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【プリズンライターズ】少年無期受刑者/浄罪の道

 私は現在35歳の少年無期受刑者です。この生活も15年目に入り、社会を離れてからは今年で17年が経ちます。
教護院と少年院へも行っておりますから、社会での生活よりも中での暮らしの方が長くなりました。
月日がたてば、人との愛や絆も希薄になり、今では家族も友もなく、我が身1つで先の見えない長き道を歩んでおります。
何も変わっていないのは、私が背負った罪の重さだけで、これだけは未来永劫変わることも消えることもありません。
このような私は当然のことながら、学も無く、金も無く、何1つとして取り柄がありません。
ただ、学ぶことが好きであることに気付き、頭に入る物は全て入れる様にしています。

 私はこの1年半の間に、余りにも 多くの物を失った。何よりも入所以来の12年の無事故を、職員ですら貰い事故だと言う事故で失い、そこからは不運が不運を呼び続け、懲罰を4回も受けました。
そして今、もう1度やり直し初めて半年が経ったところです。

 刑務所という所は、まじめな者、正直な者が損をする事が多々あり、理不尽は当たり前の世界。
その中で自らの信念を曲げず、自らの正義を貫きたくなる。
それが受刑者の常であるし、客観的にもこちらが正しいとされらば尚更そうだろう。
しかし、私は気付きました。この中で理不尽の壁に打ち当たり、憤っているこの私こそが、社会に居た頃は誰かにとっての理不尽の壁であったのだと。それが今、自らへと返されている気がしてならない。
罪を犯した私は、その償いの為にこの中に入れられた訳ではない。
罪に対する報いとしてこの中に入れられており、償いとは、自らの意思により何かを為すことだと考えています。

 これまでの生き方を振り返り、思索を繰り返す。
当然ながら簡単には答えが出ず、常に苦悩が付き纏う。
人の命を奪った者が、今日という日を生かされる上で、何を為すべきか。
特に私の様な無知蒙昧で頼れる者も無い無期受刑者は、孤軍奮闘し続け、その先に光が見えるかどうか。
その先は出所ではなく、人として生きる道です。

 命を奪った私の様な人間が出所を望むことは許されない。
それは被害者や遺族に対する冒涜と言っても過言ではないからです。
自らが人として生きなおす機会が与えられている以上、それに対し 真摯に向き合い、人として生き直し、浄罪の道を歩み続けた先に、自然と与えられるべき物が出所であるはず。
道中の者がそれを願い、それを考えることさえ厚かましいと思われてなりません。
今日という1日、自らが為すべき事と為せる事を懸命にやる。
それを積み重ねて人と成る。私はそう在りたいと思うのです。


 しかし、日々は暗く重いもので、罪を犯した者の日常とはこの様なものなのでしょう。
心から楽しめる事も無ければ、嬉しい事も無い。
当然ながら幸せを感じる事などあるはずがない。
けれども季節は移ろい、歳月は人を待たず。
苦しむだけが人生ではなく、小さな幸せに気付き、それに感謝し、罪を見つめ己を律する。
そこから人の道が始まり、浄罪の道が続く。私はそう思います。


 伝え様としなければ、いつまでも人には伝わらない。
届け様としなければいつまでも誰かに届かない。
私は言葉を紡ぐことにしました。矛盾していても、稚拙でも良い、その時々に感じたことを等身大の言葉で。
誰かに届けば、それが嬉しい事になる。
誰かに伝われば、それが私の幸せになる。私は今日も生かされている。
人として生きる為に。そしてこれからも浄罪の道を歩み続けます。

浄罪の道


果ての無い道を歩む
我が罪戻(ざいれい)を負い
先も見えぬ長き道を
一歩一歩と踏み締めしめながら
暗闇の中を手探りで
それでも前へと歩みを止めず
険しい道程に息も切れ
礫(こいし)に躓(つまづ)き 転んでは傷を負い
立ち上がり また前へと歩み続ける

我が人生は
幽囚(ゆうしゅう)の境涯(きょうがい)に沈淪(ちんりん)し
桎梏(しっこく)の日々が齎(もたら)す厭世観(えんせいかん)に苛(さいな)まれ罪の意識に懊悩(おうのう)し
宿悪の報いを受け続ける
自己省察を繰り返し
どれ程に悔い改めようとも
免罪符にはなり得ない

心の空隙(くうげき)を埋める物も無く
慰謝(いしゃ)してくれる者も無く
失う物が日毎に増えゆき
別ればかりを知る日々に
今日も結愁の重さに沈む

願えども 願えども
罪過(ざいか)が消えることも無く
祈れども 祈れども
時が戻ることも無し
無期という刑の業火(ごうか)に焼かれ
灰燼(かいじん)に帰すことも無い罪を負い
今日も明日へと歩み続けるこの日々に
希望という名の眩い光は
いつしか射し込んで来るのだろうか

己を惑わす物を峻拒(しゅんきょ)し
堅固な決意で信念を貫き
与えられる困難を超克(ちょうこく)し
身に降り掛かる災難をも払い除け
ただ直向きに歩みを進め
ただ只管(ひたすら)に我が罪を見詰め続ける

人の命を奪いし者は
苦しみながら生きなければならない
奪いし命の分も
苦しみながら生きて行かねばならない

人の命を奪いし者は
幸せにならなければならない
奪いし命の分も
幸せに生きてあげなければならない

それが命を背負うということだ
それが人として生きるということだ
命の重さを受け止め
苦しみに耐えながら生き
幸せになることを恐れず
人として今日という日を生き切る
罪人(つみびと)が生きる道というのは
そうあるべきではないのだろうか

現在の連続が未来であるのならば
後ろの扉を閉めなければ
前の扉は開かない
今日を生きる罪人(つみびと)は
自らの罪戻(ざいれい)を忘れることなく
通り過ぎて来た扉を閉め
今日という扉を開くのだ
明日というまだ見ぬ扉のその先は
希望の光が満ちているかもしれない
弛まず歩いて行くのだ
それが浄罪の道なのだから

この「浄罪の道」という詩は、私が文芸作品コンクールに応募し初めて1位になった物です。
その時の私の心情が有りの儘に吐露されていますので、愚詩ですが御笑覧下されば幸いです。
長さと拙文に御付き合い戴き、有難う御座いました。

注※ 下記参考までに言葉の意味を入れておきます。
罪戻(ざいれい) /つみ。罪過。
幽囚(ゆうしゅう) / 捕らえられて牢屋(ろうや)に入れられること。
境涯 (きょうがい) / 人がこの世に生きてゆく上での立場。境遇。身の上。
沈淪 (ちんりん) / おちぶれること。
懊悩 (おうのう) / なやみもだえること。
空隙(くうげき) / すきま
慰謝 (いしゃ) / なぐさめていたわること。
罪過 (ざいか) / つみ。罪悪。
業火(ごうか) / 仏教で、悪業(あくごう)が身を滅ぼすのを火にたとえていう語。
灰燼 (かいじん) / 物が完全に焼失することを意味する表現。
峻拒 (しゅんきょ) / きびしく拒絶すること。
超克(ちょうこく) / 困難を乗り越え、それにうちかつこと。

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