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回復へ 自分を応援する。

 うちから車で1時間半くらい行ったところに、私が「先輩」と勝手に仰ぐ人がいる。先輩は、私より10歳くらい年上。造形作家で作品は、陶器、鉄、木工、絵画とたきにわたる。日本画家で洋裁家の奥さんと子供が二人。自分の家族と暮らしながら、古い炭焼き小屋を自分で改築したものすごくセンスの良い家に住み、日々表現や創作をして作品を作っては売りながら生活していた。

 自分の若かった頃の話、家族について、ものづくりについて思ったこと、先輩は、いつも楽しげにいろんな話をしてくれた。先輩がしてくれる話を私は、いつも面白く聞いていた。先輩は、人にも自分にもとても素直で等身大のエネルギーに満ちていて、創ることをいつも楽しんでいるように見えた。彼の作品にもそれは現れていて、私はその作品のきっぱりとした潔さに触れては、自分の鬱々、忸怩とした内面をわずかな時間だけでも忘れたような気がして清々するのだった。先輩の家に行くと先輩の家族とのやりとりの様子や並べられた先輩のかっこいい作品、センスのいいインテリアなどをいつも眩しく「素敵だなぁ」と眺めていた。そして、どんな小さなことでもいいから自分にも真似できそうなことは無いか。自分の生活や創作を良くするヒントになるものは無いかと探っていた。そんなある日、私は先輩の作品展に行った際、なんとなく自分の悩みを先輩に打ち明けてみた。

「私、ダンスでも音楽でも、なんでもいいからものづくりがしたいんです。でも自分で自分の創作活動をしていて、もっと良くしよう、もっといいものをと思って客観的になろうとすると、これじゃダメダメだと思って、全てがダメだし祭りになっちゃうんです。そして苦しくなって。そうするうちに何もできなくなって。そんなだから、なかなか創作が進まなくて。この状況を改善するには、きっとダンスでも音楽でも何でも・・・自分が創ることや表現することにもっと自信が持てるようになるべきだと思うんです。・・・だけど、創作が進んで作品ができてこそ自信が持てる理由になるわけですよね?だって根拠のないただの自信は、ただの幼稚な空想で、愚かなうぬぼれですよね?私の場合、自信を持つ理由になる結果を出せていない。そんな感じの堂々巡りみたいな状態がずっと続いてて。これはどうしたもんか。これって、もう私には、表現することや創作することは無理なんだろうか、才能ないと思って諦めろってことなのか・・・と思ったりして。」

そんなわたしの状況を聞いて、先輩は、とても驚いていた。そしてこう答えた。

「え〜、自己批判しちゃうんだ?!それは、辛いよ。僕は確かに「俯瞰してものづくりをしている」っていつも言ってるよ。でもそうは言っても、僕は自分にダメ出ししたり、ましては罵ったりはしないよ。僕の言う俯瞰は、幽体離脱して斜め後ろの空中あたりから自分を見ている感覚なんだ。空に浮かんで、作品を作っている自分を見守る。作品を作っている自分は『あーでもない こーでもない』と試行錯誤を繰り返す。たまに失敗したり、うまくいったり、いろいろやっている。それを『いいぞ、いいぞ、そうそう!頑張ってるな、行け行け〜』と言って応援しているんだ。創作をしている時も、どんな時も、僕は自分を批判なんかしていないよ。そういう点では、僕は、・・・僕なんか、自分のやりたいことや好きなことをそのまんま垂れ流してるようなものだ。もう、もはや、だら〜んとお漏らししてる状態。でもそれでいいんじゃないかな。」

 先輩は、次々と作品を作っては発表していた。私から見たら先輩のどの作品もがキレッキレで、洗練されていた。そして作品に寄せた先輩のコメントもいつも媚を売らない清々としたものばかりだった。そんな憧れの先輩が、「自分という人間をお漏らしするかのように垂れ流してるだけだ」という驚愕の事実を告げられ、私は完全に思考が停止した。そして先輩がよく私にも言っていた「俯瞰して創る」という行為は、自分を自分であたたかく見守りながら「いいぞ、いいぞ〜」と声援を送ることであったなんて。私は、正直思った。

「そんなヌルい感じで、いいんすか!!!」

私は、優れた芸術家や創作家たちは皆、自分の内部にどんどん向かって自分の暗闇を掘り下げて、入り込んで自分を批判しまくり追い詰めて、その先に何かを生み出しているのだと思っていたのだ。でも実際は違ったってことだ。

「・・・ていうか、もっと早く知りたかったです、その事実。」

 つまり私が自分にダメだしをして出る杭(自分)を自分で打ち叩いてへこませては同時に自分を叱咤激励して自分で自分の尻を叩き、尻を叩いて頭が出ると今度はその頭を打つということを自分に課して、同じところをぐるぐる回って、自分という人間をいじり倒してこねくり回して結果何も作れないでいる間に、私が憧れるマリちゃんや先輩は、ただひたすらに自分を肯定し、応援し、継続的な自分垂れ流し行為を淡々と続けていたのだということか?!そしてそれを「いいなぁ〜羨ましいなぁ〜かっこいいなぁ〜私と違うなぁ〜」と羨望の眼差しで見ていたという、そういう客観的状況なのか?!おかしい!そんなはずはない!だって小さい頃から私は、「人は努力して挫折して自己批判してそれを乗り越えてこそ成長する 歯を食いしばって耐えて乗り越えろ」って教えられて、そのスタイルで今まで生きてきた私なんですけど。・・・あ、ていうか、それって、その自己批判・努力絶対説って誰の教えだっけ??あ、親の教えか。。。

「あ、、、しまった。」

すでに私、39歳。

気づくの遅し。

唖然の一言である。


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