制作物以外にも完璧主義が
わたしは「完璧主義だよね」とよく言われていた。そして、それを褒め言葉として受け取っていたのだが、時を経るごとにそれが弊害となっていった。どういうことかというと、完璧主義者にはいいこともたくさんあるのだが、悪いこともたくさんある。いいことは今回の趣旨から外れるので置いておいて、悪いことで言うと、極論として製品を開発しなければならないが、いつまで経っても製品が出来上がらないなどである。リーンスタートアップが話題になってからというものの、制作物に関しては完璧主義は捨てた。一時は捨て過ぎた時期があって、品質が低下し過ぎてそれも大変だったのだが、現在はちょうどいいバランスになっていると思う。そして、最近気がついたのが、完璧主義はまだまだ私の中で蔓延っているということだ。具体的な話をこれからしようと思う。
わたしの場合の制作物以外の完璧主義というのは、日常生活でも完璧を求めているということである。そして、それが気が付かないうちに「影響の輪」と言われる、「自分ではどうにもできないこと」にも及ぶ。とても簡単な例を挙げてみる。道を歩いている場面で、こちらがルールを守っていて、相手が守っていなかった時などでも負の感情が少し出てくることがある。特段相手に指摘をするわけではないのだが、この場合は気にするだけ無駄なのだ。相手がルールを守らないのも自由だと思う。もちろん自由には責任が付随する前提だ。そして、わたしの行動も誰かの負の感情になっている可能性もあるが、それを直そうなんて考えるのはそれこそ完璧主義だ。相手のことを配慮して行動しすぎるなんてのも私のよく言われることなのだが、いい結果が出た試しがなく、それも完璧主義の中に入ると思う。これを掘り下げると、自分勝手や優しさなんて題材になりそうなのでこれ以上は省略。そうすると、負の感情を持っていること自体がおかしいと気がつく。これは後で冷静になって分析しているからこういう話ができるわけで、咄嗟の場合はそうそうできることではない。他社からの指摘があるからこそ、世の中がよくなっていくから、指摘することを辞めてはダメだという意見もあると思う。しかし、私の場合は、この例程度ではもちろんそんなことはないが、負の感情と闘って疲れ果ててしまうことが結構ある。なんとか心の平穏が保てないかと考えたときに、私には完璧主義を捨てることから試す価値があると感じた。
残りの数ヶ月はこの完璧主義も壊して、今年中により多くの平穏な心の時間を取り戻せるように努力しようと思う
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