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10年代を紡いだソーシャルとゲームのおもひで

#心に残ったゲーム

大切な思い出というものは、往々にしてその日の天気や好きだったあの人の笑顔、楽しいライフイベントなど、身体の様々な感覚を通して刻まれるものだ。

そう、ゲームだって例外ではない。

皆様はパズル&ドラゴンズ(通称パズドラ)をご存知だろうか。名前だけで言うと知らない人の方が少ないくらいには有名なゲームだと思う。

5年、6年ほど前に私がハマっていたゲームで、世の中もパズドラブーム全盛期だった。

Youtubeで攻略動画を観たり、ニコニコ生放送で毎週放送される公式の生放送を視聴したり、時にはTwitterで自分で発見した攻略の最適解を発信してみたりとユーザー全体で1つのゲームをリアルタイムで追っていく日々は今でも色褪せることのない思い出だ。

いわゆるソーシャルゲーム(通称ソシャゲ)、自分のペースでプレイできるコンシューマーゲームと大きく異なる点として、(サービス終了がない限り)終わりのないゲームだということが挙げられる。

闘技場1を必死にクリアしようと覚醒ラーで挑んだあの頃は楽しかった。まもなくしてラードラが実装され周回がある程度やりやすくなったのも懐かしい。そういったその時、その瞬間にプレイしていなければなかなか伝わらない感覚というものもある。(恐らく今からゲームを始めても闘技場1は割と容易にクリアできるはずだからだ)

しかし、楽しい楽しいゲームにもいつの間にかログインを怠る日々が続いた。

仕事が、多忙になり毎日ログインすることを忘れいつの間にかスタミナを溢れさせてしまうことに罪悪感を覚えなくなるのである。

そう、終わりのないゲームにお別れを告げたのだ。

ソシャゲというものは、終わりがない。だからこそ、自分が1つの区切りを作り、完結させる必要がある。いや、完結なんてさせなくてもいい場合もある。(どっちだよ)

人それぞれ、自分のプレイスタイルがあっていい。自由でいることがゲームを楽しむうえで1番大事なことだ。無理に、義務感でやってしまうのは自分のためにもならないし、遊ぶゲームにも失礼だ。

そんなこんなで、私のパズドラ人生は終わったようで終わらずに、最近もたまにログインしてはガチャを引くなどと、冷めきっているのにダラダラと別れられないカップルのような関係を続けている(この表現はパズドラ側に失礼ではないか?)

今ログインしてみると、ランク952で1642日ログインしているようだ。そこまで遊んだゲームも人生においてパズドラくらいだろう。

そういった意味で10年代を代表するソーシャルゲーム、パズドラは私と同様、思い出として記憶に残っている人も多いのではないだろうか。友人とマルチで周回し、数時間ひたすらランク上げしたこともあの時は苦行でも今となれば思い出だ。

楽しかった10年代、そして楽しかったパズドラ、ありがとう。(課金額から目を背けながら)

10年代のインターネット音楽に関する記事はこちらで書いていますので要チェックだ(宣伝乙)



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