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生きるために芸術が不可欠であるわけ

こんにちは。オリジナルミュージカル制作にゼロから挑むユッキーナです。今回の記事では、「生きるために芸術が不可欠であるわけ」を私なりに考えたことを紹介していこうと思います!

特に日本では「芸術はなくても生きていける」という根拠のない論が一般的になっているように思います。ですが、本当にそうなのでしょうか?

と言いつつ、次の例の出所は、たくさんネットサーフィンを探しても見当たらなかったのですが(汗、、、

以前、テレビか何かで「遭難したときに、水や食料と同じぐらい大切なものは”遊び”だった」的な話を目にしたことがあります。(出所をご存知の方がいらしたらぜひ教えてください…!)

要するに”遊び”がないと気が狂ってしまうということです。でもこれ、少し考えるとちょっと「確かに」と思いませんか?

先週末、東京は新型コロナの感染拡大防止のために外出自粛でした。みなさんは、お家で何をして過ごしましたか? テレビやネット、ゲームや音楽、小説、雑誌、漫画などエンタメと触れ合っていませんでしたか?

もしそれらがない状態で、日々を過ごせと言われたらどうなるでしょうか。一日二日程度ならどうにかなるかもしれません。だけど、一週間、二週間と長引いていったとき、エンタメのない暮らしを想像することができますか?もしそんな状態が続いたら、結局、自分たちで”遊び”を作り出すのだと思います。絵を描いたり、歌を歌ったり、詩を書いたり、カードゲーム作ったり、いろいろと、ね。

そう考えると、人間は「遊び」がないと「精神的に生きていけない」と言えるような気がします。


人間をあらわす言葉に、ホモ・サピエンス(知識のある人)という言葉がありますがそれに対して、ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)と人間を定義したホイジンガというという歴史家がいます。彼は以下のような主張をしています。

遊びこそが他の動物と人間とを分かつものであり、政治、法律、宗教、学問、スポーツなど、人間の文化はすべて「遊びの精神」から生まれた、あるいは、あらゆる人間文化は遊びのなかにおいて、遊びとして発生し、展開してきたものである

確かに「遊び」はすべての原点かもね、と感じてくれた人もまだ「芸術」が必要不可欠化は別だよね、と思う方もいるかもしれません。

だけど、英語で考えると、遊びはPlayです。演劇もPlayです。音楽を演奏するのもPlay、スポーツもPlay。「遊び」と「芸術」はかなり近いところにありそうです。

「芸術」は、英語でArtです。Artには技術的、技巧的のような意味合いがあるのですが、私の意見としてはPlayを技巧的に極めるとArtの域に入って来るのではないかと思っています。技巧的というと、手仕事のように思われますが、Artの世界は進化していて今は技巧的という言葉の中に「前衛的」とか「思考的」など、考え方のテクニックや挑戦も含まれているように思います。

私は冒頭で「遊び」と「エンタメ」を同義語のように使ってしまいましたが、「Entertainment(エンターテイメント)」は、日本語にすると「娯楽」です。これは私的には、Playの楽しいところ、ヒトを楽しませるところを増幅させたものが、Entertainmentという域に入ってくるように思います。

それで、世の中にはエンタメ的なアートもあるし、アート的なエンタメも存在しています。複雑になってきたので、図にしてみます。

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「遊び」と「娯楽」と「芸術」の境界線はとても曖昧です。例えば、映画で考えると、映画はそもそも「遊び(演劇)」で成り立っていて、ハリウッド系は「娯楽」的、フランスカンヌ系は「芸術」的、みたいな感じ。

ちょっと脱線するのですが、非常食の話題で「長引いた時にずっと同じご飯や美味しくないものだと滅入るから、少しでも心豊かに過ごせるように、できるだけ美味しいものを、いつもとは少し変わったものを買っておこう」って意識があると思います。

遊びの分野も同じで、今回みたいな事態が長引けば長引くほどPlayだけだと物足りなくなって、絶対EntertainmentとかArtの領域のものが必要になって来る。

だけど悲しいかな、日本人は特にArtの味を知っている人が少なくて、それがあると人生がもっと豊かに感じられることがわかってない。

ラーメンの味を知らない人が、ラーメン食べなくても生きていけるって言ってるのとか、美味しい生魚を食べたことなくて、寿司がなくても生きていけるって言ってるのとおんなじ気がする。

日本人だったらみんな「えー、美味しいラーメン知らないの?」とか「日本のお寿司は美味しいのに、食べたことないなんて勿体無い」って思うはず。

それとおんなじで、芸術に触れていなくて、芸術がなくても生きていけるって言っている方々は、人生の大半を損しているように、私には思えてならないのです。


で、話を戻して、今回伝えたいことのために強引にまとめると、

って、まったく一概にはくくれないのですが、

「娯楽」≒「感覚・感情・感性」的、「芸術」≒「知識・論理・知性」的

と置き換えることができます。

そして、どうやら人間は「感性」と「知性」が相互作用して昇華された「真の”芸術”(アートでもエンタメでもプレイでも)」と触れ合うと、脳が感動するらしいのです。この現象についての詳しい説明はこちら

ここからは「よりよく生きるために」と、話が発展していくのですが、ポイントは「感動」です。

脳科学者の茂木健一郎さんは著書「感動する脳」にて、以下のように述べています。

感動のあまり涙を流すという現象があります。これは、今体験していることが、脳や人生を変えるきっかけになるものだと脳がサインを送っているようなものです。今自分が出会っている経験が、これから自分が生きる上で大きな意味を持っている。その意味が大きければ大きいほど、感動もまた大きくなります。従って感動というのは、脳が記憶や感情のシステムを活性化させて、今まさに経験していることを逃さずにつかんでおこうとする働きなのです。

おそらく感動にも2種類あって、頭で理解して訪れる自覚的な感動と、なぜかわからないけれど無性に感動してしまう無自覚的な感動があると思います。そのどちらも、これから生きていく上で大きな意味を持つものでしょうし、そこで得た感動が生きる原動力となる。脳科学でも感動は人間のモチベーションの向上につながっていると言われています。そして、ここでは詳しく解説しませんが、感動は人間の「種の生存のための活路探索」に必要な現象だと言われています。

感動は日常生活の中でもいろんなところから訪れるものだと思います。だけど、私たちはこの素晴らしい世界に生きることに慣れてしまって、感動することをすぐに忘れてしまいます。

だから「真の”芸術”」が必要になって来るのだと思います。

「真の”芸術”」は、日常に慣れ切った私たちの脳に、「感動」をもたらす手段であり、

「感動」は人々の「やる気」を向上させて、私たちの人としての精神の成長を促していく。

つまり最近感動していないな、っていう人は、人として成長していない可能性があります。それに、真の芸術と触れ合っている人も、いつも同じものばかりを見ていたらそれは脳の中で娯楽に分類されて、成長にはつながってないかもしれません。

こういう状況下だからこそ、気がつける感動が真の芸術の中にはあるはずで、人間は今回のような逆境の時にこそ、精神の成長をしていかなければならないと感じます。

アインシュタインは以下のような言葉を残しています。

感動することをやめた人は、生きていないのと同じことである――。



さて、今回の記事は「生きるために芸術が不可欠であるわけ」というテーマでしたが、まとめると、

・生きるためには「遊び」が必要

・「遊び」は文化の原点である

・「娯楽」と「芸術」は「遊び」が発展したもの

・それらが「真の芸術」に昇華すると、人々に「感動」をもたらす

・「真の芸術」は、日常に慣れてしまった人間に「感動」をもたらすための手段

・「感動」は、人々にやる気を与え、精神の成長を促す

・だから「生きる(≒精神的に安定・成長していく)ために、芸術は不可欠!」

と、なります。なんだか桶屋が儲かりそうな論法ですが(笑)、ぜひこんな考えをたたき台に、みなさんも「生きるために芸術が不可欠であるわけ」をいろいろな角度から考えてみてくださいね!

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いかがでしたか?

まぁ、そもそも「衣食住」という言葉が悪いんじゃないかって思います。人間が生きるために必要なモノは「衣食住」だって習うけど、それは「今」を「ただの一点」で捉えた考え方です。

本来、人生は「点が連続する線」であり、そこには「精神の安定と成長」という時間軸が存在しているはずなのに、その部分がすっぽり抜け落ちてしまっている

だから、本当は生きるために必要なものは「衣食芸住」であるはず、だと私は思います。「衣食芸住」って言葉が広がってほしい!っていうか、教科書に載せてほしい!

そんな感じで、本当はミュージカルのコンテンツについての記事を書こうと思っていたのですが、芸術に関するやるせない言動が多くて(私自身も、今は公演などを自粛すべき時だと思っていますが)、なんだか今のこの状況がどうこうっていうこととは別の背景から言われている気がして、今回の記事を書くに至りました。

食べるものも大切、身体も大切、お金も大切、そして、心も大切。

というわけで、この記事をたまたま見かけた人が、いろいろと考えを巡らせてくれると嬉しいなと思います!間違いなどがあったら、それはそれでぜひ教えてくださいね!






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