怪談百物語#19 コーヒー
夕食の準備をしていると、学生時代の友人からメールが届いた。
この友人とは卒業後も頻繁に会って遊ぶ仲だ。
「またお誘いか。先週のボルダリングきつかったからなあ。」
次も体動かすのだったら断るか。
日曜に行ったボルダリング体験は、たった1時間だというのに今も背中の筋肉が突っ張っている気がする。
まあ、あいつの誘いなら何でもいいか。
長年の付き合いがある。
少しくらいの無理なら付き合おう。
ケトルからお湯を注ぐ。
できあがるのを待っている間に、届いたメールを開く。
「おつかれー。今日帰りの駅で同級生と会ったんだ。誰かって?お前も知ってるんじゃないかな。
空手部のあいつだよ。少し話すとさ、何かお前に会いたいって言んだよ。連絡先教えてもいいか?」
「ん?どういうこと?」
そんなに仲が良かった記憶はないが。急に何だ?
半分疑心暗鬼になりながらスマホを触る。あと1分。
「宗教かネズミ講の勧誘じゃないだろうな。」
「ありえる。まあ1回会ってみてくれよ。何か面白いことがあったら教えてくれ。」
こいつは遊び半分、ふざけやがって。
「わかった。会うから送っといて。」
連絡先を教えるよう伝えると、知らないアドレスから短いメールが届く。
待ち合わせは3日後の19時、高校の最寄り駅から近い喫茶店に決まった。
懐かしいな。昔、よく放課後にお世話になった店だ。
了解の返信をして連絡を終える。
あー、次いつ遊ぶか決めてなかったな。また今度でいいか。
少し伸びたカップ麺を食べてその日は休んだ。
――カラン、カラン
3日後、仕事が早く終わったので少し早めに店に着いた。
席はあまり埋まっていないようだ。時間が時間だからな。
店の時計を見ると18時45分。腹、減ったなあ。
しかし軽食を頼むには時間がなさそうだ。
仕方がないのでコーヒーを頼んだ。
この店では初めての経験だ。
いつもオレンジジュースを頼んでいたあの頃を思い出す。
窓から見える町並みも、変わりがなさそうだ。
懐かしい。
「お待たせ。久しぶりだね、元気してた?」
振り向くと店長がコーヒーを置くところだった。
「覚えていてくれたんですか。」
「そりゃ覚えてるさ。うちの自慢のコーヒーを、いつか飲んでみて欲しいと思っていたからね。」
あはは、と笑いながら店長は言う。
顔を厚くしながら「ありがとうございます。」と礼を述べる。
これだから地元は、と嬉しくもあり気恥ずかしい気持ちになる。
「ごゆっくりどうぞ。」
変わらない挨拶。テーブルのコーヒーに視線を移す。
自慢だというコーヒーの、良い香りを漂わせる高そうなカップと、おそろいのソーサー。
その上に2本のスティックシュガーとスプーンが載っている。
子ども扱いしやがって、とスティックシュガーを1本だけ使う。
カチャカチャとカップを混ぜながら、空いた左手で窓側に置かれたミルクを取る。
俺はミルクの混ざっていく時間が好きだ。
少しずつコーヒーの熱に翻弄されて、徐々に一つになっていく過程。
様々な模様を象る。
渦、花、蝶、星。
そして、人の顔?
女性の顔が浮かび続けるコーヒーを呆然と眺めていると、目の端に動くものが見えた。
窓の外を見ると男性がこちらに手を振っていた。
彼が今日の待ち合わせ相手だ。
――カラン、カラン
いらっしゃい。ドアの開く音と店長の声が静かな店内に響く。
いつの間にか俺以外の客は帰っていたらしい。
「久しぶりだね、突然呼び出してごめんよ。」
ずいぶん待たせてしまったようだね、とテーブルのカップを見て申し訳なさそうに頭を下げる。
その姿は記憶の彼よりも、かなり痩せているように見えた。
「いや、全然構わないよ。まだひと口も飲んでないしね。それで今日はどうした?買い物や宗教だったらお断りだけど。」
笑いながら冗談めかして伝えると
「違う違う、ちょっと伝えたいことがあってさ。」と彼も笑いながら席に着いた。
メニューも見ずに「僕もコーヒーを。」とマスターに頼む。
こいつ、できるな。
そんな冗談を考えているとは知ってか知らずか、朗らかな表情で彼が話し始める。
「このあとちょっとついてきて欲しい場所があるんだ。時間は取らせないからさ。夕食はちょっと待ってもらうことになるけど。」
「それは困る。腹も減ってるし、明日も仕事だ。遅くなると体に響くからなあ。」
肩を軽く回しながら告げる。
まったく、先週の疲れがまだ取れていないのに。
それについてなんだけど、とストレートのコーヒーに口をつける。
「一緒に来てくれれば何とかなると思うよ。法に肥えた尊重はつまり莫大な研究から繋げるからね。」
やはり何かの勧誘かといぶかしんでいると、突然、言葉の意味が分からなくなった。
なんだこいつ。おかしいんじゃないか。
来るんじゃなかった。
腹も減っているからか、こんなちょっとしたことでイライラする。
伝票を手に席を立とうとするが、その途端ガッと腕を掴まれて止められる。
イラつきながら彼の顔を見ると、笑顔で話し続ける彼の目が少しも笑っていないことに気付いた。
「金剛の由来は得てして招来の吟じる転々として救うとぽちてもよ。」
とぽちてもよ?
一際浮いた言葉に気が抜ける。
「とぽちてもよ?」口に出してしまった。
あっ、と思う間もなくバランスを崩して、ストンと席に戻される。
引かれていた腕をパッと離した彼は、ほっとしたように胸を撫でおろしていた。
「いや、ここは僕が出すよ。誘ったのはこっちだからね。」
固まった手からスッと伝票を抜き取ると、満面の笑みでカウンターに向かっていく。
「よかったよかった。」と呟きながら去っていく背中を、俺は座ったまま見送った。
何だったんだ?聞きたいことがいくつも浮かぶ。
しかし、あの奇妙な言葉を話した相手に声をかける勇気はなかった。
――カラン、カラン
彼が店を出ると、店内には俺とマスターだけが残された。
所在投げにテーブルのコーヒーを見ると、浮かんだ顔は消えていた。
背中も何故か軽くなっている。突っ張りが取れたように。
あいつの用、何だったんだろうか。
まあいいか。
いつの間にか冷めていた少し苦いコーヒーを飲み切る。
俺も帰ろう。
「どうだい、美味しかったろう。」
自信満々で言う店長に「美味しかったです。」と苦笑にならないように気をつけながら返す。
次は2本とも入れよう。そう心に決めながら店を出る。
さあ。
今夜は何ラーメンにしようかな。
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