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新月の使い方。意識的に取り組むことで自分を拡張していく。

これは新月を使った願いを叶えるということについて書いたものです。占星術やスピリチュアル全体を知らなくても問題ありません。それらに興味のある人も無い人も「自分の願い」っていうものを様々な角度からあらためて見つめて、もっともっと積極的に向って充実した日常を歩いていきませんか、というお話です。結構長めなので、読もうか迷った方は目次から直感でここって思ったところをお読みください。!(^^)!

新月のお願いごとは叶う、叶わない?

ご存じない方がいるかもしれませんが、新月ってお願い事をすると良いっていうことが世の中でよく言われています。そういった書籍も多く出ているし、新月に願いを書いたり言葉にしたり、時には絵を描いたりすること願いが叶うということなのですが、占いの本をよく読むという人や占星術が好きな人、とりわけ女子はそういうことに敏感です。
今回の記事は、占星術を全く知らない人やあまり詳しくない人に向けてよりわかりやすく「新月に願い事をすると叶う」ということについて書かせていただこうと思います。

私のところにセッションやワークにいらっしゃる方々の中にも、新月のお願いごとが好きで採用して願いを叶えているという人がいる一方で「雑誌や書籍に書いてあるようにやってみても、あれもこれも手に入らなかったし、彼氏も彼女も出来なかったし、いくら新月を使って書いたりしてみても全然願いが叶わない。だから新月で願いを叶える系のことはもうやめちゃったよ。」という人も結構いらっしゃいます。
ということで「新月に願い事をしたって叶わない」って言う人もいるのが現実です。

せっかく願いは叶うって言われているのに、自分にはなぜか当てはまらず結局は関係無いって事になってしまうなんて、ちょっとおかしい話ですよね。願いが叶う人と叶わない人と二通りあるみたいで、それはなぜかってことも教えてくれる人がなんだかいなくて。そのままでは本当はちょっと納得がいきませんよね。当たる人と当たらない人がいるのは最初から当然っていう話みたいで、願いが叶わないという体験をした人は「ハズレた気分」になってしまったりするかもしれません。

さて「どうして願いは叶わなかった」のでしょうか?
別の言い方も可能です。

さて「どうして願いは叶った」のでしょうか?
新月だから当たり前?
書いたから当然来るもの?

例えば、私のところにいらっしゃる方々の話を聞いていると、叶わなかったという人も自分の願いをしっかりと細かく「○○が手に入ります」とか、「私は○○になっている」「私は○○になりました」という風に肯定的な文章の書き方や現在進行形、あるいは過去形で書いていたそうです。だけど、それは来なかった。まだ来ていない、という現状にあるということで、叶うって言われているのに、なぜ願いが叶わない場合があるのでしょう?
その謎、少しずつほどいていくことにしましょう。

実は「新月に願い事をして満月に成就する」ということ自体に問題があるわけではありません。ここに問題はありませんし、嘘でもありません。
しかし新月から満月のサイクルを使って願いを叶えていくにはコツがあります。見落としてしまいがちな、けれども重要なことです。
そのコツとは、どういうことでしょうか? 具体的にお話ししていきましょう。

中身を注ぎ込もう

その前に。もうひとつ、チェックしておきましょう。
実際に願いを書いたことがあるという方は、その時のことを振り返ってみてください。
紙や手帳に願いを書いた時、その後はどのように過ごしていたでしょうか?

例えば、何か動きがやって来るのを待っていましたか? 
願いが叶ったカタチとして目の前に出現するのを心待ちにして、やって来るのをワクワクした気持ちで待っていましたか?
約束の相手が時間通りに現れるのを待っているみたいに、満月に叶うという出来事が自分の元にやって来る、ということを心待ちにしていたことはありますか?
心当たりがあるという人は、ここで願いが叶わない原因のひとつを見つけることができました。

願いが叶わなかった原因は「素直すぎたから」です。
聞いたまま、書いてあったまま、そのままをその通りにやっていたから、叶わなかったのです。言い方を変えると、新しく知ったカタチをただ真似ていたという状態が起きていたということです。形式に願いを当てはめてあとは任せた状態だったということです。
だとすると、願いを書いた後に少しずつ「願いを意識している」自分のエネルギーが尻すぼみ状態になっていった、ということが起きていた可能性があります。

新月の願いには、外から借りてきた「とある方法という型」と、そして自分から出る「意思という中身」を用意しましょう。

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最初が肝心、経過はさらに重要

実は、新月にお願い事をする時には、願いを書いた後の方が書いた時よりも重要です。願いをハッキリと意思している場合のエネルギーは減衰することはありません。生き生きと続いていきます。

振り返ってみましょう。
新月時にお願い事をしたことが無いという方も想像してみてください。

まず願いを用意して、紙に書いたとして。
次の満月に向かっての約2週間、さらに次の新月に向かっての約2週間、願いに沿った行動をどのように起こしていたでしょうか? 
どのような行動を起こすでしょうか?
このあたりにヒントがあります。

書いたことをにらみ続けていたという人もいます。
書いたことを忘れた方がいいっていうから忘れた、という人もいます。
だけど、願いは叶っていないのだそうです。

願いとして書いたことを見つめ続けていてOKです。問題ありません。
願いとして書いたことを忘れてしまっても、大丈夫、それもOKです。
では、問題はどこにあるのでしょう?

例えば自分の過ごしている24時間の中で多くの時間が無自覚な言動のあらゆることが自分の書いた願いに全て繋がっていて実現へと向かい続けている最中なのだ、と思えるでしょうか? そう言える状態でしょうか?
そのように信じ込んでいる自分がいるなぁと思う現実があるでしょうか? 

その場合には、無自覚な時にも願いに沿った行動を起こしていると自分を信じているという状態です。なので、そもそも新月満月のサイクルの中で願いが叶わないという結果を早々に自分に出すことは無いでしょう。
そういう人は失敗も滞りも邪魔さえもが全て願いに辿り着くために必要な体験であって過程であって、全て上手くいっている最中だと信じているからです。出来事によって一喜一憂して手元が止まるとか、目的に向うという道から外れていくということが無いのです。
意思を明確に発揮したということで、それに合った言動をし続けているのです。そういう場合には、書いたものを忘れてしまっても「潜在意識」にしっかりと願いが目的意識として入ってしまっている状態なので、願いに向けての実現が進んでいくことになります。環境が動くように見える現象とも出会うことがあります。
信じ込んでいることの効果は、とても大きいものです。そこにある無自覚な言動こそが願いを実現させる鍵になっています。そういう仕組みだと知って、自分の願いを信じ込んでいる人は、あらゆることが願いを実現していくための過程であることを理解している状態です。より願いに近付いていく言動が当たり前、日常がそれ仕様になっていくということを起こしています。

願いを実現していくということを、まずは腹で決めましょう。それは本気で手にすることを決めるということですが、現実に起きて成ることを「受け入れて決めてしまう」ということをわざわざ考えてみて、意識します。
それは願いを生み出すのも願いを叶えるのも自分なのだ、という状態を自分の中に起こすということです。
願いはなぜか叶う時には勝手に叶うものであって、と思っていたとか、そんな考え方は初めてだという方もいらっしゃるかもしれません。その場合には、これまで信じてきている自分にとっての当たり前の世界観を手離して、新しい考え方出会い、それを手に入れるということになるでしょう。
だとしたら、これまでは何をどのように自分が信じてきていたのかを捉えて、これまでの自分の歩き方をよく理解することができるチャンスです。
もちろんこれまで通りのやり方で行くという場合もあっていいと思います。情報として知った上で、好みであれば採用していただくといいでしょう。


常習的な他力本願は自分の可能性を閉じている?

情熱が続かないとか、すぐに忘れてしまうような願いだけど、それでもやっぱり欲しいからカタチになって自分の元へそのうちやって来るといいな、そしたら嬉しいな、というような願いも、ある程度叶うでしょう。
この場合、比較的身近な物質的なものに対する願いが多いと思います。渡してくれるとか買ってくれる人が出てくる可能性はあるのです。そういう貰うことが多いという日常を過ごしている方もいると思うのですが、それはこころの中で「願いを叶えたい」と思っているというよりは、数を重ねていくほどに「欲しい」から「何かをアテにする」という習慣になっていく可能性があります。いつかどこかで手に入らないとなると、怒りが沸くとかキレるという症状になることがあります。人を変えて同じことを繰り返すという場合もあるでしょう。
そういう体験をしたとしても、悪いということは全くありません。まだ他の可能性に気が付いていない、という状態だということです。そこで諦めることなく欲しいものについてとか自分のことを考え続けて探していく人は、願いを叶えるというのは貰うということではないんだなということにいつかは気が付いてしまいます。自分の力で何かを手に入れていくことや成し遂げていくことに気持ちが向いていくことになるでしょう。
他者や環境に多くを委ねて依存してきていた自分に気が付いた人は、やがて自分でどうにか立とうとし始めます。まだハッキリとした目的意識が無く専門分野を持っていない人とか少女の時代から次の成長へと向かう時に多く出現する場面です。

環境次第とか他力本願ではない自分の人生作りへ、ということをお話ししていますが、例えば願いっていうものは、叶ってやって来るかもしれないし、来ないかもしれないし、というハッキリしないものなのだと私達は端から思い込んでいる節があります。最初から無自覚にそう信じてしまった上で、日々生活している中で「叶うといいけど(叶わないかもしれないけど)」と深いところで信じてしまっていながら、叶いますようにと願いを持っている可能性が私達にはあるのだ、ということにお気付きだったでしょうか? 

もしどこかでそのように信じていたとしたら、願いが叶うことが無くても、どこかで「やっぱりそれもあり」だからねーと思っているということになります。表面で軽くガッカリして、また次に向おう、あるいは他の願いに向おうということになって、願いが叶わなかったことに対して「それは大事だ、大事件だ」という扱いはしていない現実を起こしている自分がいます。
願いの内容やサイズによって常識的に考えて、どこかで「まぁ、そうだよね。叶わないよね」と当たり前に思ってしまっているところが自分の中に存在しているとしたら、それ自体がもしかしたら問題だということなのかもしれません。「願いとは、叶わないものなのかもしれない」と信じ込んでいる自分がいるかもしれないのです。

とは言え、そんなにすぐに「じゃぁ、信じ込みまーす」と言って、願いは必ず叶うものだなんて信じ込むことが出来ないのが、多くの場合の私達でしょう。
信じようとすることは出来ても、本当か?なんて疑いが頭をもたげてきたりして信じ込むことが出来ないという状態がやって来ます。これまでの考え方が染みこんでしまっていて、新しい考え方が簡単には身に付いてくれないという体験です。

ここで諦めずに手を離さずに、自分のことをよく観察していく必要があります。どんな風にどういう瞬間に過去のやり方が頭をもたげてくるのか、どういう時に疑いの気持ちが沸いてくるのか、そこにこそある自分の持っている特徴や傾向を見つけることができるかもしれません。発見することが出来た時には、それ自体に振り回されることから少しずつ離れていっている状態です。
それは人生においての、大きな発見!ということになります。けして大袈裟ではありません。

そこでまずは、新月を誤解して信じ込んでいる自分がいるとしたら、その誤解を解いていきましょう。新月自体は願いを叶えてくれるものではありません。
新月は「自分の願いを叶えてくれる」という決定的な時間ではないし、そういう仕組みでも存在でも無いということです。

新月は、自分の目的意識を明確にし、行動へと移すための自己確認をするとよい時です。自らが能動的に使っていくタイミングということです。
なんだか新月の願いで願いを叶えよう!っていう魔法的イメージが無くなってしまったでしょうか…。

そもそも誰かが自分の目の前まで運んでくれて豊かになるということを望んでいるとしたら、それはまだ自分が持っている生命の可能性のほんの一部しか経験していないという状態であることを教えてくれています。だとしたなら、おめでとうございます。そんな方は可能性だらけ、その可能性は未知数です。
環境や他者に運んできてもらって受け取るという位置が当たり前になりすぎていたり、与えられることばかりを欲しがり続けていると習慣化し依存が強くなります。人を代え形を代え、期待と落胆の繰り返しという体験をすることが多くなる可能性が高くなります。
そういう場合には、まだまだ自分が伸びしろだらけであることを知ってください。自分の中には様々な可能性がまだ眠っているまま存在しているということです。
だったら、掘り起こさない手は無い!のではないでしょうか?

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そもそも新月って?

新月って太陽と月が重なる状態のことを言います。月は太陽と重なった後段々太っていって上弦の月へ、やがて満月を向かえて、空には真ん丸の月が昇ります。その後に月は少しずつ欠けていって下弦の月へ、さらにどんどん細くなり最後に形を失うように見えるという状態になります。それが皆さんがよく知っている新月です。月明かりの無い夜です。

占星術の世界では、ホロスコープという天体の配置図というものがあります。これは本当は「人間と宇宙の繋がり」を知るための手掛かりとなるものという大きな体系なのですが、現代では「アタリハズレ」の私達の社会的な欲求を満たすためのものとしての使われ方をしていることも多いのが現状です。
天動説に基づいて地球を中心に見ているのがジオセントリックという占星術です。どの時間に切り取っても、ホロスコープという図には太陽系の中に存在している天体が10個ちりばめられています。私達が生まれた瞬間にもその図は存在していて、出生図とも呼んでいます。生年月日と出生地と、正確にわかれば出生時間を用意して、このホロスコープを作ります。(ネットで無料で作れます)

このホロスコープという丸い円の図の中に10個の天体が存在していますが、これが私達人間の一人の中にある10種類の意識を表しています。この10個ある天体は私達の活動欲求を表しています。
この中に太陽と月も記号で書かれていて存在していますが、この太陽はあの空に輝く太陽とは実際には違っています。占星術で見ていく太陽とは地球のことです。私達が自分で自分を見ることができないように、地球は地球を見ることが出来ないので、外に見る太陽系の中心である太陽に自らを重ねて投影しています。
ホロスコープの図の中にある太陽である(地球)も月と重なって新月になったり満月という180度の位置関係になったりして、空に起きている太陽と月の関係のように刻々と動いています。

新月を向かえた月は太陽とピッタリ重なった時に太陽の目的意識を受け取ります。そして太陽から徐々に離れていく中で月は日常を進んで様々な体験をして願いに向けての行動をして、満月になった時に目的を達成します。満月は満ちる時で願いが叶う時とも言いますが、なにがしかここまでやって来たことの結果が出たね、という時です。
そこで、手に入れたものと、足りなかったものがあった場合には何がどうしてそうだったのかということを見直して考えて、あらためて目的に向おうとするタイミングです。精神的に自分の内側に見直したものによってその後の行動を変えていくことを考え活かしていくという時期です。そうして次の新月へと向います。

小さいサイズの願いは新月から次の新月という1~2サイクルという短い期間内で実現可能なこともあります。大きな願いになるほど新月~満月のサイクルを何回も重ねて実現して行くことになります。日食という新月の巨大版と言われているタイミングを上手に捉えて意識設定と行動をセットしていくやり方もあります。

太陽が月に目的(願い)を伝えます。
月は太陽から目的を受け取って、日常での実行、実働へと向かいます。願いを叶えるための具体的な行動が担当です。
これはいいことがやってくるから待っていようという姿勢ではありません。願いが向こうからやって来てくれて叶う時が来るからという待ち姿勢の考え方ではなくて、まったく逆の能動的な姿勢へと転換していきましょう! ということです。


期待ではなく、新月のタイミングを能動的に使う

毎回来る新月は、次の新しいワークのテーマと出会うことの出来る日、という捉え方があることをご存じでしょうか?

新月時の太陽と月が重なった12サインの中の度数が持っている象徴をサビアンシンボルという詩文のようなものから受け取って、その度数の持っているテーマを次の新月までの間の自分の成長のための目的にしたり自己を拡張していくためのワークとして捉えていくというやり方です。

時間のかかるような大きな願いを持っている方は、その願いを掲げながら、毎回の新月の度数のシンボルの意味を考えて自らの願いに向う姿勢や行動に調整をかけていくという使い方が可能になります。自分の視点以外の見方や捉え方と出会うことで、より広い視野に立って確かに実現化へと向って進んでいく自分を作っていくことになるでしょう。

自らが願いに沿った行動を起こして行くこと、自らが願いを叶えていく自分自身を信じることが重要です。
自らの意思を発揮して新月満月のサイクルと共に日常を生きていこうとすることで、自分の内面は明らかに変わっていくことになる、というのがこの新月をワークの日にしてしまうという効果です。
ものの見方や考え方がバージョンアップしていけば結局はそれは行動に表れることになりますから、社会での判断や言動にも違いが起きるでしょうし、出来事や経験の捉え方自体が何段階も変わっていくことになるでしょう。普通の状態からは考えることの出来ない、先を見るとか先手を打つということの上手な人になってしまう可能性を秘めているでしょう。

2020年8月19日には獅子座の「27度 夜明け」というサビアンシンボルでの新月でした。シンボルのおおまかな意味はこちらです。
自分にとっての大きな目的というものに出会った人は、ドラマティックな心情の中で外界に対して実際に行動し始めます。この手前の「26度 虹」という度数ではまるで天との契約の印に思える虹との出会いがありました。自分にとっては使命に思える大きなものと出会ってしまったのです。27度ではこれをいよいよ実践します。誰になんと言われたって関係など無い、そう言えてしまうような強い目的意識を持って環境へと飛び出して行き挑戦します。

自分にとっての大きな目的とか使命感を感じることなどについて考えてみるといいタイミングということです。このシンボルの表していることを自分の生活の中で採用してみようかなという方は、新月は過ぎてからしばらく経ちますが、今から意識的になってみるというのもありです。
9月の次の新月から意識的になるのもありです。9月の新月は17日20時で乙女座26度「香炉を持つ少年」です。

なんだかよくわからないサビアンシンボルっていうものさえ面倒だ、と思われる方もいらっしゃるでしょう。そういう場合には、定期的にやってくる新月を自己確認のタイミングとして使っていくというやり方があっていいと思います。
新月を目的意識の確認の日として使うことを決めると、新月のサイクルで目的に向う自分の言動や行動を修正したり調整することを当たり前にしていくということになります。
新月の日時はネットで調べるとすぐに出てくるでしょう。

その場合、新月の時間の48時間内に、2年以上かけて実現していく大きな目的、2年程度の中長期的な目的、数ヶ月単位で実現していく日常的な願いや目的、という三段階ぐらいを意識して、自己確認をしましょう。

何の目的も思い付かないし、欲求も無いと言う場合には何もすることがないかというと、そうでもありません。ここまでを読んでそれじゃやっぱりガッカリになってしまいますよね。
願いとして何も思い付くことがない、そんなにやる気も無い、という場合には、新月を「よく頑張った、ありがとう自分!今日からまた始まりだ。」という節目として使うことで、新月からの新しい自分を歩き出すという練習を自然としていくことになるというやり方もあります。新月は始まりを象徴していますから、次の自分の暮らしの中での新しいサイクルが始まるということです。


「願い」も成長していく、シフトしていく

1日から始まる12か月の1日を始まりにしてもよさそうなものですが、それは社会的なカレンダーの時間で、地球から見た太陽の動きを基本にしています。グレゴリオ暦というもので、世界共通となっているものです。社会はこのカレンダーを基にして動いています。
ところで私達の身体や感情は月と連動していると言われていて、月の満ちたり欠けたりしていく周期的な動きに合わせて行動した方が、体や感情に馴染みやすいということになるのです。これが月の満ち欠けによる太陰暦というものです。(月は新月から次の新月までを約29日で一回りしますので、毎月30日、31日あるグレゴリオ暦とは重ならずにずれていきます。よって毎月同じ日に新月が来るわけではありません)

欲しいものを望むというのも願いです。社会での活躍を望むのも願いです。なりたい職業や立場を望むことも願いです。資格取得したり、起業したり、会社の売り上げを伸ばしたいということも願いですね。時には会社を辞めたいという願いの人もいるでしょう。
さらに自分の望みが社会的なことと関係が無いという場合も案外と多くあります。そこには気が付いていながら、日常の生活の中のどこかにはあってまだハッキリと見つけていないからとりあえず機械的に働いてお茶を濁してる、という人もいます。
願いにも様々な種類や段階があります。そのひとつずつを経験していくことで様々な願いのあり方を知っていくことにもなるでしょう。
自分の中心にある本質的な大切な「願い」にたどり着くことがあった時には、それは自分の生きがいとか人生の充実感に繋がっているでしょう。

新月のタイミングに合わせて自己を確認するという時間にして実行してしまえば、新しいサイクルが自分に起きることになります。新しい習慣を起こすということが挑戦しやすくなるでしょう。
とは言っても、忘れてしまうなんていうことは当たり前に起こすことなので、忘れていた自分に気が付いた時に「自分を責める必要などありません」から、それはぜひ覚えていてください。
気が付いた時に、またやってみようって思えたなら、やってみるのがいいのです。そう思えていない自分がいたのなら、そうしなければダメなんだ、という意識で頑張る必要などありません。頑張れない自分を責めたりすることも全く必要ありません。
それさえもが「すべて上手くいっている」という過程なのかもしれないのです。

いつか自然と「そう思える」という心の状態になった時には、自らが決めたことをもう忘れなくなっている、そんな自分が出現したという時でしょう。
何がどうであろうと、他の誰かではなく自分が自分の人生の主人公であるということは変わりません。自分が世界で一番の自分の味方であるということが、人生で大切なことのひとつなのだろうと思います。

それを望む方は、自分の本質的なところにある「願い」に出会うことへと自らを起こし続けて行かれますように。立場も年齢も関係ありません。そして地球での日々の生活の中で出会う様々な謎がひとつずつ解かれていきますように。


説明がまだまだ中途の部分もありますが、今回はここまで。ちょうど1万字を超えたあたり。今後の新月の時には、こちらでその時のサビアンシンボルについて書かせていただこうかな、とちょっと考えています。


写真と文 sanae mizuno 
https://twitter.com/SanaeMizuno

参考文献 「決定版決定版!サビアン占星術」松村潔 著 学研 

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