日本基督教団の戦争責任告白といま-日本そして日本の教会の加害性-

日本基督教団の戦争責任告白-日本そして日本の教会の加害性-

「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」は激しい議論、賛否両論の中で教団常議員会の決議により鈴木正久教団議長名で公表された。以下にその詳細とその意義について先人の言葉を紹介しつつ簡単にまとめたい。

教団新報(1967年3月18日)によると、教団は第3回常議員会の決議により「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を3月26日付で公表することになった。この「告白」は第14回教団総会に提出された「教団としての戦争責任に対する告白を公にすることの建議」による総会委託事項であった。つまり教団総会では意見がまとまらなかったので常議員会に一任されたものであった。

常議員会は賛否両論の長時間激しい論議を戦わしたのち、最終的に3分の2以上の出席、3分の2以上の賛成を持って「告白」を可決した。発表は鈴木正久教団議長名をもって、常議員会の責任で出すこととなった。

鈴木はこの告白はだれかを責めるのではなく、「私ども」という名で行う告白であると述べている。「告白」の公表を受けて質疑の時間があり、またもや激しい議論が戦わされた。その中で鈴木は、教団は敗戦後まもなく宣言文を出しているがそれは戦争責任の告白ではなく、告白したことは事実であるがその後教団が責任ある態度を示さなかったことが問題であったと語っている。

教団が戦後12年を経てなお先の戦争に対して責任ある態度を示していく、行動をしていきたいとの思いからこの「告白」が公表された。その点が重要であると筆者は考える。「告白」の公表に際して当時常議員としてその場に居合わせた隅谷三喜男は、「その手続きの問題もさることながら、」「教団の『戦争責任告白』は、将来のことにふれていない」「あの戦争では日本だけが悪かったのではない」などといった意見がたくさん出されたと振り返っている。

隅谷は戦後、教団の戦争責任問題が深まらなかった原因を2つ挙げる。1つ目は心の中では戦争協力に反発しながらも、反発すると迫害に遭い逮捕され教会が閉鎖されてしまう。教会を守るためには、あれはやむを得なかったのだという考えがあったこと。2つ目は戦後アメリカの占領政策を挙げ、アメリカは積極的に戦争に協力した人は糾弾するものの、そうでない人は敵と見なさず友として扱い、キリスト教会の責任者を戦争責任者として糾弾することはなく、戦争で時の政府に協力したキリスト者をも教会の代表者として認めた。これが教会の中での戦争責任を曖昧にしたと語る。

また隅谷は「あの戦争では日本だけが悪かったのではない」「日本が戦争をしかけたのは外国から経済封鎖されて、どうしようもなかったからだ」とする考えに対して社会学者としてこのように批判する。「なぜ、外国から封鎖されたか」を考えると、それは日本が「武力をもって『伸ばした』」からである。「日清戦争の時、日本は中国に勝った。そして多額の賠償金をとった。日本の国家予算の倍に上る莫大な」額を取り、「そのお金を元手にして、ある程度発展した。おまけに台湾までとってしまった。台湾の人にとっては、自分たちの意思とは無関係に日本に組み込まれてしまった。その台湾は今もって、中国と緊張関係にある。その根本的な原因を作ったのは日本です。そしてこの間戦場になったのは、朝鮮半島です。日露戦争の時の主戦場は朝鮮や中国東北部です。被害を受けたのはその土地の人々です。そんなふうに私たちは教えられないし、考えたこともない。ただし、被害を受けた人にとっては忘れられません。歴史はともかく、キリスト教会がその辺をどう考えるかですね。」(隅谷三喜男『日本の信徒の「神学」』144ページ)

先の戦争を振り返って欧米の帝国主義の影響や原爆投下、大空襲などで国内の被害も少なくなかったために感傷的になり「被害者」を演じてしまいたくなる私たちである。しかし隅谷は冷静に、批判的に、社会学のアプローチを用いて日本が武力をもって勢力を「伸ばした」現実を指摘し、日清戦争時の賠償金のこと、台湾統治や朝鮮半島、中国東北部のことなど主にアジアにおける日本の加害の現実を私たちに知らせてくれている。

昨今のロシアによるウクライナ侵略戦争によって日本では改憲論議が行われており、憲法9条の改正ならびに武力保持を求める声が上がっている。歴史を通して考えるならば、かつての日本が富国強兵というスローガンを掲げ、武力をもって勢力を伸ばしアジア諸国や太平洋諸島を植民地化していったように、武力を持つことは抑止力ではなく加害者となって被害者を生むことに他ならない。そのような加害の足がかりとなる憲法9条を含む憲法改正に反対の声を上げなくて良いのか。先の戦争に対して責任ある態度を示していく、行動をしていきたいとの思いから「私ども」という態度で「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を行い続ける日本基督教団に連なる教会、信徒一人ひとりの信仰的態度が問われている。教会は政治と関わらないという安易な逃避は許されない。

参考・引用

隅谷三喜男『日本の信徒の「神学」』(日本キリスト教団出版局、2004年)
教団新報(1967年3月18日)

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