日本人の心の原点【礼&礼節】
「礼節」とお辞儀
お辞儀は、
相対する人を尊び敬い(リスペクト)し、
その相手へ自らの心と意識を
リアルに表し伝えるために行います。
リスペクト(敬意表現)即ち、
相手に対する【礼】を表す「人間力」です。
人は自らの心で、己の態度や言動を
見つめることで自分自身の品位を築き
それを高める働きをします。
お辞儀を始めとした【礼法】を自分のもの
とすることは、「心法」とも言うべき
自らの品位を高め品格を育むことです。
お辞儀は心を清らかに澄まし、心身の姿勢を正し、
もの静かに屈体し、頭(コウベ)を下げ行います。
どの様なお辞儀でも、最後は必ず無心で
頭を下げることが作法とされています。
「意識を正し、儀礼を尽くしつつ、
後に作法に徹すべし」
ということの実践が大事なのです。
📚辞書検索ー国語辞書
【威儀】挙措動作が礼式にかなっていること。
また、礼式にかなった、重々しく
威厳のある態度・動作。
【儀礼】 慣習によりその形式が整えられている礼法。
礼式。
一定の形式に則って行われる宗教上の行為。
古よりお辞儀は、
己の身を小さくすると言われております、
また、
人間の身体で最も弱い部分である
頭を相手の前に差し出すことから、
「私にはあなたへ敵意はありません」
「あなたへ敬意を持って接します」
と言うことを表しています。
別な捉え方として、お辞儀は対面し、
接する相手に「思い遣り」=思いを届ける
の意を表現する目的があり自らの心を、
相手の心へ近づける意を表すために、
胸から前に出すように意識し、
腰から折り曲げてするとも言われます。
ですから心(心臓)ある上半身を
正対=相手に向けて行うのです。
お辞儀(礼)は日常生活、ビジネスの場、
接客接遇サービスの場などあらゆる場面で、
円滑で潤いのある人間関係を築くために
無くてはならない行動(行為)であり、
相手に対する己の心の姿勢、思い遣りや
敬意を表現伝達する為にするのです。
この原義原則を知ると、
決して疎かには出来ないと自覚できます。
「礼」は、
人相互の軋轢(アツレキ)を防ぎ、行動に
根拠を持たせる、当然の作法のこと。
礼儀・礼節と言った秩序。自らの行いを
丁寧にすることを「礼」と言います。
元々は宗教儀礼でのタブーや伝統的な
習慣・制度を意味しています。
後に、人間社会の上下関係構築の上で
守るべきことを意味するようになりました。
儒者の中でも、性悪説の立場に立った
荀子は特に「礼」を重視したと言われ、
五常の「仁」のみであってはいけませんし、
「仁」なくしては礼はあり得ないと言われる。
大人と子供の違いは、
「礼節」が何たるかを知り、
身に着けているか、否かです。
この「礼節」を弁えてこそ、
初めて一人前の社会人と言えます。
自ら謙遜し、相手を尊び敬い(リスペクト」、
「礼」を其の場、其の時の状況(Т.P.О)に
応じて自らの行動が出来るように、
弁え態度に現すことを「節」と言います。
※人の世に秩序を与える礼儀、
礼節は、仁を実践する上でとても大切です。
親や年長者、目上の人に礼儀を尽くすこと、
自ら謙虚に遜り、相手に敬意(リスペクト心)を
持って接することを礼と言い、場合に応じて
自分を律し、節度を持ち行動することが節です。
【礼】は勇気を表す
(可否の意思表示、断る、諭す、外す、
叱る、謝る、無視しない、など)
※以下の内容は自らの学びと課題でも
あることを予めお知らせしておきます。
今の日本は少子高齢化の個人中心の社会に入り、
安心安全を過度に意識ずるばかり、
自己(自社・自店舗)の都合や保身、
自分の行為行動に対する人の思惑・目
や過度の自己表現情報に左右され易く、
本来の自分の持つ意見(表示)や備え持って
いる資質を適切に表せなくなりつつあります。
喩え、肉親や親しい人であっても
人の心は見え難く、理解し難いものです。
現代社会は人の思惑を気にするわりに、
自心が見えない人、知ろうとしない人が
多い中確りと自心と「向き合いっている人」
は人望があり、結果、幸せを手にしています。
その人達に共通して言えることは、
自分の弱さを認め(自省)、相手を立て
勇気(=相手への礼)と節度を備え、
キッチリと先を見、人を受入れ許し、
筋道・人道=理(道理)弁え持ち、
自らYESとNOが言える人です。
以下は、
「断る勇気」≒『礼』を必要ないと考え、
或いは備えてない人は、どんな人なのか?
を記しててみます。
〇「自分の発した言葉に責任を持たない人」
(口先ばかりの人)
〇「他人の思惑や目を極端に気にする人」
〇「いい人と思われたいと意識している人」
〇「世間体や体裁を気にする人」
〇「内面より外見を美しい、可愛いと見られたい人」
≒「外面(ソトヅラ)が良い」
〇「保身優先思考の人」
≒「立場の保護・自己安全」
〇「敵を作るのが怖い人」
≒「いい人に成りたい」
〇「人間関係を損ねるのを恐れるあまり、
拒否をすることが出来ない人」
〇「何事、何人に対しても都合のいい人でありたい人」
⇒「信頼を誤解して受け止めている」
〇「人の意見や提案に対してNOと言えない人」
≒「曖昧で実行力が伴わない」
〇「頼まれごとをしたら、嫌だとは言えないけれど、
実際は何もしない人」
〇「断ってしまった後のことばかりを思い巡らす人」
〇「利己主義なヒト」=「自己中」
〇「生きる目的が、己だけの楽しみにある人」
〇「見栄っ張り」「自信過剰」な人
≒「自己顕示が強い」
〇「己に自信がない人」
≒「ネガティブ思考の人」
〇「己の感性を重んじ、人の話を受入れない人」
〇「其の場しのぎをする人」
〇「笑って逃げる人」
〇「お人好しな人」
(「いい人」と「人柄がいい」は異なります)
〇「人が心から信じられない人」
≒「裏切られた体験がある」
〇「性悪主義」≒「性善説を信じない」
〇「二分の一の思考を持たない人」
〇「利益中心主義な人」
≒「お金で何でも手に入れられると考えている人」 ・・・等々。
追記)
上記の項目は、あくまで現在までの
体験と様々な学びから載せております。
この項目は、読まれる方への押付けでは
ありません故、御自分の判断でお決め下さい。
『礼』敬い、心を尽くす心身の活動
現代社会の人間関係では、
『礼』の心が疎かになっているのでは?
と感じられることをあちこちで見受けます。
例えば、
喪中なのに「新年おめでとうございます」
と言った挨拶言葉を平気で使ったり
先人への節度の無い対等の言葉使いや
無礼な態度、敬語を使えなかったり、
教えを受ける人に「参考に成ります」
と平気で話したり教えて貰うだけで
その経過を返さなかったりすることを
成さない大人が増えていると思われます。
即ち、
利己的な『礼』を尽くさずとも生きられる
と安易に考える人が多い?と思われます。
少しでも多くの人達に『礼』の大切さを
知って頂きたいので以下、孔子の論語の
一部と学びのメモから記します。
「仁」によって育まれた気持ちを
『礼』に依って形とする。
仁のみであってはいけませんし、
仁なくして『礼』はあり得ないと言うこと。
即ち、『礼』は「仁」の心を具体的な
心身の活動として、表したものです。
元々は宗教儀礼でのタブーや伝統的な
習慣・制度を意味し、後に、人間社会の
上下関係で守るべきことを意味する。
また、武士道の基本とされる
『礼に始まり礼に終わる』
柔道の『自他共栄』
も多く知られています。
また孔子の論語の中にある
以下の語に「礼」の心が窺い知れます。
『礼を学ばざれば、以って立つことなし。』
[季子第十六]
『礼を知らざれば、以って立つことなし。』
[尭曰第二十]
以下[原文の意味・解釈]
(学びメモより転載)
孔子は長男の伯魚に、
庭先で「礼」を学ぶことを強くすすめた。
「礼」を知らないと、人格形成が出来ず、
人間関係がうまくいかないからだ。
伯魚の告白によれば、
直接の父である孔子から教えを受けたのは、
庭先で会って「詩(学問)の勉強」と
「礼の勉強」を薦められた。
それは、この二つだけだったと言っている。
(転載終)
「庭先での教え」は、さしずめ現在なら
ば家庭で親が子に教える「躾教育」です。
また、孔子は「礼儀作法」を重んじた。
「礼」を知らない「無礼者」になるなと。
「礼」とは「礼儀作法」のこと。
今流に言うと
「礼儀」は「マナー」と「モラル」、
「作法」は「ルール」「規律」
と言ったことでしょう。
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