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経験値が高ければ行動や発言が肯定されるという思い込み

友人と話していると、
「それってほんと?」 って確認をすることってありますよね。

友人は、
「本当だよ。俺のことを信じてくれよ」
と念を押してきます。

今日はこのことについて考えてみます。

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「それってほんと?」という質問は、話している友人を疑っているわけではなく、話している内容を疑っているのです。

「俺のことを信じてくれよ」の回答は、私はその友人は信じています。しかし、話している内容を信じてないので確認を求めているだけです。

この話のかけ違いって、日常会話で多いな〜っていつも思っています。

経験値が高いこととか、人格が素晴らしければ、発言や行動がすべて肯定される風潮っていかがなものかと疑問を感じているからです。

野球選手で例えるならイチローさんや大谷選手の行いや発言は、見事な実績に裏付けされています。しかしそれは、それぞれの個性に応じた行動であって、万人に向けて肯定されるものではないでしょう。

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マスコミの煽り方や、著名人のネームバリューの頼った広告も、ひとつのマーケット戦略であることを認識しておく必要があります。あくまでも、物を売るための手段。

たとえば、書籍を買う時に帯宣伝に踊らさせてませんか? 
『あの〇〇さんの推奨本』を見ただけで購入。 

そして、読んでガッカリって経験ありますよね。これって、ちょっと考えればわかると思うのですが、あなたに向けて発せられたメッセージじゃないんですよ。不特定多数の読者が、「私のために」って誤解させるキャッチコピーなんですよ。

その背景も知らずに、読後感が帯宣伝に合致しないのでは、読者自身の読む目的設定ミスなのでしょう。

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私もどちらかというと経験値の高さから影響力を出す方だったんです。「まこさんの言うことなら信じるよ」と、鵜呑みにする周囲の人たちの存在が気になっていました。

オイオイ、経験と一般論で話しただけだよ。
あなたのためだけのアドバイスではないよ。
ちょっとは自分の頭で解釈して判断しろよ!
っていつも思っていました。

まるで、まこさんが死ね〜! っていったら死ぬのか? 
って感じです。そんなに信じるなよ。


本当にその人自身を信じる場合と、
話している内容を客観的に自分が判断して信じる場合
の2パターンに分かれると思います。

本当にその人自身を信じる場合は、
その人の経験エピソードを参考にしたいという意味でしょう。

一方、その人が話している内容を判断する場合は、
データソースを確認します。さらに出所を掘り下げます。

ネットに書いてあったなら、
公的機関のようにオフィシャルな見解なのか?
アマゾンやヤフコメなどの個人レベルのコメントなのか?
Twitter,InstaなどのSNS情報なのか?

それをデータソースとして信じていいものかどうかは
判断が分かれるところだと思います。



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私は会社員の時、業務として医学会や医学文献に関わる業務に携わりました。医学雑誌に投稿するための文献を執筆したり、あるいは共同著者として執筆をお手伝いする業務も経験しました。

医学雑誌に投稿するためにはピアレビューを受け、その審査をクリアしなければ、雑誌には掲載されません。

査読がどのような基準で行われるかは雑誌により違い、1つにはリファレンス参考文献の数です。そのリファレンスも口コミでは当然ダメで、インパクトファクターの高い文献掲載のDataである必要があります。主に英語文献が前提で、日本語文献はインパクトファクターはゼロです。

インパクトファクターの高い文献と言うのは、たくさんのレビュアーが厳しい査読を経て、掲載許可された文献であるので、信憑性が高いと言うわけです。

インパクトファクターについての記事を参照)

その信憑性の高い文献を引用して、そこに書いてある論点を自分の持論と掛け合わせて討議すると、自分の文献の信用性は上がる傾向にあります。

そしてリファレンスに用いる文献はひとつではなくて、数十報とある程度の文献数が必要です。

当然リファレンスに掲載しない文献も読んでいるわけですから、引用文献数はその人の勉強量に比例する背景もレビューには届くでしょう。

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また、PowerPointを作成してレクチャーをする業務も携わっていました。新しい領域を社員に教えるときに、持論を展開して話すと言うのはご法度です。

信憑性の高いデータと出所を提示しながら解説をします。基本的に、自分の意見はほぼ入れないで、世の中で認められた情報を話すだけです。

そのまま話すだけでは、伝わりにくい部分に、自分の解釈をする事はあっても、自分の意見を入れて話すということは避けるようにしていました。

医学知識を教えるときには、どこかに教科書があるわけですから、その文献をすべてのスライドに全て出典先を記載する習慣がついていました。

それによって、聴講者からPPTの内容について疑いの質問を受けても、私の話し方に対するクレームは真摯に乗って受け止めますが、内容は文献に基づいて話しているので、その疑問は却下します。

もし内容に疑問がある場合は、文献を読んでください。と一貫して貫き通すことで私の応対は終わります。

言い方はちょっとずるいですが、私は横に置いといて、ただの代弁者のようなものが実際の社内でのトレーナーの役割です。

私は個人的な意見を盛り込みすぎるために話はわかりやすいと賞賛される一方で、ちょっといい加減と言う烙印を押されていましたけどね。


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さて、noteですが、完全に出典を無視して、自分の持論だけを書いています。

会社のように間違ったことを言って責任を問われることもありませんので、自分の思いのだけをただ書いているだけです。

せっかく浮かんだアイディアを記録しておくのに、最も適したプラットフォームだと思ってnoteを活用しています。

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タイトル:「経験値が高ければ行動や発言が肯定されるという思い込み」 このタイトルを付けたのは、SNSマーケティングの時代において、個人ブランディングが重要な位置付けにあります。

信憑性の薄い肩書に踊らされてないように、情報を自分ごとの置き換えて解釈して、判断しましょうと言いたかったのでタイトルとしました。



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フィリピン、セブ島のNPO法人DaredemoHeroへ寄付します。 私の人生に大きな転機となった団体で、里親支援を続けています。 子どもたちの大学卒業までの学費支援等、教育資金に活用させていただきます。 ホームページ→ https://daredemohero.com