた楽しそうな彼らがまるで幸せの象徴みたいで眩しい。

プレゼントは、シルバニアの「ひみつのおうち」とシルバニアの小物を少し。末っ子はシルバニアがものすごく好きだ。
家で一番小さいひとが、小さな小さなシルバニアを並べている。
自分より小さきものを愛でたい気持ちというのはどこか本能的でもあるなぁ、と思う。

食後、「プレゼントを買ってあげられなかったし、飾りつけもあんまり手伝えなかった」としゅんとした息子が片づけを率先して手伝ってくれた。
夫がいいよいいよと制するので、

「我々はみんな【役に立つ機関車】になりたいんだよ、分かるか」

と諭した。

【役に立つ機関車】とは息子がかつて愛してやまなかった機関車トーマスに何度も出てきた文言で、彼らはみな【役に立つ機関車】でいることがすべての目的だった。

大人になるとみんな少しはなにかの役に立つものだから忘れてしまうけれど、基本的に与えられることが身の上である子どもたちは、私たちが思うよりはるかに【役に立つ機関車】でいたい気持ちは満ちているのかもしれない。

という話をしたけど夫はたぶん聞いていなかった。別にかまわない。


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骨を折りまくった役員仕事の辟易詰め合わせです。



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