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最小限のリスクなのに、死ぬほど怖かった初めての起業

前回のつづです。

香港系不動産投資会社にいた頃、
不動産×ITの新しいサイト構想の話ばかりをしていた同僚がいた。
同じタイミングで、私も不動産×ITのサイトを作ろうとしていた。

二人でそんな話で盛り上がっていたある日、
「顧客にIT関連企業の経営者で投資家の方がいるから、とりあえずIT業界がどんな感じか聞いてみないか?試しに会いに行ってみないか?」
とその同僚が言い出した。
僕はもちろん二つ返事で同意した。

海外の方で、非常に多忙な人だったのだが、有難いことに15分間だけ時間をもらうことができた。

そしてアポイント当日。
不動産投資会社に勤める2人が会いに来たので、先方には不動産投資に関するアポイントだと思われていた。
15分という時間は、リアル不動産と投資の話だけで直ぐに終わってしまった。
「もう少し時間が欲しい」と申し出てみたら、なんと夜にも時間をいただけることになった。

そして夜。3人でいろいろな話をした。
不動産投資会社で働く僕ら2人はITの話ばかりをし、IT企業の経営者である相手は不動産投資の話ばかりをしていた。
全く嚙み合っていなかった記憶だ。

いよいよ終盤にさしかかったところで、
突然「君たちは会社をつくる気はあるか?」と質問された。
僕たちは「はい」と即答した。
正確にいうと、なんとなく状況的に即答するしかなかった。

次に「じゃぁ、1か月後にプレゼンしてみるか?」と問われた。
これまた同様に、僕たちは「はい…。」と返答。
その場で、1ヶ月後に会社をつくるためにプレゼンテーションすることが決まった。


ITではなく、不動産投資会社の設立構想だったが、
それからは必死で、ものすごいページ数の英語のプレゼン資料をつくった。

何に投資するのか、
なぜ今なのか、
どういうスタンスで投資するのか、
何処に投資をするのか、
何故日本なのか、
リスクはなんなのか、
会社にはどのくらいの資金が必要か、
5年後の予想P/L、B/Sは… 障壁は… と尽きない。

1ヶ月後。
この資料をもって、プレゼンテーションをした。

しかし結果は、惨敗だった。

「全く面白くない」
「こんなんだったら今まで通りサラリーマンやっとけば」という反応...。
悔しかった。

それから幾度となく、修正を重ねていった。
投資家であり経営者である彼はとにかく多忙だったので、たまに週末にカフェで会う程度だったが、3人で子どものように会社設立までの過程を歩んでいった。

おしゃれをした女性が余暇を楽しむカフェで、オジサン3人が同じ向きで席に座り、PCを見つめながら、大声で仕事の話をしている。
どう考えても場違いだったが、気にもならなかった。
夢中だった。


そして2014年の3月。
夕食を共にしてから、ちょうど5ヶ月後に、やっと3人で会社を創ることに合意できたのだった。


このとき僕の心の中は、楽しさと怖さが共存していた。


不動産管理会社からキャリアをはじめた僕は、いまや外資系の不動産投資会社にいる。
不動産業界というのはきっちり区切られた業界なので、管理業から投資業のように、その壁をまたぐキャリアステップを歩む人は少ない。
そんな「普通なら簡単ではない」と言われるキャリアを歩んできたことで、僕は周囲からは一目置かれることも少なくなかった。

それが、起業となれば大失敗する可能性だってある。
積み重ねてきたものがなくなってしまうのではないかと、不安でいっぱいだった。
恥ずかしい話だが、不安から「本当に会社を設立すると一筆ほしい」なんて、投資家の方にお願いしたこともあった。


今になってみれば、それは世の中を知らなかった私の要らぬ不安・焦りだとわかる。
投資家が資金を提供し、単なる雇われ代表になる僕にとっては、最小限のリスク。
起業なんて言えるほどでもない。
事業部の部長に近いぐらいのものだろう。

それでも、ずっとサラリーマンをやってきた自分には、大きな決断だった。


こうして、僕たちは株式会社KGキャピタルを設立し、僕は代表取締役になった。

次回へつづく。

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