介護小説《アリセプト〜失われる記憶》⑲
そんな記憶の断片を思い出していると、
「今日はゆっくり休みな」
と井上さんに言われ家に帰って行った。
いつも会社まで自転車で来ているが、歩いてゆっくりと家まで帰った。
自分の住んでいる街に、高齢者がこんなに住んでいると思わなかった。
授業でも、どんどん高齢化が進み日本はどんどん少子化社会になっていくと習った。
自分の住んでいる近くにも沢山の高齢者が住んでいるし、孤独の老人もいるのだろう。今迄はそんな事を考えた事もなかった。
コンビニで働いていても来る客層は学生やサラリーマンが多かった。
朝と昼はレジ打ちで時間があっという間になり、深夜の時間は酔っ払ったサラリーマンを相手にする事が多かった。
コンビニという狭い空間で、高齢者が歩くのも大変だし、品物を一つ取るのも大変だ。何よりコンビニという狭い空間で車椅子が通るのが大変だ。
東京という土地では、バリアフリーに特化が厳しいのだろう。
帰る途中にも高齢者が手押し車を押しながら、歩いていた。介護保険という制度の中で買い物を一緒にしたり、どこかに行きたい所に行くのは不可能だった。
僕が会社に入って家の掃除、食事の準備・介助、トイレ介助(オムツ交換等)お薬を飲むのを見守り(服薬管理)が多かった。
生活をする為に援助するのがヘルパーの主な仕事だった。
利用者さんでは、食事の準備や家の掃除をしている時に昔の東京について話してくれる人も多かった。
例えば、戦争の話は1番聞けた。
「東京は焼け野原になって、私たちはジャガイモとか芋ばっかり食べてたからご飯はイモはあんまり食べたくないの。っていったら神様に起こられちゃうね」
と、戦時中の厳しさを語ってくれた。
戦争については、学校の教科書で第一次世界大戦と第二次世界大戦を習ったくらいで、第一次世界大戦は日本が勝って、第二次世界大戦では日本が負けて大変な思いをしたという事くらいしか分かってなかった。
当時の現状を知っている人も、そのうちこの世からいなくなってしまうのだ。僕自身も体罰というものがなくなって、廊下に立たされたり、先生に叩かれたりする事は一度もなかったし、見かける事もなかった。
昔の人の話を聞くと、同じ日本に育っていない感覚がしたし自分が戦時中ならば、生き残れなかったと感じる。
今の日本を支えてきた高齢者に、敬意を払うという理由はこういう所からも来ているのだろう。
活字を読む事が苦手な僕は、帰りにTUTAYAにより戦争の映画を一本借りる事にした。
高齢者の戦時中の話を聞いて、少しでも理解しておかなければいけないし、興味がわいたし、日本人として知らなきゃならない真実だと感じた。
介護を本気で変えたいので、色々な人や施設にインタビューをしていきたいので宜しくお願いします。