見出し画像

8割の人がやってしまう、間違った失敗の捉え方。

メディアやSNSの発達で今まで見えてこなかった世界が見えるようになった。日中は働き仕事終わりに勉強や子育てなどプライベートに勤しむ人、夢のような生活をしている人もいれば、自分自身の好奇心を満たす為に生きる人。

他人の充実がスマホを開くことで見ることができるようになった。人の生き方は本当に多種多様だ。全てを知ることが出来てしまい、他人との違いで気分が上がり下がりしてしまうような時代でもある。

他人の充実に目が行ってしまうと、自分にないものに目が行ってしまう。逆に、「あの人にもあって、自分にもあるものは一体なんだろう」。そうやって物事は見ていくことも大切だ。ボクたちには、生まれながらに平等に与えれたものがある。それが時間だ。

画像1

「時間がない」なんていう人がいる。
そう言う人にはこの言葉を伝えたい。

「時間は最初から与えられている」


映画のアリス・イン・ワンダーランドのMr. Timeの言葉だ。
そう、ボクたちには時間がないのではなく、目の前の時間を上手く使いこなせていないだけなんだと思わせてくれるような描写だった。「時間がない」は使い勝手のいい言い訳にもなる。本当は出来ない自分を知ることが怖いだけなのではないか?

「いつかはやらないといけない」そう思っているだろが、その「いつか」「今」動かなければ一生やって来ない。

1週間後には別人のようになっている人もいるがその反面1年経っても1年前と全くといって良いほど変わらない人もいる。この1週間と1年の差が一体何なのか?

それは、時間の使い方。その時間の中でどれだけ挑戦してきたかで日を追うごとに差が開いていく。挑戦を怖がれば、挑戦する人としない人との間にはミルミル差が開いていく。気づけば周りには誰もおらず、1人だけになるかもしれない。それが、取り残されるということだ。

だけど、心配することは何一つない。何を怖がっていて、なぜ怖いのかを知ることが出来れば、恐怖は消える。

挑戦に対する恐怖が1つあると思う。

画像2


 失敗

「失敗を恐れるな」とビジネス書では良く見かける言葉。そんな暑苦しい言葉聞いているだけでも、嫌になってくる。ボクもあまり好きな言葉ではない。ただ、1つ思うことがある。挑戦している人たちにとっての“失敗”と挑戦できない人の“失敗”は意味が違う。

挑戦する人の“失敗”は「まだまだ改善ができる」。その反対に挑戦できない人の“失敗”「終わり」を意味している。

挑戦する人はある意味、挑戦し続ける人でもある。その意味は、結果に一喜一憂するよりも先に、次どうすれば良くなるか、今よりも良くなるかを考えるその考えを持ってまた挑戦をする。つまりは、挑戦することに“失敗”はない。

1つ頭に入れて置きたいことがある。挑戦するからには目標や欲しい結果があると思う。だが、その目標や欲しい結果に囚われずに、目の前の小さな階段を1つずつ上がっていって欲しい。

目標や結果ばかりに意識が行ってしまうと、気づかぬうちに行動を起こすこと、その行動から得られる結果へのハードルが高くなってしまう。感覚的な話だが、挑戦は一直線の道のように頑張って走れば終わるように見える。それはハードルが上がってしまっている証拠だ。

画像3

だが、実際のところは違う、挑戦は階段のように1つ1つ積み重ねていくようなものだ。階段の種類によって低い階段もあれば、高い階段もある。1回で上りきることが出来なければ、2回3回と工夫をしながら挑戦し続ければいい。

挑戦ってそんなもんだ。

1回で欲しい結果なんて手に入らない。欲しい結果が得られてとしても次の挑戦が待っている。人はそうやって成長していくのだと感じている。

出来て当然じゃない。出来なくて当然だ。
そうやって生きていきたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?