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大人になるということ

高校時代、家から最寄りの駅までに近所の団地を抜けて通学しなければいけなかった。

団地内の道は狭く、同じく通学中の小学生の登校班とよくかち合っていた。

お話ししながら楽しそうに登校する彼らは、向かいから私が歩いてきていることに気がつかない。というか、目視していても認識しない。いわゆる眼中にないという状態である。

ぶつかる寸前になっても彼らは避けない。仕方がないから必ず私はどんなに遅刻しそうな時でも小学生の長い登校の列が過ぎていくのを道の端によって待っていた。

高校の日本史で習った大名行列を思い出す。民衆は決して横切ってはならなかったという話は有名だ。

不思議なもので大人になると自然に道を譲り合うようになる。サラリーマンが前から来る相手を避けずに激突するのを私は見たことがない。おじいちゃんおばあちゃんになると歩みを止めて相手に完全に道を譲るというのもよく目にする。

最近、大人になるって人に道を譲れるようになることなのかなと思う。

小学生は自分の世界だけしか見えないから行きたい方向に歩くという選択肢しかない。大人は自分の世界と相手の世界を見ているから、前に進みたくても人が来ていたら道を譲る。

きっと子供の頃は自分の世界しか見れていない。だから自分の行動が人にどんないい影響を与えるかとか、迷惑をかけているかとかを意識できない。

でも、自意識の輪が次第に広がっていき他人にまで及ぶようになった時、次第に人は大人になっていく。

野球選手やアイドル、YouTuberになりたい子供も自分の世界が広がり、他人の世界を見始めるとなりたいものの選択肢が増え始めるのかもしれない。

子供の頃、映画館で泣く父親を見てフィクションで泣くなんて恥ずかしいと思っていた。今は自分がめちゃくちゃ映画見て泣く。他人にリアルな感情移入ができるから。

子供の頃は大人になりたくないって思ってたけど、大人って案外悪くないですよね。大人になりたての自分が言うのも変ですけど。

昨日久しぶりに最寄り駅までの通学路を歩きながらそんな高校時代のことを思い出していた。

すると向こうから可愛い小学生ではなく、長身の男性が歩いてきた。片耳にピアスをつけて、色の落ち始めた金髪を後ろで結び、シルエットの太いパンツにパーカーという出立ちだった。

相変わらず狭い道なので咄嗟に避けようとしたが、相手の男は避けることなく私と肩がぶつかった。軽い舌打ちが聞こえ、眉間に皺の寄った顔でこちらを一瞥してきた。

小学生のみなさん、こういう大人も結構います。

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