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「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」みんなの価値観に触れられる楽しみ。(公開直前):||

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2021/03/07

こんにちは。HACOです。

「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」のネタバレはないです(まだ公開していませんので)。Qの話しには少しだけ触れています。

エヴァの話しをすることで「その人の価値観に触れることができる」という楽しみがあります。「こころの話し・哲学の話しをしよう」的な感じになる要素があるのかなと。

もうすぐ、「シン・エヴァンゲリオン劇場版 冒頭12分10秒10コマ」が公開され、劇場公開も開始ですね。コロナ禍の影響で延期していましたがやっとですね(この記事を書いているのは冒頭公開の前です)。

今回は、最新作というだけでなく、コロナ禍という世界の存在が揺れ動いている中で、どのような影響を及ぼすのか期待せざるを得ないと思ってしまう面もあります。何かを求めてしまう。


久しぶりに「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」を再視聴しました。というか劇場で観た以来のちゃんとした視聴な気がします。8年ぶりくらい?初見のインパクトが凄いと繰り返しみない傾向はありますね。その記憶やいろいろな情報から考察を続けてきた8年くらいの月日。どうなるでしょうね。

Qの初見の時は、Ν-ノーチラス号?ナディア?って???で持っていかれた冒頭でしたが(笑)

斜め上の方向にいくことを期待してしまっているので、それを裏切られてストレートな話になっていたら、それはそれで驚きです。

Qを見直していて思ったことを少しだけ。

「どうすればいい?」というシンジ君に対する、カヲル君の言葉

反復練習さ 同じ事を何度も繰り返す
 自分が"いいなって感じられるまでね それしかない

庵野秀明監督は、

自分が”いいなって感じられる”ところまで来たのだろうか?

個人的には、ここからまだ先に続いていく(繰り返していく)ことを願っている面もあります。ここまで来たら、あと四半世紀くらい大丈夫(汗

が消えても願い呪いはこの世界に残る。
意志は情報として世界を伝い、変えていく。
いつか自分自身の事も書き換えていくんだ

たとえ、終焉を迎えたとしても、魂が消えたとしても、願いと呪いは残るから。作品が終ったとしても、各個がそれぞれの意志をもって世界を変えていく。その後の世界を生きることの興味は続くのだから、そもそも終わりはないのかもしれないですが。

さてさて、どうなるでしょうか。

「ユイとマリとゲンドウ君」という少女漫画である可能性だってあるし(笑)

ユイさん視点の女性や母親という視点からの世界も見てみたい気がします。漫画の作品ではそのような視点もあったように思えます。

冬月先生が言ってたこんなことも

時と同じく世界に可逆性はないからな

昨年の秋に「TENET」が公開されたことで、「時間」について、いろいろ考えてしまったり。延期しなかったら、その前に公開だったというのもあり、偶然の一致なシンクロニシティを感じてしまうことになるかもしれないとか。クリストファー・ノーランがと何かがつながってしまったりとかね。

これだけ長く続く物語りと一緒に生きられたことは嬉しい限りです。「スターウォーズ」や「ガンダム」などもそうですが。

作品に関わる人々が、製作者も視聴者も、、、だいぶ年月を重ねたことで、生きる環境や価値観などの変化が作り上げてきたものもあると思います。

数時間後に、そのひとつの結果がみられる(たぶん)と思うと、楽しみですね。そのような気持ちになれるものがあることに感謝です。

変化を求めず、虚無と無慈悲な深淵の世界を好む

シンジ君のこころが何処に向かうのかを、まずは見届けないとかな。

作品を解釈するときに、「個人的な解釈派」です。正解/不正解ではなく、自分どう感じたか。個人的な解釈は大切だと考えます。これは、自分だけのものとして大切です。もちろん、人に押し付けるものでもないので。もちろん、様々な方の「解釈」も楽しみです。どんな解釈でも、その方の価値観や考え方があり興味深いです。公開後、いろいろな議論や反応が巻き起こるのも大きな楽しみのひとつです。

それぞれの価値観に触れる機会になるといいなと思います。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
今日もよい一日を。

それでは、また :||

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