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リハビリが苦手な理学療法士が、リハビリができる“ひと”になるまで 〜第2話〜


昨晩飲みすぎたのか、始業時刻ギリギリに事業所に到着した澤に村田が話しかけた。

「珍しいね、ギリギリなの」

「昨日、久しぶりに井上と飲んでまして。寝坊しました」

「井上くんね!え、同期やった?」

「そうっすよ」

「土谷さんのことで悩んだから、話聞いてもらってたの?」

「個人情報なんで、そんなことしないですよ!まぁこんなことがあってんぐらいは話しましたけど。それがなくても約束してましたし」

「引きずる必要ないからね!ただ、本当にリハビリいいかどうか、今日私が土谷さんとこ訪問行くから聞いてこようと思って。それでも要らないってなったら、ケアマネの藤中さんと、元山先生に連絡は入れないといけないね」

「ですね。それはじゃあ、村田さんが帰ってきてからでいいですか?藤中さんには僕から電話します。元山先生には、お願いしていいですか?」

「オッケー。元山先生、私が帰る頃に訪問しに来るんじゃないかな?直接言えたら1番いいんだけどね」

元山先生とは、土谷さんの現在の主治医で、“元山クリニック”の院長である。
土谷さんの奥さんは車が運転できないので、土谷さんは退院後に外出が困難なことが予想されていたので、がんの専門医であり、往診も行っている元山先生が主治医となった。

元山先生は村田さんとも知り合い(元山先生の奥様が村田さんの同級生?)のようで、よく“あさひ”に自分の患者を依頼してくれる。
澤も土谷さんの自宅で一度会ったことがあるのだが、とても優しい医師であった。

ちょうどその日は歩行器でトイレに行くかどうかを判断する日で、そこに元山先生が居合わせたものだから、一緒に動作を確認してもらって、「土谷さんが大丈夫って自信あるなら、いいですよ」と言ってもらった。

また、「病院にいたらなかなかリハビリって見る機会なかったけど、この状態の人が歩けるようになるんだから大したもんだよね。土谷さん、いい人にリハビリ当たりましたね」と褒めてもらえたのも嬉しかった。

さて、その日の夕方。

澤が事業所に戻ると、村田はまだ帰っていなかった。

村田のスケジュールでは、14時に土谷さんの訪問1件だけとなっている。今は16時30分だ。

ーひょっとして、俺へのクレームで長引いてたりして…ー

こういう時、澤は思いっきりネガティブになる性格だった。

ソワソワしたので事業所に待機していた別の看護師に聞いてみる。

「あの、村田さんてまだ帰ってないんですか?」

「まだですね。土谷さんでしょ?いつも土谷さんのとこから帰る時は遅めですよ。よく話聞くのもですけど、そのまま近くのケアマネさんのとこ行ったりするんで」

「そうなんですね。全然知らんかった」

「澤さんもリハ1人やからいつも忙しく回ってますもんね。でも、管理者も色々と大変みたいですよ」

そんな話をしていたら

「お疲れ様ー」

と玄関から村田の甲高い声が聞こえてきた。

「お疲れ様です」

澤と今まで話していた看護師が揃って言った。

「あ、澤くん。帰ってた?土谷さん、やっぱりリハビリはいいって。結構しんどくなってるね。元山先生も言ってたけど、ここから急に悪くなるかもって。ご飯あんまり食べれてないし。今日は血痰も出てたわ」

「そうですか。元山先生にも会えたんですね?」

「うん。それで少し遅くなったの」

「じゃあ、藤中さんには僕から連絡しときますね」

「ありがと。ただ、澤くんが悪いんじゃなくて、申し訳ないんだって言ってた。『すごい一生懸命リハビリしてくれたのに、もう自分は頑張られへんから。腕のいい理学療法士やから自分みたいなんじゃなくて、その時間で他の利用者さん行ってあげて欲しい』って。もう私、泣きそうになったよ」

「いや、なんで泣くんですか?せめて僕でしょ泣くの」

「そう言うくせに全然泣いてないけど!」

「はい、僕泣かないんで。でも感動はしてますよ?」

「いや、全然でしょ!ねぇ?」

と、村田は勢いに任せてさっきまで澤と話していた看護師に同意を求め、その看護師もうんうんと頷きながら、澤と村田の感情の温度差を見て笑っている。

「いやでも、そんな言ってくれるのはホンマにありがたいですよ。社交辞令かもしれませんけど」

「結構ひねくれてるね。社交辞令じゃなさそうよ!」

「ありがとうございます。リハビリって感じの状態でないのはわかってるので、今後はよろしくお願いします。看護師目線で見て、何か僕の役に立てることあれば、何でも言うてください」

「うん、そうするわね」

昨日井上に話して感情に整理がついているので、澤は自分のすべきことに取り掛かった。澤に残された仕事はケアマネジャーの藤中さんにこの知らせを報告することのみだ。

ちなみに、土谷さんは要介護4の認定を受けているが、肺がんの状態が末期であるため、このような医療度の高い要介護者の場合、訪問看護は医療保険で行うことになる。

ケアマネジャーは、主に介護保険の点数とサービスを調整するので、医療保険の下で行われるサービス(今回の場合、訪問看護と訪問リハビリ)は管轄外になるのだが、それでも土谷さんを支えるメンバーなので、“あさひ”ではこういった知らせは必ず報告するようにしている。

澤は自分の席に着くと、社用のスマホで藤中さんの番号を検索し、電話をかけた。

ケアマネジャーも忙しく、事業所にかけても留守のことが多いので、藤中さんには携帯の電話番号を教えてもらっていた。

3コールほど待ったところで、

「はい、藤中です」

という返事があった。

「あ、訪問看護ステーション“あさひ”の澤です。お世話になっております」

「澤さん!お世話にになってます。土谷さんのことですか?」

「そうなんです。実は昨日、土谷さんに『もう良くならないし、リハビリはいいわ』と言われてしまいまして。本日、うちの管理者が再度土谷さんに意向を確認してくれたんですが、それでもやっぱり『もういい』と。なので、私の介入はここまでになってしまいました」

「えー!そうなんですかぁ?身体は良くならんけど、リハさんなら色々していただけそうなことあるのに…」

昨日からずっと思ってることを掘り返されて、

「そうなんですけどねぇ」

と、答えるしかないのは澤だ。

「ただ、かなり状態は悪化しているみたいです。実際、その前のリハビリでも車いすへ移乗して、少し庭まで出たんですけど、移乗しただけで結構息切れするし、SpO2も90%ぐらいまで下がるんですよ。なので、仕方ないかなといったところですね」

「そうなんですね。土谷さんも一本気なところありますよね。私とか奥さんからすると、今後の福祉用具や介助の相談とか澤さんに絡んでもらってるとありがたいなと思ってたから残念ですけどねー」

「そう言ってもらえるのに、実力不足ですいません。一応、土谷さん夫妻には『何かあればいつでも呼んで』とは伝えてますし、看護師さんからも情報は共有させてもらおうとは思っています」

「ありがとうございます。承知しました。私としては、タブレットとかアレクサの調子が悪くならんことを祈るばかりです」

「あー、ありましたね、そんなことも。まぁ、その時も私を呼んでいただいて構いませんので。ただ、その場面に遭遇したらなんとかしようという気持ちは見せてやってください。それでは今後とも土谷さんをよろしくお願いします」

澤はそのように返し、電話を切った。

藤中さんが、タブレットやアレクサの調子が悪くなるのを恐れる理由は、土谷さんが退院して約1ヶ月経った頃に遡る。

入院生活が退屈で仕方なかった土谷さんは、奥さんに頼んでタブレットを買ってきてもらい、動画のサブスクサービスで暇潰しをしていた。

元々アナログ人間だった土谷さんだが、映画やテレビが好きなこともあり、タブレットを愛用することになる。そして、これを機にデジタル製品にハマっていった。

特に寝たきり生活を予想していたので、自室のカーテンやテレビの操作を“アレクサ”でおこなえるようにまでしていた。

そして、その接続に一役買ったのが澤だった。
というより、彼しかいなかったのだ。

奥さんも含めて、土谷さんの支援チームのほとんどは女性メンバーで、みんな家電などには疎かった。

退院直後、土谷さんはいろいろ便利そうなものをネットショッピングしては、澤に接続を頼んでいた。

そんなある日、藤中さんが訪問した時にタブレットがインターネットに繋がらなくて、土谷さんは最高潮にイライラしていた。

土谷さんは、

「なんとかしてくれ!」

と、藁をも下がる思いで藤中さんにお願いしたのだが、藤中さんは、

「え?私?無理ですよー」

と、軽い感じで答えてしまった。
その答えた感じが気に食わなかったのか、

「お前、俺が困ってんのに、やってもみんと!それでもケアマネかー!」

と、ブチギレたという事件(身内ではタブレット事件という)があった。

タブレット事件は、その日の夕方に訪問した澤がWi-Fiのon-offを何回か切り替えたことで接続が可能となりあっさり解決したのだった。

「Wi-Fiのトラブルはよくあるから、そんな時は一旦電源を切って入れ直すと良いですよ」と、本人にも奥さんにも伝えていたので、恐らく困ることはない、と感じていた。今となってはいい思い出である。


澤が拒否された日から3日経ち、土谷さんの容体は良くない方向に進み出した。
食事がなかなか摂れなくなっており、元山先生の指示で点滴も開始となった。
看護師の訪問も週3日から毎日となり、ポータブルトイレに移乗するのも難しくなったので排泄もオムツになった。

その日の夕方、村田と澤は事業所で土谷さんについて話していた。

「先生の言ったとおり、バタバタっと落ちてしまいましたね」

「がんの人はねぇ。特に食べられなくなると結構早いかな」

「痛みないんですか?がん性疼痛」

「あるある。モルヒネで和らげてるけど、効いたり効かなかったり。痛みで寝れなくてイライラして、奥さんに当たって、奥さんもそれでイライラするっていう感じになってる」

「あの奥さん、イライラするんですね?」

土谷さんの奥さんはちょっぴり天然な感じはするが、怒っているところを見たことがない。
土谷さんが亭主関白な人なので、奥さんは一歩引いて構えている印象を受ける。
その奥さんがイライラしているのだという。不安も大きいのだろう。

「そんだけ追い込まれるんやろね?自宅で最期までってみんなよく言うけれど、すごく難しいのよ」

「そうですよね…」

その大変な時期の温度感を、自分は間接的にしかわからない。
澤は自分で発した「そうですよね…」という返事に感情が乗り切っていないのを感じていた。

その後も毎日の朝礼で土谷さんの状況は報告されているが、痛みが強くて麻薬が増えたやら、水分しか口から摂れないやら、クーラーは寒がってつけないから熱中症が心配やら、やはり聞こえてくるのはネガティブな報告ばかりであった。

澤はその報告を聞いて「んー」っと唸るしかなかった。

第3話へ。

#創作大賞2023  

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