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学芸員の醍醐味!企画展の準備にワクワクする日々〜軽井沢町の歴史・文化の魅力をプロデュースし、伝えていく〜

長野県北佐久郡軽井沢町の学芸員として追分宿郷土館にて勤務している伊藤京子(いとうきょうこ)さんに、これまでの経歴や現在の仕事内容、やりがいについてお話を伺いました。

—はじめに、ご経歴を簡単にご紹介ください。

伊藤:大学で文化学を学んだ後に、縁あって地元の市の美術館に学芸員として就職し、展示企画や資料の管理・保存を担当していました。嘱託職員として7年ほど勤務した後に軽井沢町に入庁しました。

図書館や堀辰雄文学記念館での勤務を経て、現在の教育委員会 生涯学習課 文化振興係 追分宿郷土館に配属されました。

—軽井沢町に入庁されたきっかけを教えてください。

伊藤:出身は軽井沢町の隣の佐久市だったのですが、夏には避暑地として政財界や文化人が集まる華やかなイメージがありました。また、標高の高い高原地域なので独特の文化があります。そんな魅力ある町で仕事をしてみたいと思ったのがきっかけです。

—現在の仕事内容を教えてください。

伊藤:追分宿郷土館に所属し、基本的には学芸員として学芸業務を担当しています。

具体的には2つの業務があります。1つは博物館の基本的な業務である資料の収集・整理・保存です。もう1つは展示やイベントの準備です。展示には常設展示のほか毎年テーマを決めた企画展示があります。また、企画展示に関連して、講演会などイベント開催の準備をします。

—職場には何人の職員がいらっしゃいますか。

伊藤:追分宿郷土館には4人の職員が所属しています。館長、事務の担当者、施設の担当者、学芸員という4人構成です。学芸員は私一人です。建物の中に事務室があって、そこに4人分の机が並んでいます。

少人数なので、チームワークよく和気あいあいと楽しくやっています。業務終了後には雑談することもあります。

—1日の業務はどのような流れになりますか。

伊藤:8時30分に業務を開始し、開館の9時までに職員全員で館内外の汚れをチェックします。また、展示物に異常がないか、温度・湿度が適切であるかの確認をします。開館後は、来館者に展示物の説明をしたり、リファレンスの対応をしたりしています。

それ以外に、資料の整理を行ったり文献を読んだり、次の企画展の案を考えたりしています。16時30分に閉館した後に、職員全員で館内の掃除を行い、17時15分に業務終了となります。

—1年の流れを教えてください。

伊藤:春から夏にかけては、企画展の開催準備、講演会や体験講座、コンサートなどのイベントの準備をしています。秋から冬にかけては、夏と比較して来館者も少ないので、資料整理を集中的に行ったり、翌年の企画展のテーマを検討したりしています。

前もって予定を立てて進めることができる仕事が大半なので、繫忙期や突発的な仕事があったときに残業する程度です。なお、避暑地ですので、7月中旬から8月いっぱいが来館者が非常に多い繫忙期となります。

—現在、力を入れている取組みはありますか。

伊藤:堀辰雄文学記念館の学芸業務にも関わっているのですが、今年は小説家・堀辰雄の生誕120年という節目の年にあたりますので、特別企画展の開催を予定しています。堀辰雄の幼年期から青年期までにテーマを絞って、この時期の体験が文学的な影響をどのように及ぼしているのかを表現したいと思っています。

堀辰雄に関する殆どの資料が堀家から寄贈されていて、今回は、当時の原稿やメモ、古い写真や本を展示することを予定しています。原稿には何回も推敲した筆跡が残っていて、資料に宿るパワーを感じることができます。

なお、堀辰雄は最後に追分に住んでいたのですが、終焉の家が公開されています。その家の前に立っていただくと堀辰雄の息遣いを感じることができるかもしれません。毎年お見えになるリピーターも結構いるんですよ。

—企画はどのように進めるのですか?

伊藤:まずはテーマを決めます。堀辰雄について言えば、これまでも作品からアプローチしたり、年代からアプローチしたり、交友関係からアプローチしたり、といった様々なテーマに取り組んできました。

次にテーマに沿った展示物をピックアップして、展示する流れや伝えたいことを整理していきます。そこまで進んだところで、分かりやすいようにキャプションを作っていきます。

—展示物は遺族の方から寄贈されているとのことですが、コンタクトはどのようにして取られるのですか?

伊藤:こちらからお伝えしたいこと、ご相談したいことがある時には電話で連絡したり、お宅へ伺っています。また、講演会などイベントを開催する際はお伝えしているのですが、ご都合が良い時には、参加いただいています。

追分宿郷土館においては、毎年恒例の夏の企画展を予定していて、今年は追分ゆかりの河村目呂二という発想豊かな芸術家の作品を展示予定なのですが、河村目呂二を知らない方にも、追分で残した作品や言葉の数々を知ってもらうため、遺族と相談しながら展示の準備を進めています。

—学芸員としての経験のなかで、今もなお繋がっていると思うものは何でしょうか。

伊藤:軽井沢町に入庁する前に、学芸員として美術館で働いていましたが、当時は美術品を取扱うことは初めてで勉強することばかりでした。そのときに学んだ美術品の取扱い方、展示の方法、保管の方法は今もとても役に立っています。

—新人が配属された場合、どのように教育をしていますか。

伊藤:仕事をするうえでは、知識と経験が必要になりますが、最初のうちは職場に慣れてもらうことが必要になります。いっしょに仕事をする機会を増やし、頻繁にやり取りしながら進めることを心掛けています。

また、施設によっては学芸員が1人ということもありますし、新人のころは不安も大きいと思います。自分自身で勉強するとともに、仕事を期限通りに完了させるためには、周囲のアドバイスを聞きながら、効率的に進めることができるといいかなと考えています。

—職場によっては学芸員は1人ということですが、学芸員同士の横のつながりはありますか。

伊藤:電話やメールで連絡を取り合っています。1人と言っても教育委員会や各博物館施設には先輩の学芸員がいますので、色々な仕事の内容やその経緯などを直接聞くこともできます。なので、新人1年目だとしてもあまり不安にならないで大丈夫だと思います。

—軽井沢町での暮らしについて教えてください。

伊藤:軽井沢は四季がはっきりして、自然を感じられる場所だと思います。夏の木陰の涼しさ、冬のキラキラ光るダイヤモンドダスト、目の前を横切るリスやうりぼう、そういったところに新鮮味を感じることができると思います。

また、観光客の方によく言ってもらえるのですが、水や空気が美味しいです。標高が高いので比較的涼しいところではありますが、スーパーなどのお店や病院はたくさんありますので、生活そのものに困ることはないと思います。

新幹線にのれば東京まで1時間で行くこともできますので、都心までのアクセスの良さも軽井沢の魅力だと思います。

—伊藤さんにとって軽井沢はどんなまちですか。

伊藤:江戸時代までは、3つの宿場がある宿場町でした。明治時代に、外国人宣教師であるアレキサンダー・クロフト・ショーによって、避暑地として好適地だと見出されました。それ以来、国内外の多くの人を迎え入れて避暑地として発展した、独特の文化と歴史がはぐくまれている町です。

ちなみに、堀辰雄は東京生まれ東京育ちなのですが、19歳の時に初めて軽井沢を訪れました。外国人が多く歩いていて、外国語の看板がたくさんある軽井沢を見たときの感動を、後に作家となる友人の神西清に向けて手紙を書いたというエピソードがあります。

この手紙は堀辰雄の全集などに掲載されていますのでぜひ読んでみてください。

—どのような人と軽井沢町でいっしょに働きたいですか。

伊藤:軽井沢町の自然・文化・歴史に興味がある方がいいと思いますが、幅広い視点で軽井沢を捉えていける人、色々なことに興味があってチャレンジしたい人にきていただくと面白いなと考えております。

展示の企画自体はとっても楽しいことである半面大変な一面もあります。仲間に相談しながら経験を積み重ねて頂けたらと思います。

軽井沢の歴史と文化を発掘し保存していくと同時に、地元の人にも愛されるような博物館にしたい、軽井沢の魅力を国内外に発信してみたいという方にきていただきたいですね。

学芸員の仕事は、資料の収集、整理、保存という日々の地味な仕事があります。それと同時に、企画展示では一から新しいテーマを考えプロデュースして、多くの人とそれを形にしていくという仕事もあります。やりがいもあって達成感もあり、学芸員としての醍醐味だと思います。

また、学芸員ならではの魅力として、普通だったら間近で見ることすらできない資料を見たり触れたりすることもできます。展示の企画を準備するなかで、作家、作家のご遺族、地元の皆さん、他の博物館の学芸員、研究者や専門家など多くの人との貴重な出会いもあります。

学芸員の仕事をして、ワクワクしてみたい、という方はぜひ応募してください。

—本日はありがとうございました。

この記事は2024年5月31日にパブリックコネクトに掲載された記事です。
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