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怪談百物語#1 面影

入院していた祖父の退院が近付いた頃の話だ。


私が小学生だったころ、よく祖父のお見舞いに行っていた。
祖父が入院した理由は覚えていない。
重い病を患ったのだろう。
というのも当時、両親が相当バタバタしていたから。
幼い私は早く祖父に帰ってきてほしい。
病名や病状も、何も知らずにそう思っていた。


退院の準備で忙しくなったある日、父が遊んでくれなくなった。
休日でもバタバタと退院の準備する両親を見ていると、寂しさと共に不安を感じた。
私のことを誰も見てくれなくなるんじゃないか。そう思うと、家にいることが居心地悪く感じただした。


その次の日も両親は忙しそうに退院の準備をしていた。
そんな両親を尻目に、私は祖父のお見舞いに向かった。
外は暑く天気も晴れていた。日焼けしないように気をつけなさい、と母に言われて帽子をかぶる。
入院していた祖父は急なお見舞いでも、いつも笑顔で迎えてくれた。
「ようひとりで来れたな。ありがとうな。」
ひとりでお見舞いに行った私に、祖父はにっこりとそう言って喜んでくれた。


しばらくすると回診の先生がきて、祖父と和気あいあいと話している。
ベッドの脇にある椅子に座りながら、私も話を聞く。
わかりやすく噛み砕いてくれた内容でも、小学生の頭には難しい。


かろうじてわかるのは、術後の状態は良いこと。
「君のおじいちゃんは、若い子よりも回復が早いんだよ。」と先生は言った。
そんなことないでしょ、と祖父が少し照れながら返していた。
「言い過ぎだよなあ。」
そう言って私に向けた顔は、どこか自慢げに見えた。



先生が病室を出ると同時に、看護師さんが来た。
「ちょっと時間がかかるから、これでおかしでも食べておいで。」
祖父がくれたおこづかいは500円。
小学生には大金だ。
思わず心が弾む。
「ありがとう、いってきます!」元気よく言って病室を出る。
廊下を早歩きでエレベーターに向かう。
待つ時間もわくわくしながら、1Fの売店へ向かった。


普段買う駄菓子とは違う重みを手に、エレベーターが来るのを待つ。
祖父の病室は何階だったか。
ど忘れしてしまった。
誰に聞けばいいのかもわからない。
何も言わずに家に帰ると、祖父は心配するだろう。
困った私は高い階に昇って、一階ずつ降りて見て回ることにした。
階段なら、エレベーターを使う人にも迷惑かけないだろう。
知らない階に行くのは少しワクワクした。
お菓子は非常食だ。なんて冒険者ぶりながら、私はエレベーターに乗り込んだ。



廊下をくるっと回って下の階へ。
ひとつ、ふたつ。
少し疲れながら、またひとつ。
下の階へ降りて廊下に出る。
少し暗い。さっきの階は眩しいくらい明るかったのに。
窓の外も曇りみたいに暗い。
もしかするともう二度と祖父には会えないんじゃないか。
理由のない不安を、かき消すように足を進めた。


長い廊下。
手に持つお菓子が、ただの荷物になったように気分を落とす。
祖父の病室があるとすればあそこ。角を曲がってすぐの病室。
重い気分のまま歩いていく。
角の向こうに影が見える。
誰か来た。少しずつ、姿が見える。
暗い影が人型を成していた。
私は振り向いて、階段まで走った。
一段飛ばしで着いた先には、見覚えのある廊下と病室が並ぶ。
白い壁と眩しい電灯。
祖父の病室のある階はここだとそう感じた。


汗だくで戻ってきた私を、祖父は笑顔で迎えてくれた。
運動室に寄ってきたのか?無理はするな、と労ってくれる。
私は何も言えず、そろそろ帰るね。と病室を出た。
「もうすぐ家、帰るからな。またなあ。」
見送るときも祖父はにっこりとほほ笑んでいた。
似ても似つかない朗らかな雰囲気。
それでもどこか、あの影と同じように見えて。
私は急いで病院から離れた。


その後、祖父は家に帰ることなく亡くなりました。
両親は祖父の死について語りたがりません。
死因は老衰だとだけ聞いています。

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