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小さいころ握りしめていた物(朗読ver)
4/20の日記を朗読しました。 「小さいころ握りしめていた物」 お父さんの膝くらいの身長の女の子が、アンパンマンのぬいぐるみを右腕で抱えていた。 普段アンパンマンのぬいぐるみを見ても、「アンパンマンだなぁ」としか思わないけれど、女の子の腕にぎゅっと守られているアンパンマンは、顔だけがひょっこり出ていてそれはそれはかわいかった。 街で見かける小さい子の手には、何かしらが握られている気がする。 すきまがなくなるくらい、指先を手の平にぎゅっと丸めて。 握られているものは、おかしだったり、ぬいぐるみだったり、おもちゃだったり、本だったりする。 自分が小さい頃、ぎゅっとそっと握りしめていたものを思い出してみる。 丸くてツルツルした石、ガラスみたいにキラキラしているエメラルドグリーンの石、帽子をかぶったどんぐり、四葉のクローバー、セミのぬけがら、シジミらしき小さな貝殻、庭で摘んだ水仙。 気づいたら手の平からなくなっていて、心の底から悲しくなったこともあった気がする。 忘れていた思い出って、思い出そうとすればちゃんと出てくるんだな。 わたしの中にちゃんと残っていてよかった。 小さいころ感じていたことはずっと覚えてたい。
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春分の翌朝に。(朗読ver)
3月21日の日記を、読んでみました。 「春分の翌朝に。」 朝起きると、カーテンの隙間からあたたかい光が部屋にさしこんでいた。 まだ少しゆっくりする時間があったので、あたたかいふとんにくるまってツイッターをひらくと、作家の安達茉莉子さんが「ずっと絶対にやらないと思っていたけど今だと思って」と昨日の日記を公開していた。 その日記の冒頭を読んで、 昨日が春分だったことを知る。 日記の中の一文にこうあった。 ”ふと日記を公開してみようかと思いたつ。 ずっと絶対やらないと思っていたけど、やりたい気持ちもあるのもわかっていて、やるならなんとなく今日な気がした。” ”迷ったら、わからないもののほうがいい。 闇の奥へ。 どんな歩みにも、ただ祝福を。” まるで、安達さんに「だいじょうぶだよ」と肩をポンポンとされているような気持ちになった。 昨日私は、大きな決断をした。 あと約3時間後には、わたしの中にある決断を人に伝える。 たくさん悩んで、進んだり、引き返したり、立ち止まったりしていく中で、少しずつ自分の本当の気持ちがはっきりとしてきた。 今朝は、風は強く吹いているけど、空がスキッと青くてきらきらと透明感がある。 きれいだなぁと目を細めながらも、 心臓は、音が聞こえてきそうなくらいドクドクしている。 でも、だいじょうぶ。 だいじょうぶにしていこう。 だいじょうぶじゃないことが起きても、ひとりじゃないから、だいじょうぶ。