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ChatGPTと教育―AI(人工知能)にどう向き合えばよいのか

ChatGPTとは何か


 ChatGPT(Introducing ChatGPT (openai.com))という人工知能チャットボットが注目を集めている。今後類似の人工知能チャットサービス(例:Google Bard)も公表されるだろう。

 「なんでも答えてくれる」「大学のレポートを代わりに書いてもらえる」という声が広まっている。「気楽にChatGPTを楽しんでほしい」という意見がある一方で、「非常に危険なものが生み出された」という指摘もある。

 ChatGPTに対する法的・倫理的なコントロールの仕組みはまだできていない。ChatGPTのAIも実は制御不能と思われる。必ずしも、正確な答えを出すわけではないため、留意も必要である。

 驚くべき点は、シンギュラリティが思ったよりも早く到来しそうなことだ。シンギュラリティは、簡単に言えば、AIが人間の頭脳を超えることを意味し、技術的特異点と呼ばれる。それは2045年に来ると言われていたのだが、ChatGPTの到来は、シンギュラリティがもっと早く来ることを予感させる。

 ChatGPTの登場により、シンギュラリティが始まったと見ることもできるかもしれない。それでもよいのかもしれないが、厳密には「シンギュラリティへの移行期」が始まったと指摘できる。「移行期」には、楽しみもあるだろうが、何らかの混乱も起きる。今後、インターネットが登場した時(Windows 95の登場は1995年)のように、大きな変化が起きるのだろうか。(参考:知らないと出遅れる「ChatGPT」台頭のインパクト | 特集 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net)

短期的課題


 教育、研究の観点から、短期的には次の点が検討課題になるだろう。

①レポートや作文をChatGPTに代わりに作らせる児童生徒・学生への対応方法。提出型レポートではなく、教室に集めてPCや携帯電話の使用禁止の状態でレポートを書いてもらうかたちになるのか。
②修士論文、博士論文、学術論文の研究倫理上の問題。
③差別などの人権侵害に相当する内容やサイバー犯罪の方法を、児童生徒・学生がChatGPTに教わった場合、どう対応するのか。

 短期的には次の点を活用または推進はできないだろうか。

①情報格差を縮小するためにChatGPTを活用する。AIの進展は「学習のパーソナライゼーション」「不利な状況の児童生徒・学生への支援」の発展に貢献できないだろうか。
②「医療専門ChatGPT」「法務専門ChatGPT」「カウンセリングChatGDP」のような専門的AIサービスは登場しないか。最初の相談相手としてChatGPTを無料で活用できるようになってほしい。
③ChatGPTの言っていることを理解し、発展的な学習や研究に結びつけること、あるいは、必要な問いを発することが求められる。そのためには、「グローバルな知識」「研究的思考」「センス」「倫理」「コンプライアンス」が重要になる。「ネットワーク」も重要だろうが、それは常識の域に入るだろう。

長期的課題


 長期的には次の点が重要になるだろう。AIサービスが「合理化・最大公約数化・標準化」を意図しているとすると、それに対する「センス」「意味形成」「分散」「多様性」「文化」「アート」が重要になる。

①センスが問われる時代になる。(https://www.city.fukuoka.lg.jp/data/open/cnt/3/43595/1/158.pdf?20190620114435
②合理化された情報に対する「偶発性」「分散」「相違点(多様性)」を楽しむ。
③文化への注目(人間、地域、国、国際的な文化)。
④アート(芸術、直観、直観的判断、「美しさ」)の再興。
⑤多様な人々が集まって創造的な仕事をする「クリエイティブ・ダイバーシティ」への着目。
⑥合理的データ主義へのオールタナティブとしての「意味研究」「質的研究」「事例・ストーリー研究」の展開。

これからの教育のコアー「問答法」


 AIの発展を契機に、「人間中心」「公正」「ウエルビーイング」の方向への軸を明確にすることが求められる。教育は、「記憶一辺倒の学習」ではなく、「際限なき探究学習」でもなく、ソクラテスやプラトンの時代の「問答法」に回帰すべきである。AIの発展により教育におけるコミュニケーションの重要性が増すとよく指摘されるが、その核心は「問答法」であろう。

 では、現在「問答法」による教育はなぜ消えてしまったのか? 近代教育の教育の大衆化(国家のための教育)によって、受験生が増加し、「問答法」による試験や評価が不可能になったためである。教師は、研究にもとづく「問答法」を児童生徒として経験していない。経験していないから、授業で「探究学習」を実施しても、「問答法」の実現に中々辿り着かない(一部の授業の達人は別として)。この意味で、日本の学習指導要領はもちろん、国際バカロレアのカリキュラムも見直しが迫られるだろう。

 ここで逆説的であり、未来空想小説のような言い方になるが、AIの発展に期待できないだろうか。すなわち、入試において「問答法」による一次試験を、信頼性・妥当性を担保したうえで、AIが個別に行うことは可能だろうか? 現状では試験官が不足するためそれは不可能である。だが、AIによる「問答法」の試験が可能になれば、ChatGPTに依存した学習はできない。ChatGPTを使わないで、「問答法」による試験に臨む必要があるからである。二次試験は人間の試験官が「問答法」を用いて担当すればよい(口述試験、論述、そのほか)。

 わかりやすく言えば、博士論文の口述試験のようなことを、大学受験で行うことになる。ここに「問答法」が復活する。「学び方」も「教え方」も革新するが、それは、ソクラテスやプラトンの時代への回帰である。ただし、問題は、そこに至るまでの「移行期」をどのように過ごすかである。2023年、「移行期」はすでに始まっている。

近未来に求められる能力


 Googleの検索が無くなったり、文章作成やスライドの作成が自動化する可能性はあるだろうか? 松尾(2023)は、その可能性が高いと指摘している(松尾豊「AIの進化と日本の戦略」2023年2月17日)(https://note.com/api/v2/attachments/download/a29a2e6b5b35b75baf42a8025d68c175)。その時、ホワイトカラーはどうなるのか。研究者の立ち位置は? そして教師は?
 
 安宅(2023)が指摘するように、ChatGPTを使いこなすことが、検索エンジンやDeepLを使いこなすのと同じように、求められるのだろうか(https://note.com/api/v2/attachments/download/3df0b96a2162dfde5924d897568fc58d)。その時、ChatGPTを使いこなすスキルだけではなく、「クリエイティビティ」「アート」「センス」が求められるのだろうか。もちろん、そのための「知識」がいらないわけでは決してない。それは、グローバルでネットワーク型の「知識」であり、エンゲージメント(夢中、没頭)につながる「知識」である。

「経験」と「アート」という座標軸


 「経験」「科学」「アート」の三角形(https://www.jstage.jst.go.jp/article/gbkkg/18/0/18_12/_pdf/-char/ja)で考えると、「科学」に関する情報をChatGPTが補完すると考えられる。ChatGPTで得られた科学的情報に意味を与えること、つまりセンスメイキングが教育の基軸となる。「経験」と「アート」は重要な視点となり、教科の学習にも反映される。「アート」には編集やプレゼンも含まれる。試験や授業の重要な局面では「問答法」が用いられる。ここに、これからの教育の道標がある。ソクラテスとプラトンが偉大なことを皆が理解するだろう。

                     (©Dr Hiroshi Sato 2023)



 

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