見出し画像

ヤンキーとセレブの日本史Vol.11 南北朝・室町時代1

鎌倉時代に始まった暴力の分散化は、ついに国を割るような事態にまで発展していきます。この時代は日本で初めて天皇が二人出てきて国が割れた時代です。
その主役は後醍醐天皇と足利尊氏という二人の人物です。

室町が如く

この連載の目的は99%以上が、ヤンキー文化の普遍性と素晴らしさを伝えることですが、1%くらいは、日本史をわかりやすく解説することも目指しています。わかりやすくするには、パターンで憶えるのが一番楽なので、ヤンキーとセレブという2つのパターンを憶えて応用させる形を取っているのですが、足利尊氏という人物はよくよく見るとどちらでも説明できないのです。

足利尊氏は最後は征夷大将軍になりますが、尊氏には普通のヤンキーっぽさがないのです。
鎌倉幕府に強い恨みがあるわけでもなく、特別地位や名誉にも関心があるようでもないですし、天皇のことをとても大切に思っているのに、言う事聞かないし、カチコミかけるし。弟思いですが、とても大事にしていた弟よりも弟ともめていた自分の部下の方について、最後は弟と戦うことになります。一見して行動に一貫性がなく、様々な研究や物語で優柔不断とも評価されている人です。
しかし、みんなに慕われるというカリスマ性も持っています。

通常のヤンキーの尺度に当てはめられないのですが、この人は「龍が如く」の主人公で伝説の極道の桐生一馬(ファンは親しみを込めて「桐生ちゃん」と呼んでいます)なんです。新宿スワンの主人公の白鳥龍彦も結構似てます。
足利尊氏は、ヤンキー・ヤクザものストーリーの主人公なんです。

龍が如く0~6までの主人公だった桐生一馬
伝説の極道なのに、情にもろくておちゃめなところもある

彼らは仲間思いで、自分は身の回りの人のことを大切にしたいと思っています。多くの人に慕われるから、色々な事件に巻き込まれ、大局観なくその場その場で解決し、最初は小さな問題だったのに、次々とバックの大物の悪い人が出てきて揉め事が雪だるま式に大きくなっていくタイプです。

桐生ちゃんは、親分を殺した兄弟分をかばってムショに入ります。出所した後に、財産を巡ってヤクザや政治家に狙われている遥という女の子の娘を助けるようになります。遥を守るためにヤクザや政治家と抗争するようになり、色々あって最終的には元いた組の組長から後継指名を受けて関東最大の組の4代目組長になるという人生を歩んでいます。(しかし組長になった瞬間に5代目に譲ってすぐに引退してしまいます)。

桐生ちゃんが、この男なら組を任せて大丈夫と見込んで指名した東城会の5代目組長寺田。
しかし、こいつは本当は韓国マフィアの人間で東城会に復讐をしようとしていた。
極道なのにお人好しすぎるせいで色々と問題を作ってしまう桐生ちゃんと尊氏は似ている


眼の前の筋の通らないことは許さいない!と行き当たりばったりで動いているのですが、その揉め事を解決できるだけの個の暴力を持っているので、揉め事がどんどん大きくなるままに突き進むんです。
不器用だけど、侠気にあふれる。だからかっこいいんですよ。

足利尊氏の話は、「龍が如く」で考えるのが一番わかりやすいと思うのです。みなさん、龍が如くをプレイしてください
プレステ持ってない人は「新宿スワン」を読んで白鳥龍彦を好きになってください。

桐生ちゃんも白鳥龍彦も歌舞伎町の住人
正確には龍が如くは歌舞伎町をモチーフにした「神室町」という架空の町が舞台となっている。
神室町と室町幕府には多分関係はない


桐生ちゃんやタツヒコだったらどうするんだろう?と思うと、室町幕府の成立と南北朝のいざこざがとてもわかり易くなります。(両方とも見れない年齢の人は仕方ないので、少し違うけどルフィ、信など、頭が悪いけど真っ直ぐな王道の主人公を思い浮かべてください。)

足利尊氏は桐生一馬のように筋の通らないこと、自分の周りの人を傷つけることを絶対に許さないタイプの極道
しかし、極道としての流儀も大切にしており、親分のことは尊敬している
親分の命令には従いたいが、自分の子分や困ってるヤンキーたちのことも守ってやりたい。親分が立場の弱い人をないがしろにする命令を出すたびに尊氏は葛藤し、最終的には自分を慕う人たちを守ることを優先してしまいます。
遠くから見ると優柔不断で行き当たりばったりですが、なぜか多くのヤンキーに慕われて期待されているのは、その侠気からです。

また、尊氏には冷静で頭のキレる弟の直義(ただよし)がいました。兄の優柔不断なところを助けて冷静に戦略を作ったり、政治を担ってくれたりして、兄弟仲もとてもよかったのですが、目的のために手段を選ばない直義のドライさから最後は兄弟で決別することになります。兄弟分の錦山と袂を分かった桐生ちゃんと同じです。

一瞬のセレブのターン 後醍醐天皇の政治

さて、ストーリーに戻ると鎌倉幕府が滅びたので、後醍醐天皇は堂々と都に帰ってきます。鎌倉幕府が決めた天皇から天皇の座を奪い返します。一瞬だけセレブのターンが戻ります。
後醍醐天皇はセレブを中心にして、自分が全部取り仕切る独裁体制を作りました。ヤンキーたちには、大して褒美も与えません
しかし、後醍醐天皇は、セレブを中心にしつつと言いながらも、これまでのように家柄はよいけれど働かないセレブは使いませんでした。これから自分を中心に国を作り直していくのですから、優秀なやつを周りに置きたいのは当然です。
この天皇中心の新しい政治体制を「建武の新政」と言います。
しかし、膨大な事務を全部天皇が目を通すのは不可能で、命令もコロコロ変わるなどあまりうまく進みませんでした。

日本史研究者の與那覇潤先生が書かれた「中国化する日本」という、日本の歴史と中国の歴史を比較する名著があります。この連載もその本の影響をとても大きく受けているのですが。
後醍醐天皇が目指した政治体制は、中国を始めとして、世界ではスタンダードな形です。王様が権力を握って自分で政治を決めていくというのは普通の王朝です。(中国には科挙という実力で登用する試験制度と、チ◯コを切除し子孫を残せなくして、世襲ができなくなっている宦官という官僚を用いる制度で皇帝に権力を集めているからそれが回るのです。)
日本のセレブも、セレブの中での馴れ合いをとても重視します、前回の元寇の回で現代のヤンキーにも意見を伺いましたが、ヤンキーも身内の中でのメンツや関係をとても強く気にしています。
外国からの侵略が少ないこともあり、日本では実力重視ではなく、仲の良さ重視で政権が運営されることが非常に多いです。
だから、ヤンキーからもセレブからも嫌われるとうまくいかないというのはこの国のパターンなのですが、これは平清盛と同じ轍を踏んでいます。

足利尊氏、後醍醐天皇とコトを構える

足利尊氏は、鎌倉幕府の子分だったのに、ヤンキーを大切にしない幕府を裏切って幕府をぶっ潰す原因になりました。
足利高氏は、天皇から褒美で「尊」の文字をもらって名前を尊氏に変えましたが、セレブを重視して、ヤンキーに冷たい後醍醐天皇と段々と隙間風が吹いてきます

各地のヤンキーたちも、またヤンキーがヤンキーらしく生きられる世の中を期待していたのに、天皇に実権が戻ったらヤンキー軽視になっていることに怒り、尊氏に期待します

そんな中、鎌倉で北条家の10歳の生き残りの子ども北条時行を大将にした反乱が起きます(中先代の乱)。鎌倉には尊氏の弟の直義がいたので、尊氏は止める天皇の命令を無視して弟を助けに行きます。尊氏に期待していたヤンキーたちもどんどん合流していき、抗争は圧勝。尊氏はヤンキーたちに褒美をあげたことで、みんな尊氏に従うようになりました
このとき、冷徹な弟の直義は尊氏の知らないところで、鎌倉にいた後醍醐天皇の息子護良親王をドサクサに紛れてぶっ殺しています。天皇の息子がいると担ぎだそうとするアンチを勢いづかせるからです。

逃げ上手の若君
魔人探偵脳噛ネウロ、暗殺教室の松井優征先生がこの「中先代の乱」を書いている作品です。
歴史上マイナーな北条時行を主人公にしているのですが、当時の人たちがどんな風に思っていたのかを現代の感覚でもわかりやすく描いていてとても面白いです。この作品では、足利尊氏を無邪気で何を考えているのか分からない天性のカリスマとして描いています。

息子を殺され、命令も聞かず、親分のように振る舞い、実際に力も強くなっている尊氏に対して、後醍醐天皇はかなり怒ってます。
後醍醐天皇はついに尊氏を朝敵としてヤキいれをすることを決意します。鎌倉幕府を直接滅ぼしてきた子飼いのヤンキー新田義貞にまた鎌倉へのカチコミを命じます。

尊氏は、尊敬する天皇に敵認定されたことにショックを受け、極道を引退して仏門に入ると言い出します。天皇の命令を聞かなかったのは、弟のため、子分のためであり、尊氏は本当は天皇のことをとても大切に思っていました。極道で言えば慕っている親分に破門されたようなものです。
尊氏がいなくなったことで、足利軍は士気が下がって負け続けます。その中でも、弟の直義は必死で戦っています。弟を見殺しに出来ないと、尊氏はまた立ち上がり、軍は勢いを取り戻します。

頭のキレる弟の直義は、天皇と交渉をする前に、天皇の暴力担当であるこの新田をぶっ殺さないといけないと考え、兄の尊氏に助言します。交渉するには、まずは相手の暴力を奪ってからでないと、強気の要望を飲ませることはできません。

それで京都にカチコミをかけるのですが、天皇チームには、超強い楠木正成という悪党ヤンキーが入り、尊氏は負けて九州まで逃げます。
楠木正成は龍が如くで言えば関西最大の暴力団近江連合若頭の渡瀬勝みたいな強くて一本気の通ったヤンキーです。セレブも暴力を使うために、悪党を仲間に引き込んでいきます。

時代が尊氏に味方する

普通だったらこれでお終いですが、時代が尊氏に味方しました。
一つは、天皇の系統が2つに別れていたことで、無理やり後醍醐天皇に退位させられたもう一人の光厳天皇が、尊氏に新田をぶっ殺せという命令を出してくれたことです。
尊氏は後醍醐天皇には朝敵認定されましたが、天皇家も割れていたので、もう一人、自分こそが天皇だと言い張る天皇がいました。天皇がバックについたお陰で各地で仲間を作りやすくなりましたし、尊氏もやる気がでました

もう一つは、後醍醐天皇のやり方に不満を持つヤンキーが地方に結構たくさんいたことです。逃げ込んだ九州でも、後醍醐天皇によってヤンキーたちは冷や飯を食っていたので、ヤンキー代表の尊氏に期待する地元のヤンキーたちがたくさんいました。

西日本のヤンキー軍団をまとめあげ、尊氏はもう一度京都に攻め込みます
楠木正成が勝つための作成を考えますが、かわいそうなことに後醍醐天皇が横槍を入れてきたせいで作戦もボロボロになり、尊氏が勝利しました。
楠木正成は戦死し、後醍醐天皇は、奈良県の吉野に逃げて、そこで南朝を開くのです。尊氏は孝元天皇をかついで北朝を開き、日本は2つの王朝に分裂していきます

この記事が参加している募集

日本史がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?