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厄年を乗り越えろ 安芸の宮島 厳島神社参拝記 名物あなごめしもご紹介

2022年11月。

前回念願の出雲大社へ参拝にあがらせていただき、さて帰ろうかとは思ったのだが、何気なくマップアプリを見ていると広島が近い。
「よし、厳島神社いつくしまじんじゃへ行こう」
ということで、またも急ハンドルで一路広島へ。

そんな急ハンドル神社参拝記はこちら👇にまとめておりますので、ご覧いただけましたら幸いで御座います。

とは言うものの移動で三時間程度。
宿を出たのが午前11時だ。
その日に厳島神社へ参拝にあがるのは厳しいと考え、一度行ってみたかった呉市の大和ミュージアムを見に行くことにした。

私は専門的な知識は持ち合わせてはいないが、戦争については常々学んでいる。
少しでも真実を知ることが出来ればと、沖縄にも年に何度か足を運んでいる。
その話はまた別の機会に書いていければと思う。

この10分の1スケールの大和をこの目で見たかったのだ

広島も何度も訪れたいとは考えてはいたが、なかなか足が向かない地であった。
飛行機に乗るならば・・・と、いつも飛び越えて沖縄に飛んでしまうのだ。
この日はお好み焼きを食べ、大人しくホテルで休むことにした。

翌日、8時の船で宮島へ。

朝日を浴びながら、遠くに見える憧れの地を目にして胸が高鳴る。
テレビや雑誌でしか見てこなかった、海上に建つあの大鳥居が見えてきた。
上陸を果たすと、早速鹿が道案内をしてくれた。

ちなみに子鹿に人の臭いが付くと、親鹿が子育てを放棄すると言われている。
餌欲しさに寄ってくるし、人懐っこく、何より可愛い為触りたくなってしまうが、そこは見て写真を撮るだけに留めておいたほうが良いだろう。

あの厳島神社が目の前だ。
伊勢、出雲でも感じたが現実感が無い。
だが、確かにこの地を訪れることが出来たのだ。

厳島神社
御祭神は宗像三女神むなかたさんじょしんと称される三柱の女神。
市杵島姫命いちきしまひめのみこと
田心姫命たごりひめのみこと
湍津姫命たぎつひめのみこと
厳島神社の名の由来も、市杵島姫命を祀ることからイチキシマが転じてイツクシマとなったという説もある。

まずは本社から参拝にあがらせていただく。
流石は世界文化遺産、維持管理が徹底されているのだろう。
海の上、常に潮風に晒されていることを感じさせない。
本社内にも摂社、末社が多数鎮座されている。
コロナ禍であった為参拝者もそれ程多くなく、スムーズに回らせていただくことが出来た。
各社を繋ぐ回廊もそれほど広いわけではない為、窮屈な思いや、長時間並ぶことも考えるとこの時期に来られたことは幸運であった。
荘厳な社殿をゆっくり拝見し、参拝させていただくことが出来た。

本殿を後にし、島内にある摂社、末社、お寺を巡る。
どちらの神社、お寺も素晴らしかったのだが、千畳閣 豊国神社は見どころ多数だ。
五重塔もそうだが、四方が吹き抜けとなっている為、高台からの眺めは最高だ。
こちらは靴を脱いで拝観する。
豊臣秀吉没後未完成のままの為壁が無いと聞いたが、それがこの大胆な景観と清々しさを生み出していると考える。
弥山にも登り、御山神社(厳島神社奥宮)も参拝。
普段登山など一切しない為、帰りは膝が笑っていた。

昼食は名物のあなごめしを頂くことにした。
あなごめしを提供している店はいくつもあったが、開店したばかりで客が誰もいないという理由であなごめし 大和屋さんに入る。
これが大正解だった。
私達が食べていると、あっという間に満席となった。
あれだけ美味しい穴子が食べられるならば評判にもなるだろう。
妻は穴子が苦手なのだが、美味しく食べることが出来たようだ。
穴子特有の臭みは無く、あの香りが旨みとして感じられる程に残っている。
表面を焼き上げた香ばしい香り、ふんわりとした肉厚の穴子は絶品だ。
宮島を訪れて、あなごめしのお店にお悩みの際は是非。
女将さんも丁寧で、気持ち良く食事を楽しむことが出来る。
神社よりもあなごめしの方がキーボードを叩く速度が速いのは気のせいではないだろう。
私たちが訪れたのはコロナ禍。
現在は日本人、外国人問わず観光客も大勢入島しているだろうから、どこもごった返していることが予想される。

食べ歩き用に売られている焼きたてのもみじ饅頭を食べながら散歩をして帰りの船に乗船。
海上から夕焼けを見ていると、旅の終わりの寂しさが込み上げてきた。
四日間の旅ではあったが、今回も記憶と心に刻まれる素敵な旅となったことに感謝だ。
私一人ではここまでの感動を抱いて終えることは無かっただろう。
妻と二人、思い出を共有出来ているからこそだと思う。

出雲では人の信仰の厚さを感じ、それが出雲大社の社殿となり、御神威となっていることを感じた。
出雲のどこへ行っても、地域の人々何方にお話を聞いても、信仰の高さと出雲で暮らしている誇りを感じた。
土地を愛するということは簡単なことではない。

宮島では自然が何故信仰対象となるのかが少しだけわかったような気がした。
現在に生きる我々は便利で快適になりすぎている。
そんな世の中を否定しているわけではないし、私もその快適で便利な世界をありがたく享受しているわけだ。
だが、宮島が信仰され始めた頃は違う。
日々の暮らしが常に必死だ。
海と密接に関わって生きていく上で島が神格化。
そしてその地の豪族によって社殿が建立され、御祭神として海上の安全を願い、市杵島姫命が祀られたのだろう。
幾度もの火災、焼失、海上に建つ故の自然災害の甚大な被害にも見舞われる。
だが、現在でもその御姿を私達は拝見することが出来るのだ。
古の人々の信仰の賜物だろう。

この後の私は夢であった沖縄に半移住を果たす。
それはまた別な話として書いていく。
どこまでが本当で、どこまでが創作なのか私にもわからない話。

この記事も一年前のことを書いているわけだが、参拝にあがらせていただいた神社は増えていっている。

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