赤岩栄研究その2

 今回は1948(昭和23)年6月29日〜7月1日に那須塩原で行われた日本基督教団主催の第二回全国青年指導者修養会において赤岩栄と平山照次の間でなされた論争及び『キリスト新聞』誌上で掲載された両者の公開状についてフォーカスしたいと思います。

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 赤岩は代々木にある上原教会の牧師、平山は渋谷にある東京山手教会の牧師であり、両者とも東京教区青年部の委員でした。

 この修養会ではテーマ毎にグループに分かれての話し合いと全体での話し合いがもたれましたが、全体での話し合いの際に「教会は実践的テーゼを持つべきではないかとの主張」に対して赤岩と平山が対立しました。

 平山は「キリスト教独自のテーゼを政治的社会的実践の間においても明瞭に持つべきだ」と主張し、多くの参加者もこれに同意しました。それに対して赤岩は「今の時は、我々が社会のいかなる所に立っているかが激しく問われている時である。我らは我らの決断においてこの世におけるいずれかの政治的社会的実践の中に身を置くべきである」と主張しました。武田清子もこの立場に賛成していました。

 そして赤岩は政治的社会的実践の具体的な場所として共産党の名前を出し、「現実の共産党には身を置ききれぬ所の矛盾があるが、さればこそそれを改め、キリスト者こそがその身を置き得る様なものたらしめる事に、私はキリスト者としての使命を感ずる」と語りました。武田に関しては共産党については何も言及していません。

 修養会の後、『教団新報』並びに『キリスト新聞』に修養会の様子が報告されると平山は『キリスト新聞』の報道内容に不満を覚えて「二主に兼ね仕えず」という題で投稿します。この内容を確認したキリスト新聞社は本文掲載前に赤岩にこの文章を見せ、平山に応える公開状「神のものは神にカイザルのものはカイザルに」を書かせます。平山はそのことを了解していません。そういう文脈の中で『キリスト新聞』(1948年8月7日号)に「基督教とマルキシズムをめぐる二つの公開状」が掲載されました。キリスト新聞社のこのやり方は良くないですよね。

 最初に寄せられた平山の文章は、冒頭は『キリスト新聞』に掲載された修養会の報告が事実と異なっているという内容です。でもこれは平山の特質なんでしょうか。文章の後半になっていくと趣旨が変わり、赤岩が今回の件で青年部委員を降りることを一度は申し出たが、翻意して留任を申し出たのだといういわば東京教区青年部の内部事情をリークしています。

 対して赤岩は平山の文章を見た上で公開状を書いています。赤岩は要所要所で平山を毒づきながら自らの主張を展開します(例:「平山君には、この永遠と時間との質的区別が分つていないのだ」「僕が微分積分によつて今日の問題を解決しようとする時、平山君は代数の概念でそれに反対するのだ、僕が微●物理学を問題にしている時、平山君は古典物理学で僕の問題に嘴をいれている、僕は日本にアインシュタインが来た時、その相対性理論に、土井という人が反対したのを覚えているが、あの時のアインシュタインの気の毒そうな当惑した顔を思ひ出して、僕の顔も、平山君に対してかうした顔にならざるを得ないのである」)。

 また公開状の中で赤岩は共産主義者に対して「責任を感ずる」と表現しているものの上から物を言う態度で、彼らは正しい福音をまだ聞いたことがないから誤った考えを持っている人たちだ。自分はそのような彼らに正しい福音を語る責任を神から委託されており、それが実現した時に「今日の共産主義の反面の過誤は始めて是正される」と語ります。そして労働者階級に支持されている共産党に対して今日の教会が労働者階級を締め出している現実を憂い、労働者への伝道の必要性を述べています。共産主義者に福音を伝えて伝道したいと思っているのか、それともキリスト教には興味と関心を持っていないが日本共産党を支持している労働者階級に向けて伝道したいと考えているのか、文章からははっきりとしません。

 赤岩からの公開状が掲載されることなど聞いていなかった平山は『キリスト新聞』(1948年8月7日)に「基督教とマルキシズムをめぐる二つの公開状」が公開されて驚き、また怒りの感情を持ったのでしょう。すぐに『キリスト新聞』に文章を寄せ、それが次号の『キリスト新聞』(1947年8月14日)に掲載されます。内容を見ていきましょう。

 平山は初めに「教団青年部修養会の誤報を訂正するための拙稿が、赤岩君の手に渡つて、返答にもならない見当外れの悪罵に満ちた反駁文とともに公開状の形で前号に掲載された」と語り、驚きと共に怒りの感情を見せています。そして怒りに任せてでしょうか、平山は赤岩が公開状で書いていないことをさも赤岩が言っているように書いています。しかし平山が赤岩の発言として書いていることは赤岩の公開状には見つけられず、それに伴い議論が噛み合っていません(例えば平山は「赤岩君は塩原で、共産主義陣営内で実践すると言明」し、「共産主義の真理性を認めずこれを実践しないものは………レベルの低い基督者」であり、「社会をそれのある法則において認識したものこそ進歩的基督者であり」、「マルクスにその法則を『開眼』された前進的基督者」と主張していると書いていますが少なくとも修養会報告にも公開状にも赤岩が「レベル」云々と書いているのを見つけられません)。平山が怒っているということは文面から伝わって来ます。

 また平山は「東北のD牧師は『赤岩君が戦時中僕らの所でものすごく右翼的な事を話して困つた』と私に語ったが、赤岩君が昨春教団で中食を取り乍ら、共産党入党申込をした経緯を我々に話した事と思い合せ、これが『福音の自由?』だなと思わされた」と議論とは関係なくまた真偽を確かめようもないことを語り赤岩を貶めようとしています。

 人間ですから考えが異なることもありますし、異なる考えを理解して自らの見識を広めるための議論は大いに歓迎されることです。しかし議論と関係のない話題を先に出した方の負けです。これを議論の公式ルールにしたいですね。

 というのも誰もが議論がヒートアップするあまり相手を打ち負かしたい、ギャフンと云わせたいという思いから性別や出自、過去のスキャンダルなど議論と関係のない話題を持ち出して相手を貶めたいという誘惑に囚われることがあると思うんです。

 でも議論と関係なく相手を貶めようとする行為は対話のルールとしても倫理的にもやってはいけないことです。冷静になれば自分でもやってはいけないと思えることをやってしまう。その状態を聖書やキリスト教は罪の虜となっているというのだなと改めて思いました。

 歴史の学びを通して自分自身を正したいと思いつつ、自分が誰かと考えを異にして議論し、相手が議論と関係ない話を出してきた瞬間に(だいたいそれは普段その人が私に対して抱いている不満であることが多いですが)「それは今は関係ない。」と毅然とした態度で線引きすることが大切だなと思いました。そうでないと収拾がつかない泥試合になってしまいますからね。

<引用・参考>

『教団新報』(1948年9月10日)(文責:大阪教区奈良信・福島穣)

『キリスト新聞』(1948年8月7日、1947年8月14日)

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