見出し画像

研究者のキャリアパスvol.1~理想と現実、そして未来への希望~ #フェロー寄稿

Project MINTβ版パイロットプログラム0期生フェロー黒田垂歩さん(タルさん)にお話を伺いました。

本日のテーマは、「研究者のキャリアパスとアカデミアの未来」についてです!

タルさんは、日本、そしてアメリカで長年アカデミアの研究者として働いた後、製薬会社へ転職しグローバルに活躍中。現在は「日本のライフサイエンス・エコシステムを構築し、活性化する」というビジョンのもとに、ヘルスケアの未来を見据え、本業・複業を通し自身のライフビジョン実現に向け精力的に活動をしています。

順風満帆に見えるタルさんの経歴ですが、研究者のキャリアを経るにつれ自分の理想と現実との間で葛藤が多くなり、製薬企業へのキャリアチェンジを決断したそうです。

アカデミアから企業へ、と思い切って転身されたタルさんのもとには、現在、これから研究者を目指す若者や、かつての研究者仲間からの相談がしばしば舞い込むとのこと。

「研究者になりたいのですが、将来に不安があります、、」
「このまま研究を続けていていいのだろうか?」
「研究から離れた場合、どんなキャリアがあるのでしょうか?」

実はあまり知られていない研究業界について、そのリアル、理想と現実の狭間で生まれる葛藤、そしてアカデミアの未来へ向けた熱い想いを語っていただきました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 今回、自分の研究者への道の原点を探るうえで、小さい頃のことを思い出してみたんです。
 まず、僕は小学校の頃すごく良い先生に出会いました。その先生は理科が専門の先生で「自身の好奇心を大切にしなさい。教科書から学ぶだけではなく、君のなぜ?を大事にしなさい」と常々仰っているような方でした。
 自由研究のテーマを決める際に、僕は「石鹸ってなんだ?」とふと疑問に思ったんです。本で調べてみると、ラードに試薬を加えて熱したら石鹸になる、という作り方が書いてあったので、先生にこの実験をしたいと伝えるました。すると先生は、こころよくOKしてくれた上に「試薬があるから、理科室でやってごらん。内緒だけど、劇薬庫の鍵をかすよ。」と言って下さったんです。今考えたら危ない実験を小学生の自分によくやらせてくれたと思いますが、本当に心からウキウキした記憶として残っています。いろんな方法を試したあげく、ひと夏かかっても結局石鹸にはならなかったのですが(笑)、今となってはとても良い思い出です。また、NHKスペシャルの「人体」をみて”人の身体ってまるで小宇宙だ!”と純粋に感動しました。これが自分を研究者への道に向かわせたきっかけですね。

ーーなるほど。純粋な興味と好奇心ですね。

 これらが原体験となり、大学では当時バイオテクノロジーの最先端だった分子生物学を専攻し、大学の研究室ではガンをテーマに研究を行いました。実験はとても面白く、すぐにのめりこんでいきました。部活に参加しているような感覚でしたので、やらされてる感じは全くなく、夜中1時くらいまで実験し翌朝10時にはまた研究室に舞い戻るような生活を送っていました。
 自然と、研究室内ではとても密な人間関係が出来上がります。年上の先輩はなんでも知っている親のような存在で、何も知らない私に手取り足取り全てのことを教えてくれました。研究室の頂点にいる教授は、まるで神のような存在です。もちろん尊敬の念はありますが、逆らえない絶対的存在でもありました。教授自身も自分が絶対的存在であることを分かっていて、それを利用するんでしょうかね。学位を与えるかどうかや、スタッフの昇進など、教授が一手に権力を握っていますから、アカデミアというのは本当にヒエラルキーが強い環境でした。それに加え、「教授が言っていることだから正しいはず」という権威バイアスも強く存在する世界です。実際、教授の意見ひとつで若い研究者が何年かを棒に振ることは少なくありませんし、私自身も研究者社会のダークサイドを経験することが時々ありました。

ーーそれは厳しい環境ですね。

 そうですね。本来学問の世界というのは、実験を通して自然の真理を解き明かす、とても純粋な世界なはずで、人間臭さは排除されるべき場所ですよね。「偉い人がこう言ってるから」といって優劣が決まるようなことはあるべきではないと思うんです。でも現実はそうじゃありませんでした。例えばNature、Cell、Scienceといった知名度の高い雑誌に論文を出すには教授のコネがどれくらい強いかが影響しますし、また教授選考の公募には業績だけではなくて推薦者の権力が働いたり、足の引っ張り合いなんて事もあります。むしろ研究界の閉鎖性から、普通の社会より人間臭いかもしれません。

ーーそれは驚きです。でも研究者って、社会の役に立つ研究をやれて幸せな仕事なのでは?

 本来は自分の興味・関心を追求することで、人の役に立つ研究になるのがベストです。10年後か、あるいはそれが50年後であっても、その研究が誰かの役に立つのであれば喜ぶべきでしょう。一方、残念ながら大半の研究論文が何の役にも立たず図書館に収められているだけというのは事実です。多くの研究費の出どころが国民の税金という事もあり、その研究にはどんな費用対効果があるのですか?と問われる事になります。そうすると、自身の興味・関心を追求したいだけ、といった趣味のような研究では、なかなか研究資金が付かないというのが現実です。
 また研究者は、研究を続けるためには研究資金を獲得し続けなければならない。資金獲得のためには少しでも良い雑誌に論文を掲載させなければいけない、というプレッシャーにいつもさらされています。そうすると研究者は「論文に掲載されるためだけの研究」を自転車創業で続けることとなり、自身の興味・心の声に従った研究や、本当に社会の役に立つであろう研究をやっていく事が難しくなるのです。プレッシャーから研究不正が起こる事も珍しくありません。ピュアに見える研究者といえど、そういった構造的ジレンマに挟まれた存在である事を私自身、強く感じました。
 そんな世界で研究者を10年やったのですが、私は徐々にこのままで良いのかと疑問を感じる機会が増えました。

ーー純粋に研究だけに没頭できる環境ではなかったんですね。

 研究テーマの行き詰まりや研究環境の閉塞感とあいまって、私自身は30代後半に壁を感じました。自身の研究テーマを大きく変えることも考えたんですが、ほとんどの研究領域で誰かが既に何かをやっているため、それは他人の家に土足で入りこむような形になり、簡単ではありません。構造的に子弟制度が強いことも関係しているでしょう。このまま研究を続けても私が目指していたトップクラスの大学教授にはなれなさそうだ、そして自分の研究は大局的に見れば重箱の隅をつついているようなもので、本当の意味で人の役に立つ研究にはならないのではないか、という無力感も。当時は行き止まりの路地に押し込まれた気分で、どうにかそこから這い上がらなくては、と必死でもがいていた気がします。

vol.2へ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?