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人と繋がり御縁を育む-二つの認知活動


承認欲求満足

人と繋がる御縁は!

人間関係や日常生活で未知の方との「御縁」
天の何らかの意図で授かった「御縁」は大切
に受止め捉えねばならないと実感しました。

このnoteを始め何らかキッカケで得られた
有難い天からの御縁は、まず互いが一人の
人間として認め合わなければ生まれません。

芽生えた御縁もお互いが様々な承認認知=
認め合う活動に努めなければ育めません。

松下幸之助氏が言われた
「縁ありて、花ひらき 
 恩ありて、実を結ぶ」

は、気付かされ教えられることが
とても多いと感じられる名言です。

名言に加えました

卒爾乍ら上図の
仁ありて種となり、徳ありて芽吹く
の文言は私の学びや体験から加えました。

人間は、
因縁と言われる縁と恩による眼に見えない
多くの人達に支え生されていると解します。

自分が今生かされ、仕事させて頂いている
と言う現実は「御縁」の賜物です。

その「御縁」に拝謝の気持ちと言える「恩と義」
を以って、触合う人様に平らに尽くせる人間
でありたいと解し大切と心に刻んでおります。

“天上から神が心や行いの良い人に限らず、
 誰にでも平等に縁を与えられる”

と聞いたことがあると覚えています。
また、“嫌いな人は運命の人”とも言われます。

それは、人と人を繋ぎ、リアルな「モノ」と
何らかの体験から心に生まれるバーチャル
な「コト」を結ぶ不思議な力を持っています。

人間は、
何んらかの目的や目標の達成のために努力
を惜しまずして行かなければなりませんが、
ただ努力したのみでは成功はありません。

現状に安住してはならない目先の損得より
「縁」「恩」「義」「礼」を大事にすることが大切
と今まで何度となく実感しています。

この縁は、「合縁奇縁」(会縁機縁)とも言われ
人為的ではない不思議な力があります。

その力は顧みると先ず、
自らの気持ち次第、と気付かずに与えられた
何らかの御縁を無駄にすることもありました。

「御縁」は人生の歩みで生き様に生かすことで、
己の心(人間力)を育むと歳を重ね気付きました。

この御縁も然り、総ての人間関係構築も
認め合う」こと無しでは成り立ちません。


また、最近知ったことですが
女性アイドルグループ櫻坂46の楽曲にも
秋元康氏作詞の「承認欲求」がありました。

少しは承認欲求満足の意が若者達の心に
響くと良いと受止めています。

人間関係の総ての源「認め合う」活動➡承認欲求満足

私達はリアルバーチャルな他者に支えられ
生かされ、承認認知されながら日々仕事や
生活をしていられます。

誰でも他人に何かを「認められたい」と思う
気持ちは人間である以上多少なり持っいて
当たり前でないかと思います。

一方、他人に対して
「認められたい・認めて欲しい・認知させる」
と言った他者に「見返り」を意識した我欲活動
=気持ち、言行態度は良い結果を得られない
と数々の体験より教え気付きました。

自らの心に対し、都合の良い言い訳や嘘を
ついてしまうことも心の弱さを「認知する」
活動と言ってもよいでしょう。

また「認められたい」思う人は自分の弱さを
知っている「寂しがり屋」の人が多いようです。
(私もその一人です😪)

周り人に、
心から「認められたい」と思い願うならば、
積極的に承認認知活動に取組むことです。

例えば、挨拶

😊挨拶の語彙を知り誰にでもこちらから
  進んで挨拶する人。

😀認められたいと見返りを求める思いで、
  こちらから積極的形ばかりの挨拶する人。

😀その時の気分(感情)次第で挨拶をしたり
  しなかったりする人。

👧🏻好きな人、認めて欲しい人、無理にでも
  認めさせたい人だけに挨拶する人。

🙂挨拶された人だけに挨拶を返す人。

このように挨拶の心身の活動一つでも、
個性的で色んな認める活動があります。

『見返りを求め、望む』心身の活動

即ち、
他人に「認められる」ことは無私の気持ちで
「認める」ことの結果と受止めることです。

何らかの見返りのために「認めて貰いたい」
や「認めさせたい」、「自己アピール(顕示)」
を意識してする言動態度は「認められない」
要素の一つになると心得て置きましょう。

若い頃、よく先輩に言われました
お前は、人の話を聴かず、
 自分のことばかり話してる。


このように話す癖がついたのは振り返ると
子供の頃から、両親に自分を認める言葉を
全くなかったことが原因かもしれません。

また、
暫く前とある職場で見聞きしたことですが、
上司が差し出した本に部下と思われる人が
有難うございます。参考にします。
と言ったことで叱られているのを見ました。

その上司は、
「お前は、大馬鹿者だ」と叱っていました。

では、なぜ?叱っていたのでしょうか?

その時部下が「参考にします。
は自分主体に思考する利己的な一人称、
学ばせて、頂きます。
は話す相手を立てる二(他)人称で、上司を
リスペクトする敬意の表れと謙虚で素直な
意識の表れと言うことを、部下に気付かせ
たかったのではないでしょうか。

上司に、前の言葉の表現法として
学びに役立たせるための
 参考資料とさせて頂きます。

と部下が言ったらどうだったでしょうか?

敬語は勿論のこと、このようなことも、
上司への敬意表現「認める」ことです。

何気ないちょっとした言葉遣いに、
その人の心の位置や意識(姿勢)が表れます。

常々「当たり前」としている言葉の中にも
「認める心」=認知「信認」の度合いを窺い
知ることが出来ると心得て置きましょう。

そして、
このような「当たり前」と「認め合う」と言う
承認欲求=認知の心身の活動を進んでする
ことで「人と和し繋がり」を創出し育み豊か
に出来る、誰もの心の中に存在している
幸せ💖を運ぶエネルギー(源)です。
これは触れ合う人を『思い遣る心』です。

現代社会に必要な認知能力&非認知能力

これに大切なのは、人の心の在り方
本質を基礎能力とし備え持つことです。

非認知能力


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