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今私達に求められる【先ず人を思う心】

「思い遣る心」&互いに「認め合う心」

今、コロナウイルス変異株の影響で
私達は、様々な苦難や日常生活環境でも
多種多様な心身の苦痛を強いられています。

個人中心の社会環境で生活していても、
「和=調和」の心を古より大切にする
日本人としてこのような時こそ、
お互いがひとりの人として認め合い、
思い遣る心
を大切に生きたいものです。

この「思い遣る心」と言うと、
優しさとか相手を思う気遣いと
いったこと配慮が思い浮かびます。

他者を、「思い遣る心)を発動させるには、
その相手を「認める=認知活動」である
承認欲求満足が原点と言えます。

自らの愛するや大切な人に対し、
先ず互いが人として「認め合う」
心身の活動をし合うことから
「思いやりと優しさ、配慮」と言った、
互いが一人の人として深く理解し合う心、
克己利他の意識は欠かせないものです。

それは、
未知の相手や大切な人との心の繋がり、
信頼を作るために必要なものです。

📚克己利他-辞書検索

 克己心=自分の欲望や邪念を制し、甘えることなく、目標を目指して
    邁進しようとする、そういう強い心持ちを意味する表現。
   ≒自制心・自分の情欲と心をコントロールする
 利他=自分を犠牲にして他人のために行動することを利他的行動、
   自分自身のために行動することを利己的行動と言う。
   人々が利他的或いは利己的に行動することを社会的選好と言う。

さて、この心に生まれる「思い遣り」とは、
一体どのような心身の活動なのでしょうか?

このような「思いやり」を知り自の心に
植え付けることは、人として認められ
愛され信頼され、周りの人々に安心感を
与えるためと共に自分自身の幸せを掴み、
自制し様々な犯罪を未然に防ぐため、
少子高齢化社会で生き抜くモラルや
奉仕の心を身に着けるためと言った
いつの時代でも不変な社会生活に於いて
生きるための人間関係の原点でその礎です。

人間

しかし、
情報溢れた現在社会の未来を担う社会人は、
なぜか人として生きるために必須であり、
大切であるこの「思い遣り」について学び、
進んで身に付けようとはしません。

◆どうしてこの大切な生きる為の知恵を知り、
 学ぼうとしないのでしょうか?

◆一々学ばなくても、生きながら学び知る
 ことと勘違いしているのでしょうか?

◆個々人の生き方があるから、
 他人から学ぶ必要がない、
 と考えているからでしょうか?

◆個の意識が強く、
 自分は一人で生きていられる
 と勘違いしているからでしょうか?

◆今が楽しく愉快に生きられれば良い、
 と思っているのでしょうか?

◆それとも、学び知る必要がない
 と考えているのでしょうか?

◆目先や現実を重んじ、
 今は必要ないと考えているのでしょうか?


誰もが当たり前に理解し、知っていると
勘違いしている人を想う「思い遣り」は
今後の少子高齢化社会に不可欠であり、
人として生きる普段の生活や社会に
於いて人的弊害(犯罪)を未然に防ぎ、
色んな問題を解決する元(要素)となり、
笑顔で幸せを掴む【心の礎】と思います。

思い遣りの活動

そして、
この思い遣りの心を備え持つことは、
様々なコミュニケーションを始めとした
人間関係力の礎であり、源であり、感謝、
マナー、おもてなし、ホスピタリティ、
C.S、E.S、謙虚さ、敬意表現、誠実さ
などと言った心を生かし表現伝達する、
人間として欠かせない大切な要素の一つです。

日本が現在入った少子高齢化社会環境、
コロナ渦以前からの不安の拭えない
様々なコンプライアンス無視・モラル欠如
などの社会環境、格差や個の意識の高まり
に依る孤立化、ニートや引きこもり、
そして人としてあるまじき子供の虐待、
辛く悲しい犯罪やいじめ、ハラスメント、
孤立死や孤立による自殺者や殺人の増加、
このようなことの起因・要素・要因・誘因は、
個人中心の社会環境になり安心安全・保身、
利己的意識が日常生活で優先するが故に、
他者を人として「認める意識」である認知
承認欲求満足の欠如に故と思います。

詰り、
円滑な人との関わりや繋がりに
決して欠かせない心身の活動が、先ず
「人を認める」「人を思う」心身の活動
であるのでないかと思われます。

この「認める」言行や態度、意識は、
「信認」「思いやり」「利他心」の
表れで、それは「情けは人のためならず」、
逆である因果応報にも繋がると思います。

最近多くなっている、
いじめ・DV・誹謗中傷」は
認めずに無視する」ことが
原因で起きていると思われます。

それは、対面、非対面(リアル・バーチャル)
に関わらず、日常生活の挨拶や仕事上の
メール・SNSのメッセージに表れます。

例えば、対面時、
挨拶をしても「無視・気付かないふり」
をする「糠に釘」の態度、心無い挨拶、
SNSツールで何らかの答が欲しくてメッセージ
を入れても「KS」既読スルー行為もその一つです。

喩え、このような方と友達になっても、
心に蟠りが残り、御縁が育めず長く続きません。

時に、相手への心のポジションが現れ、
醜く悲しい結果を生む場合もあります。

このような
「認めない」行動や言葉、態度を取るのは、
利己意識の表れそのものであると同時に、
相手に対し何らかの見返りを心のどこか
で求めている結果だと考えられます。

人は或る程度の立場になると「意地を張る」より、
「非を認めて謝る」方が難しくなります。

プライド≒自尊心ばかりが強く、
片意地を張る人に沢山出会いましたが、
本心から謝意を示し頭を下げられる人
はあまり出会ったことがありません。

今後の社会を担う経営者、提案。指導
する立場のコンサルタントの方々にも、
このような謙虚に礼節・義を重んじ、
人を思いやる利他の心を備えて欲しいものです。

対人関係の基礎要素

どんな立場の人でも、
己に否があればそれを認め、潔く謝る。」、
この姿勢.の奥底には、自分の心と
対象となる相手への「謝意」「言訳しない」
ことは勿論、「感情の制御・慎み深さ」
「素直・自他を認める・礼を尽くす」
「受容・誠実さ・謙虚さ・敬意表現」
と言った心と共に「人の道(道理)」
「人としての正しいこと」
「自分と向き合う」「自心に嘘をつかない」
「相手を立てる」「筋を通す」と言った
人間としての真摯な気持ちがあるのです。

「筋を通す」だとか「道理」「人道」とか、
「節度」だとか古臭い言葉かもしれませんが、
「筋」を通すことは、古からの仁義とも解せ、
日本人の大切な「武士道」の「義」の精神です。
人の道=「道理」に従わねばどんな事も
失敗する可能性大と体験から断言できます。

このような心の軸を支えている【心の礎】は、
認め合う」(信認し合う)ことが原点です。

一言でいえば、
『思いやり』の【心の礎】であり、
不可欠な人間力の『源』
であります。


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