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わたしは自らの障害ゆえにIT化(構造化)をめざすのだった

忘れるためのメモ。

はじめに:コンピュータとの出会い


1980年くらいにパーソナルコンピュータというものに触れました。最初に就職したのが工科系大学の職員で、その時にBASICを教えてくれる講座が無料で開かれて参加したのがきっかけでした。あまり長くなくして退職しましたが、退職金をパーソナルコンピュータ(FM-7)の購入にあてました。

1994年にようやく通信ができるような環境になってきて、草の根BBSに、NiftyServeに参加し少しニッチな話題に日々浸かれる幸せに興奮したものです。いわゆるパソ通時代のほうが、のちにくるインターネット時代初期と比べるとテキストを体系化して扱うことに長けており、これはたいへんな学びになりました。

1999年にIT業界に転職する

FM-7以降は、ずっと手軽なノートPCを購入して持ち歩く生活をしていました。とにかく、PCにデータを放り込んでおけばなにかになっていくのがほんとうにありがたく自分には福音でした。

IT化は私にとって切実

この後、だいぶ経ってから発覚するのですが、私はADD(注意欠陥性障害とか、空間把握能力が低い)と診断されています。
IT以前は、どういう作業を任されてもちゃんと数えられないとか抜けるとか覚えられないとか、凡ミスが日常茶飯事でした。これが、ITという魔法の杖が現れたことで、とりあえず片っ端からここに突っ込んでおけば、必要な時に取り出し、また、やっていることが俯瞰できる、などなど、助かることが山のようにあったんですね。ようは、基本的な人間の身体性というOSの能力は低くて、いわゆる障がい者です。

切実さが未来を拓く

そんなわけで、IT業界に入ってもいわゆる手作業的な業務はやっぱりダメなわけです。もう、ミスとトラブルの連発でした。その度に勝手に「原因を書き、こうやったら再発が防止できます」とレポートを出し続けました。その結果、業務がどんどん標準化し自動化していきました。属人化していた仕事が、誰でもできる仕事になっていきました。わたしにとって、標準化にむかうIT化と業務設計は切実なニーズですし、それが業務効率を最大化したいITの現場とうまくマッチしました。
テクノロジーを使えばこういうことが解決できる!というアイデアが次々でてきたし、それを具現化する体験も何度もさせていただけました。

IT人材は、特殊な存在なのか?

どこでどういうトラブルが起きるか?齟齬が発生するか、なにぶん自分がもっとも「やらかす人」なので、そのあたりの嗅覚は人一番強いし切実です。やらかすことを誰かのせいにしたくない、かならず仕組みで環境でカヴァーできる!という強い思いを持って取り組みます。
なのですが、けっきょくITが使えるというのは特殊スキルで、それが使える・使えないのところに断絶が発生することを感じます。私にとっては、標準化できる業務は標準化する、そこのところで人の優劣を発生させたくないし、またそういうのが苦手な人にそこを強制させるのも違うと思うのです。

IT化・標準化を必要としない現場

IT化したほうがいいよねという社会の流れはあるものの、じっさいはなかなか定着しないよね、すすまないよねという話はあちこちから聞こえてきます。ITに馴染めない人を ”ITスキルが低い”という言い方があるわけなんですが、これはこれでなんだかもやっとしていたんですが、最近腑に落ちたのが低いのではなくて、

人間的な基本能力が高い!

ということなんです。ようはITなんかなくたって、デジタル化しなくたって仕事ができる・生活に困ってないよという人たちなんだな、、とすんません今頃気がつきました。少し前の↓の記事もまさにそれを物語っておりますね。

困ってない人たち

私の身近にも「困ってない人」というのがいて、たいてい「こんなもの必要ない」「自分はいらない」としょっちゅう言われます。
その主語は、「自分」なんですよね。しかも「今の自分」なんです。

自分以外の他者で「困っている人がいる」というところに眼差しを向けてもらうにはどうしたらいいのかな。

料理も健康もアイデンティティの根っこにあるんじゃないか

自分はもともと栄養士なのですが、「料理」の情報があまりにも複雑だし、日々の食生活の管理ってめちゃくちゃたいへん!ということを痛感しています。いったん美味しいかどうかは横に置いて理想は横に置いても、もまともな食生活を送るための”構造”であり”設計”がほしいのです。ほんとうはわざわざ「発達障害のための」と冠をつけなくても、だれにとっても気持ちよく快適に食生活が遅れるメソッドは欲しいとおもってそこは出さないでやっているんです、が。


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