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家族が増えたからだろうか、平屋の家から2階建ての家に引っ越しをした。5歳の時だった。私が、幼稚園に入園する時期でもある。

Z町

Z町は、私のふるさとだと思っている。友だちもたくさんできて、色々な思い出が詰まった大好きな町だからだ。

だが、引越しをしても私の心は変わらず、妹には何でも命令した。
思い通りにならないと、私の機嫌が悪くなって、言うことを聞くまで、バーカとか傷つくような言葉を浴びせ泣かせたり、叩いたり蹴ったりしていた。

母には内緒で悪行をすることが、妹には決してしない、私だけに怒る母への私なりの仕返しだった。
畳の上に、無造作に置いてあった母の服をハサミで切り裂いたり、ワッペンを切り取ったり。面白い!!ハサミで切ったことがあるのは、これまで紙だけだったから。衣服を切る手元の感覚は新鮮で楽しい。もちろん見つかってこっぴどく怒られた。

この家は、M町と違い、2階建て。
だからうれしくて、2階で一人過ごすことの方が多かったように思う。
母の服も2階の畳にあったから、悪行をするには、ピッタリの場所だった。家にいるときは、当時の私の居場所だ。

Z町には、女の子の同級生がいて、よく遊ぶようになった。
おうちへ遊びに行かせてもらうと、見ただけでわかる高級なピアノがあり、鮮やかな黄色のインコ。育ちがよくわかる。

私にも、ぬり絵のぬり方を教えてくれた、理想のやさしいお母さん。その女の子は一人っ子で、いつも自慢するちょっといじわるな女の子。でも、うらやましいなぁと思うことから勘違いして、自分より上の立場だとランク付けし、なんでも言う通りにしていた。

この子を筆頭に、近所には個性あふれる同年代の子どもがいて、家から出れば、とても楽しい日々を過ごす。

ニンジン事件

変な味がするから、ニンジンが嫌いだった。
母が作った料理にニンジンが入っていたら、
私に「絶対食べなさい!」といつも言う。うるさいなぁもう。

《私の嫌いなニンジンを入れやがって。食べなかったらまた怒るんだ。》

母は食事中、妹に気が向いてしまうのでチャンスだ。
私は、取り分けられたお皿にのっているニンジンばかりを全部口の中に押し込み、おしっこをしたい仕草をしながら、トイレ(当時は汲み取り)に駆け込んだ。
トイレットペーパーをぐるぐる巻きにして手に取る。そしてその手に、口にあるニンジンを全部吐き出す。さらにそれをトイレットペーパーでぐるぐるに巻いてボットンする。食べずに済む、よかった。

良心が無いわけではなかった。食べ物を粗末にしてはいけないことはわかっていた。

《ニンジンさんごめんね。ニンジンさんにこんな可哀想なことしたくないんだよ、何でお母さんは私にこんなことさせるのかな》

母と妹以外には、優しい自分であったと自負している。
今でも、あのニンジンさんに対して反省している。
ニンジンを食べられなかったのは、幼少期だけだったので、あらゆる野菜の中でもニンジンは特に、小さいかけらでも食べ残しのないようにして、あのニンジンさんを思い出し、自分なりの供養をしている。

と、話せばキリがないが、妹には、オモチャやおやつをあげるフリをして、あげなかったり、妹が持っているものを奪ったり、母にはわざと心配させるような嘘をついたり、母の持ち物を隠したり、いろいろこの二人にはやってきた。


気づかない万引き

4、5歳の頃に、こんなこともあった。スーパーに行った時のこと。
母に、「ほしい!」と言ってもカゴに入れてくれなくて、私が勝手にカゴに入れたら返される。何度も。

《ほしい、ほしい、ほしい!母が許可しなければ、私が許可する!》

とうとう泥棒をしてしまった。
母と並ぶレジの前で平気でお菓子を開けて食べていた。
お店の人に声をかけられなかったということは、おそらく、母というお客さんを対応することに気を取られて、私に気が付かなかったのでしょうか。

当時は子どもで、社会のルールはまだよく知らない。
母が、私が欲しいというものを選ばないから、私が選んだだけ。
何も悪気を感じていない。
もう少し大きくなって、ルールがわかるようになってから、
そのことを思い出し、考えた。


帰省中の行動

母の実家へ帰省した時の出来事。
誰かと遊びたかったのだろう。ただそれだけだったのだろう。帰省しても田舎は子どもにとってとくに何もない。けれど、未知だ。

知らない世界に飛び出した。
その時のことを私はほとんど覚えていない。こちらの小学校へ転校した時に、初めて同級生から私の行いを聞くことになる。それは、女の子二人から聞いた話。

一人目の女の子。その子のおうちへ私が突然お邪魔してしまったらしい。なんとなーく覚えているような…「突然うちに来て遊んだことあるんよ」「なんかすごいね、出会ってたんだね」小学校でも仲良くなろうと思った。

二人目の女の子。おとなしい、真面目そうな子が言う。「突然うちに入ってきて遊んだことがあって、その時おねえちゃんの肩を噛んだの覚えてる?」「うそ…ごめん」小学校では少し距離を置こうと思った。


長年の罪悪感

そこで初めて、お店の人も同級生のお姉さんにも悪いことしたなぁ、ごめんなさいという気持ちになった。ずっと今でも罪悪感が残ったまま。

子どもの時に、悪意なくやってしまったことが、何十年と残る。やっぱり、子どもでもダメなことはダメなんだと、大人が教える必要があるのは間違いないのです。そうすれば、謝ることができ、過去の失敗にとらわれることはない。

母の場合は、連れていくだけだった。子どもをどこかへ連れていく時は、子どもにいつも、社会勉強をする場を与えているのだという認識が必要だと考える親であるべきだと思う。また、家以外でのしつけも重要だ。よそ様に迷惑をかけないように。母のためにも私のためにもしつけが必要だった。特に私たちには。


好奇心と思いやり

ここまでくると、悪ガキの印象が強い。これからお話するこの件で、これからの私の軸は出来上がったといってもいいだろう。

祖父は田んぼを持っていた。昔の田んぼの仕事は大変だ。私が見ていた光景は、秋。稲刈り、収穫の時期。家族総出で一生懸命頑張っている。私が入る余地はなかった。暇だ。喉が乾いた。近所にお店があることを思い出した。そうだ!飲むものを買いに行こう!突然の発想。家のどこからか、100円玉を手に握りしめながら、三輪車を漕いで目的のお店へ向かう。お店に辿り着いた。

「すいませ~ん」「…」
「こんにちは~」「…」

誰も出てこない。何か買って帰りたい。あっ、目の前に自販機がある!迷うことなく、ジュースを購入。初めてだったにもかかわらず、お金をどこに入れて、欲しいジュースのボタンを押すまでよく出来たものだ。いえ、誰でも利用できる自販機を作った会社が素晴らしいのだ。

ジュースを7,8本買った。ゴロゴロ出てくる缶を三輪車の後ろにあるカゴに詰んで、また田んぼの方へと向かう。一人一人祖父母と両親の所へ行き、「しんどいでしょ?ハイ!ジュース飲んで!」みんなは驚いていたのと同時にとっても喜んでくれた。

みんなのため。喜んでくれる笑顔は最高だ。その思いやりの行動をした私も心がなんだかあたたかい。人に優しくなりたい。そう思えた。

「あんたも飲みなさい」
自分が飲むのをすっかり忘れていた。

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