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日本はなぜ停滞したのか?ーイノベーションしてこなかった理由を考える

 日本は、理工系、社会科学系などの研究や制度・政策のイノベーションが停滞し、世界の中で、研究や実践の遅れをとっている。教育系も同様である。教育ならパーソナライズドラーニングが主流になっている。もはや人間が多様化し、国際的な人権感覚も高まっている以上、オーダーメイドの時代になっている。

 しかし、日本ではなぜか、そのようになっておらず、画一性が重視され、実践が先進国から20年遅れになっている。その理由は何だろうか。

 第一は、2000年ごろから始まった国際共同研究に日本人研究者が充分参加してこなかったことである。結果、日本の技術や知恵は、国際的枠組みの蚊帳の外に置かれ、ガラパゴス的な進化とその逆機能をもたらした。

 第二の理由は、日本全体がアメリカやヨーロッパに学ぶ意識が、1990年頃に なくなったことである。当日、日本の経済力は世界で最強であり、大企業がアメリカのビルを買収した。アメリカにもう学ばなくてよいのだという意識が芽生え、学問や技術への国際的なアプローチの芽が摘まれたのではないか。

 第三の理由は、学ぶことの楽しさや後伸びする力を、社会情動的能力育成との関連で、充分育成してこなかった点である。この問題には、高校入試制度によって中等教育の一貫性が阻害され、青少年の自我と自信がきずつけられていることも影響している。もう学びたくない、というのが大学生や社会人の多数の声ではないか。学びがなければ変化への対応やイノベーションの実現はない。

 第四の理由は、リスキリングや学び直し、修士や博士の取得が、出世の必須要件になっていない点である。外国では、管理職になる時や職位を上るために、修士などの学びの結果が高く評価される。日本ではそうではない。その上、前述のように、学ぶことの楽しさや後伸びする力は充分育成されていない。このため、リスキリングや新しい技術の受け入れに疎いのである。

 第五の理由は、学問や産業に関する知識や理論が日本では固定的である。そもそも、言語上や人脈の壁があり、外国の知識や技術との接続が弱いため、外国の最新の知見、理論、方法が国内に入ってこないし、興味を持たれないことすらある。

 第六の理由は、日本政府が国立大学法人への予算を削減し、国立大学法人の教職員数が減っていったことである。同時に、初等中等教育の予算が抑制され、そもそも公正予算(equity funding)の存在しない。教育への予算配分が十分でないと、最新の教育を実現できないため、イノベーション人材も減るだろう。

 第七の理由は、日本は短期的には、国内マーケットにおいてその場凌ぎの産業活動や出版活動、研究活動ができてしまうことである。結果、イノベーションが停滞しても、見て見ぬふりをするのである。それを指摘すると、いわば不都合な真実を明らかにしたことになってしまう。もし、人口の観点から日本が小国であれば、グローバルな動向に合わせないと生き残れないので、もっと対応が変わったと思う。

 2000年代以降のグローバル化は、インターネットの普及とともに拡大してきた。すでに20年以上の時間が経過している。日本の企業や大学の幹部や研究者には、国際共同研究への参画が推奨される。しかしながら、そのための動きはあまり活発ではない。このままでは未来の日本はどうなってしまうのだろうか。

(©︎ Dr Hiroshi Sato 2023)

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