はかりの話
こんにちは。先日の聖書研究祈祷会では『信徒の友6月号』に掲載されている「考古学が照らし出す聖書 第3回はかり」を参加者とともに読みました。
重さ
皆さん普段の生活で重さを測ることはありますか。私はコーヒーが好きでして毎朝スケール(電子はかり)でコーヒー豆の重さを測ってコーヒーを淹れています。さらにコーヒーを美味しく淹れるためにお湯の量を測るのにもスケールを使います。
天秤
古代世界ではスケールなんてありませんから、重さを測るために天秤と分銅を用いたそうです。小学生の頃の理科の実験を思い出しますね。小麦の重さはこのくらいあるから値段はこれくらいだと天秤を用いて取引しました。
不正を働く人
でもどの時代にも悪い奴がいて、現代には転売ヤーという悪者がいますが天秤を用いて取引していた時代にも不正なはかり(分銅)を用いていた悪人がいたようです。
旧約聖書アモス書8章5節「お前たちは言う。『新月祭はいつ終わるのか、穀物を売りたいものだ。安息日はいつ終わるのか、麦を売り尽くしたいものだ。エファ升は小さくし、分銅は重くし、偽りの天秤を使ってごまかそう』」
これに対して聖書の神は一貫して公正な天秤を用いよと命じます。「公正な天秤、公正な秤は主のもの。袋のおもり石も主の造られたもの」(旧約聖書箴言16章11節)。
価値を軽んじる
重さをごまかすことはそのものの価値を軽んじることです。ここで意図的に「重い」と「軽い」と言う言葉を用いています。というのもここに聖書が私たちに伝えたい大切なメッセージがあると思うからです。
重さは神の栄光である
旧約聖書は大部分がヘブライ語で書かれています。ヘブライ語で「重さ」は「カーボード(כָּבוֹד)」と言います。聖書によく出て来る表現で、「重さ」以外に(神さまの)「栄光」とも訳されます。神さまの栄光は固有の重さ、重みを持っているのです。小麦にも重さがあります。人間にも重さがあります。空気にだって重さがあり、神さまが造られた天地万物には重さ(神さまの栄光)があります。
すべてのものには重さ、価値がある
なのに私たちはこんなの価値がないとその物の価値を軽んじることがあります。そうやって子ども、女性、若者、高齢者、障がい者、ホームレスなどの価値を軽んじることを神はお怒りになります。すべての人に重さ(神の栄光)があるからです。
天秤が私たちに告げること
天秤は分銅によってそのものが持っている重さが視覚的に分かる道具です。これにはこれだけの重さ(神の栄光)があることを認識し、これを敬う必要があります。神さまがお造りになったすべてのものの価値を軽んじることを神さまは許しません。
それぞれのもつ重さ(神の栄光)を意識して生きたいものです。
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