「天職」(=好きなこと)と「適職」(=できること)の違い
(いろんな人がいろんな意見をこのコンセプトに関しては言っておられますが、私が常に使っている定義、となります。私独自の考えではないです。色んな人のアイディアが混ざってます。)
「天職」は君たちが「やりたいこと」、そして「お金」と「時間」に関係のないこと。「適職」は君たちが「できること」、そして自分ができることを社会に貢献しながら時間で切り売りする、ということです。
高校の時野球をしていました、サッカーをしていました、音楽をやっていました、高校のとき将来はプロになりたかったんです。でも諦めました、という学生、よく会います。ここでいつも聞くのは、「君は野球をしてフェラーリに乗りたかったのか、それとも野球が好きだったの?」と。学生の答えはいつも一緒です。後者。あれ?好きだったらやったらいいんじゃないの?といつもいいます。社会人になっても、週末でも、仕事の終わりにでも、例えば少年野球とかのお手伝いとかもできるし、「好き」なことはお金と時間に関係なく、続けてください。
「適職」は君たちができること。これは、例えば会社に入ってお給料をもらった時点で、それは君が「できること」となります。お金をもらい、社会に貢献することです。社会が、君が働くことになる会社のサービス・商品を求めているからこそ、その会社にお金がそのサービス・商品の売買などを通して還流してきます。会社で、またはバイトで働いているだけで社会貢献なんて…、と感じるかもしれないけど、これは立派な社会貢献です。
ここで言いたいことは、天職と適職は完全なる別物だ、ということです。日本でよく言われる「やりたいことを仕事に」というのは間違いです(と私は思っています)。もちろん年齢を経て、その二つが重なるときが来るかもしれませんし、ひょっとして若いときから、卒業してからすぐ重なった、という人もいることもあります。が、卒業してすぐに、天職=適職、となる人はまずいない、と思ってください。
あとは「好きなことを仕事に」という概念は、自分が本当に好きなことに失礼です。自分がお金と、時間に関係なく、とにかく好きなこと。これをお金と時間の世界に引きずり下ろすなんて、自分が本当に好きなことに本当に失礼だと思いますし、100年の人生において、自分が好きなことこそが自分の人生を(お金と時間の次元ではなくて)豊かにしてくれる、と思います。
でも適職に関して言うと、全く好きでもなんでもないことなのか、というとそうではなくて、この天職と適職、両方のルーツ、根っこにあるのは「ワクワク」です。ワクワク感をなのでちゃんと追い求めていって下さい。
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