“自ら発した言葉”の重さ
🍀言葉の重さ、大切さを知る
自らが発した何気ない“一言”に
貴方や組織の心が表れる、
と自覚していますか?
2014年半ばから数年間、認知症で
要介護(4)の母の介護をしてきました。
その間、介護に携わる施設の方や
その管理者の方、介護に関する
市町村や国の行政機関関連の方、
また、医療機関の方達の人々と
色々な角度で会話をしました。
ある介護施設の方との会話内容に
次のようなやり取りがありました。
母の介護のために冬の寒い日に
見えた施設の方へ熱いお茶をいれ、
また別な方達には、飲物やお菓子
を用意し、感謝の気持ちで
次のように声をかけました。
「いつもありがとうございます。
細やかな気持ちですが
どうぞお召し上が下さい。」
実際に母の介護をする方の答えは、
みんな全く同じ言い方で答えました。
『すみません、
私達首になってしまうので頂けません。』
こう言うスタッフの皆さんの返事を
素直に受けめれば、
▶そうか、介護スタッフに
余計なことはしないでいいんだ。
▶この介護施設は就業ルールがキチンとしている。
▶公私混同しない様に管理教育されている。
・・・などの意と、
この「一言」の言葉から感じ取れます。
今までの体験から、私ならば
「折角ですが、会社の規則で
頂くことが出来ません。
お気持ちだけ頂戴します。
お気遣いありがとうございます。」
※何気ない「首になってしまう」の一言に、
色々な意味が含まれています。
これを読まれた皆さんはどう感じ、
どのように受止められますか?
現在社会で話題になり、
様々な意識・思考が論じられいる、
ハラスメント・自己保身・忖度・
コンプライアンスなどに関すること
ばかり以外にも、何気なく発している
【ひと言の重さと大切さの自覚】
を意識して自らの声で発することは、
普段の社会生活上でも必要ではないでしょうか。
【言葉の重さ参考図】
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