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M0-LIVE! ケース3:羽ばたけニワトリ

とある企業が発行した無制限無期限かつ支払い不要で使用可能なカード。それが発端となり、最終的に通貨そのものが無くなった世界。それは一体どんな世界なのか?
この物語は中学生への職業紹介講演という大役を請け負った男 斉藤正俊さいとうまさとしが、資料作成のための取材という体で「お金のない世界」を体験する、一種の思考実験である。
緒言(設定):お金が無くなるまでの話
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お肉3兄弟

不意に車窓から差し込んだ強い光が正俊の視界を奪う。
だいぶ角度が浅くなってきた西日は、またたく間に車内を夕暮色に染め上げた。

豊受とようけファームで大量に持たされたお土産野菜をトランクに詰め込んだ後、自走タクシーはナビに入力された情報に従い、滑るように道路を走る。

歩道と車道が完全に分離されている幹線道路を走る間は、信号で停車することも少なく、正俊はストレスのない移動時間を満喫していた。

ナビの表示で、目的地まで40分弱かかることを確認した正俊は、夕飯のメイン食材となるお肉に想いを馳せる。

「ビーフ、チキン、ポーク、ビーフ、チキン、ポーク・・・シーフードもありだけど、今の気分はやはり肉! 野菜たっぷりカレーとなると、やはりあっさりしつつも確かな旨味を醸し出すチキンか・・・いや、肉じゃがカレーという手もある。その場合は牛と豚による争いが起きる可能性があるな」

コック帽を被った牛と豚の睨み合いを想像し始めた正俊は、なかなか決着がつかない勝負に一石を投じるため、SNSに投稿する。

『野菜たっぷりカレーといえば、何の肉?』

何気なしに投稿したその文章は、まぎれもない爆弾だった

あれよあれよという間に牛帝国と豚王国が建国され、互いにスプーンとフォークを投げ合い始める。

収まりがつかないまま、後を追うようにチキン共和国が台頭し、三すくみの状態を形成した。

互いに一歩も譲らない姿勢は正に三国時代の再現と言っても良い。

ラム諸島や海鮮都市国家群は少数勢力であることを自覚しているためか、表立って参戦はしないものの、遠巻きに観戦しながら時代の趨勢を見極めようとしている。

右から写真が投げ入れられれば、左からは動画が流れる。

食レポライブを始める猛者が現れるや否や、スパイスの種を植え始める賢者が出現するなど、そこには(カレーの)全てがあった

投稿直後はニヤニヤ笑いながら増えていくリプライを眺めていた正俊も、関連投稿数が1000を超え始めたあたりから冷たい汗が流れだし、30分過ぎたあたりからは悟りを開きつつあった。

『良いこと考えた! 全部ミックスすれば最強じゃね?』

『『『『『その手があったか!』』』』』

猛々しく炎上していた戦場に、火消しミサイルを撃ち込んだ正俊は、その効果を確認するべく、リロードを重ねる。
皆が手を取り合って、平和のうちに解決するかと思われた矢先のことだった。

『いや、待て。これは孔明の罠だ。これは「全て入れれば解決!」なんて単純な話ではない。有史以来何千年の歴史を持つカレー道において、その存在が確認されていない、それこそが答えを示している。』

『どういうことだ? キバヤシ!』

『恐ろしいことに、全部の肉をミックスした味は混沌と化し、最終的に地球は滅びるんだよ!!(おいしくない)』

『『『『『『な、なんだってぇぇぇぇ!!』』』』』』

あまりにも激しい戦場の光景に、正俊は耐えられず、そっとウィンドウを閉じる。
心なしか寂しさを感じさせる車窓の風景に目を逸らしたところで、ナビが目的地への到着を知らせてきた。

先ほどまでの熱気が冷めやらないまま、正俊は食肉専門の小売店に足を踏み入れた。
店のそこかしこに『産地直送』の表示が踊っている。流通ルートが最適化された現在においては、生鮮食品において中間卸業を介することは珍しく、基本的に産地直送である。
とはいえ目につくところに書いてあるだけで、なんとなく『とれたて! 新鮮!』というイメージを持ってしまうところが、人間の性というものだろうか。

正俊はショーケースから少し離れたところに立つと、先ほどの戦場を思い出しながら考える。

「さて、今夜の肉はどれが良いのか・・・」

結局振り出しに戻っていた。
カレー大戦の火消しに失敗したことを地味に根に持っていた正俊は、いっそのこと全ミックスでおいしいカレーを実現し、歴史にあらたな一歩を刻み込もうかと考えたところで。

「全部入れるとかはありえん。どれか一つに絞れるまではこの戦いは終わらんね」

と、釘を刺すかのような言葉が後ろから聞こえてきた。

すわ戦場から落ち武者狩りが来たか、と一瞬身構える正俊だったが、まさか現場にまで影響することはないと考えなおし、声の持ち主を確認する。

振り向く先には、三人組の男達がいた。

「そうは言っても、この三人で話に決着がつくわけがないだろう?」

「鹿」

「じゃぁ、早いもの勝ちということで。おっちゃん、牛モモブロックで1kg」

「待て待て、そういうことじゃない。あ、おじさん。一旦ストップで」

「鹿」

「お前も、さっきからサブリミナル効果を狙ってるんじゃないよ」

「ばれたか。確かに狙っていた」

賑やかな調子で肉の吟味をしている三人組に、正俊は興味を惹かれた。

風体も様々で、きっちりと整えた角刈りでポロシャツを着た背の高い男。
二番目に背が高く、背中まで届くであろう長さのドレッドヘアを一つにまとめ、ダボっとしたTシャツとショートパンツに身を包んだ男。
そして、この暑さにも関わらず長そでのシャツとパンツに身を包んだ細身で金髪の男。

各々、肉に関しては一家言あるようであり、自分の主張は曲げないものの、互いの意見、特に肉に対する思いを否定することはなく、それも良いけどこちらも良いといった具合なこともあってか、そばで聞いていても嫌な気分にはならなかった。

また、「うちの牛なら・・・」「先週出荷した鶏肉だったら・・・」など漏れ聞く話の端々から、彼らが畜産関係の仕事に就いていることが伺い知れた。

この人たちならば争わずにアドバイスをくれるかもしれない、と淡い希望を持ち、正俊は声をかけた。

「すいません、野菜たっぷりカレーに一番合うお肉って何ですか?」

「鶏モモ肉」「牛バラ肉」「鹿」

失敗した。

自分の犯した過ちに気付いた正俊は、問いかける際に挙げた手のひらを、そのままヒラヒラと振りながらこの場を去りたい欲求に駆られる。

ひきつった顔で及び腰となった正俊に気付いたのか、角刈りの男が苦笑い交じりに話し始めた。

「申し訳ありません、私たちはそれぞれ違った畜産業に就いていましてね。互いに自分のところの肉を推したいものだから、そういった類の質問は必ず意見がぶつかるんですよ」

「そうそう、兄貴は鶏肉、俺は牛豚、そんで末っ子はジビエってな感じで。どう? バリエーション豊かでしょ」

そう続けたのはドレッドヘアーの男で、どうやら次男のようだ。

「野菜たっぷりカレーとは、またざっくりした条件。どんな野菜?」

前髪に隠れた眠そうな目をこちらに向けつつも、人懐っこそうに聞いてい来る三男に、正俊は少し安心しつつも、豊受ファームでもらった野菜の写真を見せる。もらった野菜が多すぎるというのもあるが、名前を知らない野菜も多々あったので、口で説明するよりも早いと判断したのだ。

「こんなかんじで、沢山もらったんですけど、どうせなら新鮮なうちに一気に味わいたいなと思いまして。それならカレーはどうかな、と」

食い入るように野菜の写真を見つめる三人は、ほぼ同時に答えを出した。

「「「鶏肉かな」」」

思いがけず同じ答えを出した三人に驚きながらも、正俊は続きを促す。

「その心は?」

「今回の主役は野菜ということなので、それぞれの味を引き立たせるならば、あっさりめの肉の方が良いかな、と」

「鶏肉ならば皮を取る、取らない、で脂の濃さも好みに合わせて調整できるし」

「モモ、ムネ、ササミ、と部位の使い分けもしやすい。柔らかさならモモ肉、あっさり重視ならムネ、ササミ」

「なるほど、あっさりならムネ、ササミですか」

「注意点としては、出汁をしっかりと取る必要があることです。なので、量は多めに入れた方が良いですよ」

「なるほどなるほど、勉強になります。それでは本日のカレーの肉は鶏ムネ肉にすることにします!」

「「「おおー!」」」

ノリ良く、拍手をしながら盛り立てる三人。
その流れに乗ってか、肉に詳しそうな三人に思い切ってあの話を投げかけてみることにした。

「お三方は畜産業に勤めていらっしゃるという話でしたが、これも何かの縁ということで、一つ相談にのってほしいことがあるんです」

怪訝な顔をする三人に、正俊は自分の職と、講演会の為の取材の話をする。
野菜カレーの件も、今日の取材先からいただいた野菜だというところまで話したところで、三人はそれぞれ納得したような表情を浮かべた。

「そういことであれば、是非協力しましょう」

「自分の職場のアピールもできるってんなら、願ったりかなったり、ってなもんよ」

「そう、渡りに船」

「ありがとうございます。本当に助かります」

快く引き受けてくれた三人に正俊は握手を求めた。



鶏の山

次の日、自走タクシーに揺られながら正俊が向かったのは、人里から離れた山の中だった。

三人と連絡先を交わし、日程を調整した結果、最初の訪問先となったのは長男の勤める職場である養鶏場『コケコ山』だ。
大分ユニークなネーミングに、思わず間違いではないのかと聞き返した正俊であったが、「見たままだから」と長男は笑いながら答えた。

実際、道端の看板にはデフォルメされた鶏の絵と共に『養鶏場コケコ山はこちら』と書かれているのを見てしまうと、本当だったんだと納得せざるを得ない。

雑然とした山中をしばらく進むと、右手に複数の建物が見えてきた。これが鶏舎だろうか。

かまぼこを半分にしたような独特な形状をした長い建物が縦に3つほど連なり、手前側の端には出荷用トラックが集荷場と思われるいくつものシャッターが並んだ建物がくっついていた。
事前に聞いていたところによると、半かまぼこ型の建物にくっついているのは鶏卵、鶏肉の加工場兼事務所らしい。

自走タクシーは事務所の入り口らしきドアに程近い位置に停車した。

降車した正俊は、待ち合わせの時間に遅れていないことを確認すると、ドアの横に備え付けられたブザーを押した。
そう待つこともなく、ドアを開けて現れたのは三人組の長男こと、佐山優さやま ゆうだ。

斉藤さいとうさん、お待ちしてましたよ」

「優さん、本日はよろしくお願いします」

「いえいえ、こちらこそ。来ていただいて早々なんですが、服が汚れると大変ですので、こちらの作業着を着てください」

そう言いながら、優は自らが来ているものと同じオリーブ色のツナギを正俊に勧める。
ありがたく受け取った正俊は、事務所に入ってすぐの場所にある更衣室で手早く着替えを済ませた。

「お待たせしました」

「はい、それでは靴もこちらの長靴に履き替えてください。いまから山を見てもらおうと思うので」

そう言いながら3足ほど並べられたサイズ違いの長靴を指し示す優に、正俊は疑問を投げた。

「山ですか? 鶏舎けいしゃではなく?」

「はい、今の時間は山に出てる鶏の方が多いので、まずは山から見てもらおうと思います」

「なるほど、平飼いというやつですね」

サイズのあった長靴に履き替えながら、正俊は以前聞いたことのある鶏の飼育方法を挙げる。

「確かケージ飼いとは違って、広い空間で育てるので健康に育つ、でしたか?」

「区分で言うと平飼いに入りますが、うちの場合はもう少し自然に近い状態にしているんですよね」

最後の仕上げとばかりに、作業帽を手渡しながら優は正俊に言った。

「そうですね、”山飼い”とでも言いましょうか。うちの鶏は言葉通り、山に住んでるんですよ」

鶏舎の裏手に向かうと、そこは確かに山だった。

鶏舎の壁から30mほどは平地ではあるものの、そこから先は木々の立ち並ぶ林と、足腰に負荷がかかりそうなほどの傾斜を有した山だ。
体力にそれほど自信があるわけでもない正俊は、これからこの山を登るのかと思うと、まだ登ってもいないのにふくらはぎが筋肉痛になったような錯覚を覚えた。
気のせいだが。

「どうです? 山でしょう?」

「確かに言葉通り。ただの山ですね」

そう返しながら、正俊は周囲の状況を確認する。
拓けた平地には30羽程度の鶏と100は優に超えるだろう雛の群れが、思い思いに過ごしている。
座っているものもいれば、あたりの地面をつつきまわしているもの、止まり木らしき平行棒に掴まっているもの、と様々だ。

養鶏場というと、鶏たちの騒がしい声を想像していた正俊だったが、雛の賑やかしい声が聞こえるものの、屋外の開放された空間においては風に揺れる木々の音にまぎれ、ほとんど気にならない。もはや静寂に等しいとさえ思えた。

「なんだか、想像していたよりも静かで、のんびりしている様子が伝わってきます」

「まぁ、屋外ですし、ここに集まっている鶏たちはごく一部ですから。早朝の鶏舎の中はもう、大騒ぎですよ」

若干の苦笑いを交えながらも、快活に笑う優だった。
話によると鶏たちは基本的に屋外、それも山に放し飼いにしているため、鶏舎に帰ってくるのは寝るためと産卵のためだけだという。

「餌なんかは、どうしているんですか?」

「給餌はドローンを使って山中にいてます。もちろん敷地内に限定して、ですけどね」

「撒いてるんですか!?」

予想外の回答に驚愕し、思わず叫んでしまった正俊に反応してか、近くにいた数羽の鶏が呼応するように甲高い声をあげた。
ばつが悪そうに口元を抑える正俊に対し、優は給餌方法について説明を始める。

「はい、毎朝山中にドローンを飛ばして、ランダムに餌を撒くようにしています。主な目的は鶏たちの運動不足対策ですね。言葉通り餌をエサにして、無理矢理にでも動く理由を作っているわけです。給仕場所をランダムにしているのは、環境に対する影響を平均化するためと、鶏たちの好奇心を刺激するためですね」

「なるほど、餌を探して歩きまわることで自然と運動量が上がる、と。環境に対する影響の平均化、というのは?」

「餌を撒くと当然集団で群がるわけですが、そうすると排泄や残餌ざんじもそこに集中することになってしまいます。人為的に清掃するにも限度がありますので、結果、発酵が進み悪臭が発生したり、周辺土壌の微生物バランスが替わることで植生にも悪影響を与える可能性があるんです」

「なるほど、周囲の環境にも配慮が必要というわけですね」

「ええ、我々は自然の中に居させてもらっている立場ですから、鶏はもちろんのこと、環境に対しても最大限に気を配るようにしているんです」

木々の隙間から見える太陽の光に目を細めた優の横顔は、どこか誇らしげなものに見えた。
それを見る正俊も、自身の胸の内が熱くなっていく気配を感じる。

優の内なる熱気に当てられているのかもしれない、と考えながらも改めて周囲を見渡してみる。

縦に並ぶ鶏舎を越えてなお、奥の山際まで2km程度は続いているであろう平地を眺めていると、あることに気が付いた。

「優さん、見たところ柵やフェンスといった類のものが見当たらないのですが、鶏の脱走や野生動物による被害の対策とかはどうされてるんですか?」

「実際のところ野生動物対策として、この鶏舎をぐるっと囲むようにフェンスを設置してはいますが、範囲が山一つほどありますので、ここからでは確認できません」

正俊は来るときに確認した周辺の地図を頭に思い描く。
山一つを囲むというスケールの大きさに、軽くめまいがした。

「とはいえ、相手は野生動物です。フェンスを乗り越えたり、穴を掘って潜りこむこともありますので、気持ち安心くらいなものですね」

「電気柵や罠などは設置しないんですか?」

「していませんね。さすがに鶏舎に近づきすぎるようならハンターに依頼することもありますが、基本的には放置です」

淡々と語る優の表情は、特に悲壮や諦観といった感情はみえない。それどころか、少し笑いをこらえているようにすら見える。

「鶏が野生動物に襲われることも自然のうちだと割り切っています。とは言っても被害自体はほとんどないんですよ? だから安心できているということもありますが」

「被害は少ないんですか?」

「ええ、うちの鶏たちは飛びますので、むしろ捕まえられるもんなら捕まえてみろ、といったところですね」

「と、飛ぶ?」

予想外の答えに、正俊は軽く狼狽えてしまった。

「はい、鳥ですから」

「あ、あぁ、確かに鶏も鳥、ですよね。ええっと、鶏って飛ぶんでしたっけ?」

「はい、もちろん。とは言っても渡り鳥のように長時間飛べるわけではないんですが、普段から生活している山の範囲くらいでしたら元気よく飛び回っていますよ。ほら、ちょっと山の木々の上の方を見てみてください」

優に促されるままに、正俊は視線を山の上方へと向ける。しばらく眺めていると、数羽の鶏が尾羽を優雅になびかせながら空を飛んでいる光景が飛び込んできた。

「おお、本当に飛んでる・・・」

「山の中に餌を撒いているだけあって、しっかりと体力がついていますからね。日が落ちるころになると、山が一回り大きくなったかと思うくらいに大群で鶏舎まで飛んで帰ってきますよ」

「それは、壮観でしょうね」

鶏が群れを成して飛んでくる様を想像しようとした正俊だったが、頭の中では上手く構成できず、夕暮れ時のカラスの大群を思い出しただけにとどまった。

「そのまま夜も木の上で過ごす奴も中にはいますが、大多数の鶏は自主的に鶏舎に戻ってきてくれますから、楽なものですよ」

「だいぶ開放的なようですが、その、逃げたりはしないんですか?」

「今のところ、逃げたという話は聞きませんね。まぁ、把握できていないだけかもしれませんが」

そう言って笑いながらも優はこう続けた。

「鶏たちが快適すぎて離れられない環境を、我々は提供できている、ということですかね」

山中鶏林

「それでは山に入ってみましょうか」

そういうと優は鶏舎の横に停めてあった電動バギーを指さした。
ある程度の山歩きを覚悟していた正俊にとっては、まさに天の助けと言ったところか。

慣れた様子で飛び乗る優に続き、正俊もそそくさとバギーに跨り、電源を入れる。
コンデンサーに充電される甲高い音が一瞬響くと、近くに寄ってきていた鶏たちが一瞬こちらを振り向くが、すぐに興味を失ったように土いじりに戻った。

「斉藤さん、ずいぶんと様になっていますが、普段からバイクに乗ったりするんですか?」

「はい、大好きなもので、通勤手段はもっぱらバイクですね。特にクラシカルなクルーザータイプのバイクが好きなんです」

「なるほど、それでしたら操縦に関しての説明は不要ですね。では私についてきてください」

山の中まで続いている、車一台分の幅に舗装された道をゆっくりと走り始める。
電動だけあって、静かに走るバギーからは、かすかなモーター音とタイヤが細かい砂利を踏みしめる音だけが聞こえていた。

「今日は天気も良いし、風も気持ちいい。絶好のバギー日和でしょう?」

「はい、これだけのんびり走れるのもバギーならではですね」

「ここでは鶏優先なので、バギーや車はゆっくり走るルールにしてあるんです。事故防止もそうですが、鶏たちを驚かせないことが第一ですね」

「なるほど、山の中はもう鶏たちの領域テリトリーなんですね」

「そうです、そうです。『お邪魔しまーす』といった具合ですよ」

道の脇に生い茂る雑草が、風に揺られて擦れるざわめきを背景に、二人は山の中へと入っていく。

作業用に舗装されたという道の両側に広がる林は、よく手入れされていて、やぶのように生い茂る雑草は見当たらず、あちらこちらに地面をついばむ鶏たちが散見される。

「よく手入れされていますね」

「はい、とは言っても範囲は作業道路から見える程度で、大体は芝刈りドローン任せですけどね。月に一回は職員総出で見回りをして、起伏の激しいところなどの刈り残しの処理をしていますが、奥の方は年に2回程度の手入れで済ませていますね」

「勝手ながら、自然の状態をそのままにするイメージを持っていたのですが、結構テコ入れはしているんですね」

何気なくつぶやいた正俊の言葉に、反応した優はバギーを停車させた。
すぐに隣に並んで停まった正俊に対し、優は苦笑いを返した。

「完全に自然な状態、というのが望ましいんでしょうけどね・・・まぁ、周りを見てみてくださいよ。何かに気が付きませんか?」

そう言いながら、周囲を示すように両手を広げた優に促され、正俊が周囲を観察する。

程よい木漏れ日が差す林のなかにはもちろんのこと鶏たちが思い思いに行動している。
上を仰げば、木の枝に掴まっている鶏たちの数も多い。

「うーん・・・当然と言えば当然ですが、そこかしこに鶏がいますね。というより、鶏しかいない?」

「そう、そこなんです」

回答した正俊に指を差し、それをそのまま周囲を示すように、指をくるくると水平に回すジェスチャーに変えながら、優はこう続けた。

「そもそもこれだけの鶏が外敵に襲われることもなく、一つのところに集中すること自体が自然とは言い難いですからね。その歪みをうまく調整してやる必要が、どうしても出てくるんですよ」

「歪みの調整ですか?」

「はい、先ほどドローンによる給餌について説明しましたが、藪や雑草が生い茂っていると、どうしても取り残しが増えてしまいます。そのまま乾燥してくれると問題ないのですが、じめじめした葉の陰などに放置された場合、腐敗しやすくなることもありますからね、そういった事態を防ぐためにも山の手入れは欠かせないんです」

「なるほど、環境を維持するためには人間が手を入れる必要がある、と。自然に任せるだけではだめ、ということですか」

「こういう仕事をしているとわかる。というか、感じさせられるんですが、自然は良くも悪くも、全てをリセットさせる方向に働いている気がするんです。人間に限らず、環境を自らの手で変えていく動物がいなければ、全ては緑に呑まれてしまう。だから、『生きる』ということは環境に対して影響を与えることと同義になります。たとえそれが破壊であっても維持が目的であっても、自然にとってはさして変わらないことなんじゃないかな、と」

優がそこで言葉を区切ると同時、木々の隙間を吹き抜ける風が一瞬強まり、二人が被っていた帽子を巻き上げた。

抑える間もなく高い木の上まで持っていかれた帽子にため息をついた正俊だったが、優はいたずらを思いついた子供のように笑うと、一息、指笛を吹き鳴らす。

すると、帽子の引っ掛かっていたであろう木の枝にとまっていた鶏が数羽、優の前に飛んできたと思いきや、なんと、そのうちの2羽はくちばしに帽子をくわえていたのだ。

「まぁ、仲良くなるとこういうこともあります」

片目をつむりながら、そううそぶく優につられて、正俊は笑いをこらえきれなかった。



卵とロボット

「それでは、鶏たちのマンションを紹介しましょう」

そう促す優に導かれ、事務所まで戻ってきた二人は、電動バギーを降りるとそのまま鶏舎の中へと入っていく。
入口で白いゴム長靴に履き替えると、踝くらいの深さまである消毒槽を通り抜ける。

「鶏たちが自由に内外を行き来しているので、消毒の必要があるかどうかという話はあるんですが、まぁ、念のためですね」

そう説明しながら、優は『大ホール』とプレートで表示された引き戸を開き、正俊を招き入れる。

「おお、これはすごい・・・」

足を踏み入れた正俊の目に映ったのは、まさにコンサートホールにも勝るかのように広い空間だ。

100m近い奥行を持つ鶏舎はずらりと並ぶ南向きの大きな窓と天井の半分を占める天窓、そして階段状に設置された無数のケージからなるものだった。
ケージといっても金属製の檻ではなく、図書館の本棚のように上下左右を木で仕切られたもので、正面は格子や扉もなく、開放されている。個々の棚の中にはわらが敷かれていることからも、そこが鶏のベッドルームであることがわかる。

階段状であるため、全体に均一に日が当たりつつも、こもったような暑さがない。
調整された室温と空調ファンによる適度な風もあるためか、非常に穏やかな雰囲気がある。

「斉藤さん、深呼吸してみてください」

目を輝かせながらあちこちを見ている正俊に対し、優はこう提案した。
若干戸惑った正俊だったが、試しにと深呼吸をしてみる。
初めは特に何も感じなかったが、2度、3度と繰り返すうちに、それに気づいた。

快適だ。

埃っぽさもなく、素直に深呼吸できる。
何よりも家畜特有の匂いがしない。日光に温められた藁の香ばしい香りが鼻腔をくすぐる程度で、鶏糞けいふんの臭いはかけらも感じられなかった。

「存外に快適なものですね」

「でしょう? 餌を屋外で与えているというのもありますが、十分なスペースと換気ができていれば、結構快適なものなんですよ」

「しかし、これだけ広いとなると、卵の回収作業は大変そうですね。あまり人が歩くようなスペースもなさそうですし」

「そこはそれ、文明の利器との共存ってやつですね」

そう言う優は近くの巣棚の奥を指さす。
釣られて覗いてみると、棚の奥は金属の蓋のようなものがあった。どうやら木製なのは表側だけのようだ。

「裏側にはこの鶏舎全体をカバーできる規模のロボットが仕込んであるんです」

説明によると、棚で産卵した鶏が食事のために移動したところを見計らって、奥の蓋が開き、その中からロボットハンド出てきて卵を回収するシステムになっているそうだ。
卵を回収する姿を見せないことで、余計なストレスを与えることもなく、回収した卵もそのまま消毒・分別・梱包・出荷に回せるため、特に人手がかかることもない。

「空いた時間の余裕分は全て鶏たちのケアに回せますからね、可能なところは全て自動化が基本です」

「なるほど、では逆に自動化できないところはどんなところですか?」

「巣箱の藁の交換ですかね。自動でできなくもないんですが、鶏たちも個々にこだわりがあるようで、気に入らない藁の敷き方だと入ってくれないんですよね」

「ということは、職員が手作業で藁を敷きなおしているということですね」

「そう思うでしょう? ところがどっこい。我々は人力ではなく、鶏力けいりきに頼ることにしたんです」

「けっ・・・鶏力・・とは?」

そう問い直した正俊に対し、優はにんまりと笑って返した。
なんと、鶏舎の各所に置かれたわら束から鶏たちに自由にもって行かせ、自分たちで巣作りさせているのだという。

「これなら、納得のいく巣になるでしょう? 古くなった巣から藁を掻き出すのは人の手でやっていますが、そのくらいならば大したことはありません。こういったことにおいても、出来るだけ自然に近い行動をとらせることが健康の秘訣です」

「まさに飼育というよりは共生を心がけているんですね」

「相手も自分で考えて生きている命ですから。何でもかんでも人間がコントロールするよりは、自分で選択して行動するほうが楽しくて良いでしょう?というのが、我々の考えですね。自分たちも楽ですし」

「それは確かに。ところで、他にも鶏力に頼っているところはありますか?」

「もちろんあります。産卵した卵は全てを出荷するわけではなく、一定数は孵化ふかさせて個体数維持に回しているんですが、その孵化と子育ても鶏力任せですよ

なんでも、成長して卵を産み始めてからしばらくは採卵することなく、そのままヒナまでかえさせるそうだ。
出荷に回されるのは産むのに慣れてきて、卵のサイズが安定してからにしているらしい。

「孵化の管理もヒナの面倒もそのまま鶏まかせ。楽だし、自然だし。なにより鶏たちが生き生きとしている。そんな気がするんです」



美味し肉

目を輝かせながら鶏達の日常を語ってくれる優に、少し気後れしながらも正俊は今回の訪問の核心にせまる質問を投げかけた。

「なかなか聞きづらい質問ではあるんですが、食肉の生産としては出荷までにどのような流れになっているんですか?」

「おっと、すいませんね。気を使わせてしまったようで・・・。それでは、食肉としての出荷の話は裏に回ってからにしましょう。鶏たちに聞かせる話でもないので」

そう言って優は正俊をホールの裏側へと案内する。
今度は鶏舎に隣接した事務所の入っている建物へと向かうようだ。

先ほど入ってきた引き戸を抜けたあたりから、優は正俊に説明を始めた。

「まずは、鶏肉として出荷される基準から説明しますと、基本的にオスは6か月~1年、メスは卵を産まなくなってからになりますので1年半~2年で食肉として出荷されることになります」

「必ずしも一律に期間を決めているわけではないということですか?」

「そうですね、それぞれの体調などを加味して出荷の時期を決めています。中には屋外にずっといてほとんど戻ってこないような例外もいますが、そういう場合は無理に捕まえたりはせずに、そのまま放置していますね。うちでは長老組と呼んでいますが」

「長老とはまた、威厳がありそうな呼び方ですね」

「実際そうなんですよ。山の整備に行ったりするとたまに見かけるんですが、なかなかの風格を醸し出していて、リーダー格として周囲を率いているみたいです。後から入ってきた職員などは自然と、「先輩」とか「老子」と呼んでいたりしますね」

説明を受けながら事務所にたどり着くと、作業服から元の服へ着替えてほしいというので、更衣室で元の服装に戻した正俊を、こちらも着替えを済ませた優が事務所の奥にある扉へと案内した。

「今着替えてもらってなんですが、この先はクリーンルームになりますので、また着替えてもらうことになります。今の服の上に重ねて着るだけですから、その点はご了承くださいね」

「はい、着替えくらいなら何度でも大丈夫ですよ。ところで、先ほどの話の続きなのですが、オスとメスとで出荷までの期間が違いましたよね。これは何故ですか? メスは卵を産むから、というのは分かりますが」

「単純に言うと肉質ですね。やはり年を重ねると硬くなってきますので・・・」

昔の業者は肉質の柔らかい若鶏が好まれていたため、食肉目的としては40~50日で成鳥と同じくらいの大きさになるブロイラー種を飼育することが多かったという。
また、過密飼育をすることで運動量を制限し、早期の重量増加と筋肉の柔らかさの維持を図っていたらしい。

利潤を追い求めていた昔とは違い、今は自分たちのペースで飼育も出荷もできますからね。その影響で、世間にもしっかり成長した鶏肉が出回ることになりました。もちろん柔らかい肉質が好きな人のための早期出荷分もありますが、逆に煮崩れしにくく、深みのある味わいを楽しめる成鳥や廃鶏の人気も出てきているんです。鍋料理や煮物、燻製などに最適ですよ」

「噛み締めるほどに旨味が口の中に広がっていく、というやつですね」

「そうそう、地味深い味わいがじゅわ~っと広がって・・・おっと、よだれが・・・」

唾液を飲み下しながらも二人はクリーンルームの前室に入った。
備え付けのロッカーから二着のクリーン服を取り出した優は、正俊に着用方法を説明する。

「まずは頭髪ネットとマスクを着用し、その上からこのフードを被ってください。ツナギタイプのクリーン服ですので、服の襟でフードの裾部分を覆う感じに着てください。あ、今来ている服はそのままで大丈夫ですよ」

「そして最後にゴム手袋をつける、と。目の部分しか露出しないんですね」

「はい、ですので。こうします」

そう言うや否や、優は傍らに合った粘着テープを30cm程度引出しては、正俊の胸と背中に貼り付けた。

「こ、これは?」

「識別用の名札ですよ。ここに名前を書きます」

優は貼り付けた粘着テープの上からマジックで「サイトー(ケ)」と書く。
(ケ)は見学者という意味を表しているとのことだ。

「これで準備万端ですね。それではこの先の加工区域を紹介します」

更衣室の奥のドアを開けると、そこは大人二人がぎりぎり入れる程度の狭い空間だった。優の後についてきた正俊がドアを閉めると、上下左右から空気が噴出してくる。

「エアーシャワーです。クルクル回りながら浴びてください」

2回程度回ったところでエアーシャワーが止まり、加工区域に続く方のドアのロックが開く音がした。

優に続いてドアをくぐると、そこには先ほどまでの牧歌的な雰囲気とは打って変わって、360°銀色に囲まれた空間が広がっていた。

設置されている装置や天井の配管、壁に掛けられている道具に床の穴あきタイルまで、どこまでも無機質な鉄の感触に、正俊は自分がコンテナの中に入れられているような錯覚を覚える。

「こちらが鶏の屠殺とさつから出荷までの加工を行う区画です。基本的には夜に動かしますので、今は静かなものですが。いかがですか?」

「いやぁ、思ったよりも工場っていう感じで、ちょっと気圧けおされているというのが正直なところですね」

「衛生面や清掃のしやすさを考えると、どうしてもステンレスで統一されてしまうんですよね。先ほどまでは自然の中ですから、落差は大分激しいですしね」

優は鶏舎側の壁の方まで正俊を誘導すると、加工区画についての説明を始めた。

「加工の大まかな流れを言うと、屠殺、血抜き、脱羽毛、中抜き、そして真空梱包、出荷となります。ここでは肉屋で並ぶような部位ごとの出荷はしていません。いわゆる丸鶏という状態で出荷し、小分けは肉屋さんにお任せしています」

優は鶏舎側の壁にあるシャッターと、その奥から延びている天井のレールを指さしながら説明を進めた。

「屠殺の工程ですが、まずは鶏舎の裏にあるロボットシステムで出荷対象となる鶏をこちらの加工場まで運んできます。屠殺の方法については、なるべく苦しい思いをさせないような仕組みをとっています。実は鶏舎の棚の一つ一つには気密シャッターが備えられていて、それを閉めた後に鎮静剤を含んだガスを噴霧。卵を回収するシステムは鶏舎の方で説明しましたが、屠殺の場合は卵ではなく意識消失した鶏を棚の裏からロボットハンドで搬出し、こちらの加工区画まで運んでくるというわけです」

天井のレールはロボット搬送用であり、それは加工区画の半分ほどまで続いているとのこと。

「運ばれてきた鶏は、始めの装置で首を落とし、そのまま血抜きします」

装置を指さしながら各工程を説明していく優に、正俊は時折相槌を返しながら続いていく。

「血抜きが終わりましたら、脱羽毛処理から中抜きまでを自動で行うラインに流します。その処理工程が終わりましたら、処理残しがないか目視確認。問題がなければ、そのまま真空パックしての出荷という流れです」

「そして各肉屋に到着したお肉を、私たちがおいしく頂いている、というわけですね」

そう続けた正俊に対し、優は満足そうに頷いた。

「ええ、その通りです。丹精込めて育てた鶏を出荷するというのは、やはり何も思わない、感じない、とはいきません。しかし、だからといって誰かに任せきりにするのも、見ないふりで放置するのも違うと思うんです。そこで我々『コケコ山』の職員は誇りをもって鶏たちを育て、出荷するためにモットーを掲げているんです」

「モットー、ですか?」

「はい、それは『私たちは鶏に生かされている』というものです。卵しかり、お肉しかり。だから、毎日敬意と感謝の気持ちで鶏たちの生活に寄り添わせていただいているんですよ。今日も私たちを活かしていただいてありがとうございます。おいしい卵、お肉を分けていただいてありがとうございます。それが私たちの合言葉であり、皆さんにぜひ知ってもらいたいことですね」

そう語る優の姿は、誇り高く。
気のせいか、かすかに後光が差して見える正俊だった。

「なるほど、それは確かに大切なことですね。頭では分かっていたつもりでしたが、ここに来たことで改めて実感がが伴ったような気がします。佐山さん、今日はありがとうございます」

「いえいえ、こちらこそ子供たちへの紹介を楽しみにお待ちしておりますので、よろしくお願いします」

互いに頭を下げ合いながら前室へと戻り、着ていたグリーン服を返却すると、優は正俊に先に事務所の入り口まで行くように伝えてロッカールームの奥へと消えて行った。
言われるままに事務所の出入り口で靴を履き替えていると、大きな手提げ紙袋を持ってきた優と目があった。

「斉藤さん、お土産です。どうぞ、昨日捌いた肉と、今日の朝採れた卵のセットです。おすすめは親子丼ですよ」

「うわ、こんなにいただいて良いんですか?」

はち切れそうになるくらい中身が詰まった紙袋に、若干の焦りを滲ませつつ受け取る正俊。

「食べ切れなさそうなら、ご友人や同僚の方々と分け合って下さい。皆んなでBBQをするというのも良いですね」

「ああ、それも良いですね。取り敢えず今晩はおすすめされた親子丼にしようかと思います。近所に行きつけのデリカがあるんで」

「それは頼もしい! 是非親子丼以外にも色々な料理を味わって下さい」

外から自走タクシーが到着したことを知らせるメロディが聞こえてくる。

「タクシーも来たみたいですので、これで失礼します。本日は見学をさせていただき、ありがとうございました」

「斉藤さんの活躍、期待していますよ。あと、また肉屋さんで会ったら、気軽に声を掛けて下さい」

「はい、佐山さん。その時はまたよろしくお願いしますね」

佐山に見送られながらタクシーに乗り込み『コケコ山』を後にする正俊は、傍の紙袋に詰まった肉と卵の重さを感じる。
心なしか、そこには単純な重さ以上の何かが重なり合っているように思えた。

「いただきます」

呟いた声は、西に傾きかけた太陽だけが聴いている。


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