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JR東日本を辞めて研修講師として独立した理由

研修で、何か質問ある人、と訊ねると、「なんでJRを辞めたんですか?」と聞かれることがあります。

いまでこそ、少子化やコロナ禍の影響で厳しい経営と言われているJR東日本ですが、日本を代表する大企業ですし、就職人気ランキングでは上位にあがります。「辞めたのはもったいなくないですか」と言われることもあります。

会社を辞めて研修講師として独立したのは、ひと言でいうと自分の大切なことを大切にしたかったということです。

気がついてみれば、独立してから15年。会社員として働いた10年間を上回りました。もちろん独立してうまくいったことばかりではなく、大変な思いも沢山してきました。最近ではコロナの影響で、研修の仕事は大打撃を受けました。

ただ、15年の中で、JR東日本を辞めて独立したことは、一度たりとも後悔したことはありません。

JRの新規事業の担当者だったころ、自分は新規事業を成功に導くビジネスリーダーになりたいと思っていました。ただ、グロービスでMBAを学び、他のビジネスリーダーを本気で目指す方々と交流していく中で、「自分は本当にビジネスリーダーになりたいのか?」と疑問がもたげ、混乱しました。

そんなとき、コーチングと出会い、自分が定期的なコーチングセッションを受けたり、コーチングを自ら学んだりしたりしました。

コーチングを通じて、家族がかけがえのない存在であることに気づきました。また「自由であること」が自分の大切な価値観であることが分かりました。

それまで、夜の9時、10時まで働くのが当たり前の毎日で、家事や子育てを妻に押しつけていました。2人目の子どもを産んだ後、妻は体調を崩してしまいました。

また、鉄道事業から関連事業、その中でも新規事業へと、より自由度が高い仕事を求めていったものの、挑戦よりも確実な仕事を要求される組織風土に息苦しさを感じていました。

そんな頃、当時出向していた先から本社に戻るとの話しがあることを聞きました。その部署は、Suicaビジネスを企画する花形の部署で、以前の私であれば、ぜひやりたいと思える仕事でした。

ただ、私はそこで、本社に戻るではなく、1年半の育児休職を取るという決断をしました。

その育児休職の最中に、コーチングの学びを深め、コーチングを活かせる仕事を探っていたところ、たまたまグロービス時代の講師の方が、紹介してくれたのが、研修講師の仕事でした。その縁で研修講師として独立を決意しました。

研修は年間多くても三分の一。登壇があっても遅くとも18時には終わります。たまに出張もありますが、多くは自宅から1時間以内です。

結果、ほぼ毎日、夕食を家族で共にすることができるようになりました。子ども達の病気や学校でのトラブルの際にも、率先して対応することができました。子供たちと遊ぶ時間をたっぷり取れました。

誰しも独立することを勧める訳ではありません。ただ、自分が大切にしたいことを大切にすることが、後悔のない選択をする上で必要だと思います。


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