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あの日の私に、お疲れ様〜息子を療育に通わせていた日々の思い出〜

先日、思いがけず、とても懐かしい場所の前を通りかかりました。


その日、私は自宅の隣駅にある図書館を訪れる予定で、隣駅へは普段は自宅近くからバス移動することが多いのですが、その日は過ごしやすいお天気だったこともあり、久々に徒歩でお散歩しながら向かってみることにしたのでした。


図書館の位置はわかっているのだけど、細かい道筋は特に考えず、行き当たりばったりで道を選びながら隣駅のほうに進んでいっていると、あともう少しで図書館、というところで、懐かしい道に差しかかりました。


その道にあったのが、もう何年も前に長男を通わせていた放課後療育サービスの教室。


改めて振り返ってみると、その療育教室には長男が小学一年から三年の頃に通っていたので、そこを退所してからかれこれ三年が経ったことになります。


その日は建物の前を通っただけだったのですが、そうして教室の外観を見ただけでも、一気に当時の記憶が蘇ってきました。


その記憶は、正直私にとっては、良い思い出、というよりも、とにかく長男の成長を心配しながら、子育てに必死だった自分が思い出されて、なんとも複雑な感覚になるものでした。


…………


我が家の長男は、小さい頃から全体的に発達がゆっくりめで、同じ年齢のお子さんと比べると、立つのも、歩くのも、おしゃべりするのも、できるようになるのは平均よりもだいぶ遅く、市の発達検診でも常に引っかかっていました。


そんな長男を前にして、初めての子ども、初めての子育てだったということもあり、当時の私はとにかく心配と不安でいっぱいで、積極的に市の子育て相談センターや発達支援センターのような場所に足を運んでは相談をしたり、特に運動面での遅れが感じられたので、手の届く範囲にある様々な子ども向けの体操教室、プール教室、リトミック教室などに通わせて、とにかく子どもの発達に役立ちそうと思えるものを片っ端から試したりしていました。


「このまま周りの子よりも発達が遅れた状態でなんの手も施さず、将来この子が生きていくうえで苦労することがあったら可哀想だし親として申し訳ない。この子が将来直面するかもしれない困難を少しでも減らすために、私は親として今できる限りのことをやってあげなければいけない。私がこの子のためにできることを怠ってはいけない」


当時の私は、そんな切実な思いでいました。


そんな中、長男が通う幼稚園で同じ学年のあるお母さんと知り合いました。彼女は私と同じくお子さんの運動面の発達を心配していて、その後何年も情報交換をしていたのですが、その子が小学校に上がってからしばらくすると、隣駅の療育教室に通いはじめたと聞きました。その教室の内容自体も良さそうだし、引っ込み思案の長男が仲良しのそのお友達も通っているならと、まずは見学に行き、最終的には小学校一年生の後半からそこに通うことにしたのでした。


でも、一言で「通う」と言っても、それは当時の私、当時の我が家にとっては、なかなかに大変なことでした。


何が大変かというと、送り迎え!


当時の我が家では、長男が小学一年生で、次男が幼稚園の年少さん。二人の小さい子どもを抱えての隣駅にある療育教室への送り迎えが、とにかく本当に大変だったのです。


療育に通うのは週に一回だったのですが、療育教室の日は、まず行きは小学校から帰ってきた長男と一緒にバスに乗って向かいました。そのとき、次男まで連れていくとこちらも手間取って大変だし次男も疲れさせてしまうだろうと思い、療育の日は次男は幼稚園の延長保育にお願いをしていました。そうして長男を療育教室まで送り届けたら、私はまたバスに乗って自宅にトンボ帰り。


そして帰宅から三十分もしないうちに、今度は自転車で幼稚園にいる次男を迎えに行きます。次男を自転車に乗せて帰ってきたら、そこから一時間もしないうちに、今度は長男のお迎えのため再び次男を連れて療育教室へ外出することになります。


このお迎えに関しては、少し罪悪感を抱きながらもタクシーを使っていました。延長保育でヘトヘトの次男を再び連れ出してバスに乗せて、バス停から療育教室までも多少歩かなければいけない立地だったので、次男に負担をかけるのは可哀想だったし、では私が道中抱っこなどできるかというと、私の体力的にもきつかったので。次男はといえば、実際タクシーを利用したときでも、隣駅に向かう数分の車内でうとうとすることもしょっちゅうだったので、やっぱりかなり疲れる行動だったのではないかと思います。


でも、普段タクシーはアプリを使って出発直前に呼び出しをしていたのですが、これが雨の日となると、タクシーが一気に出払ってしまって捕まえることができないので、そうすると雨の中、次男にも頑張ってもらってバスでお迎えに行く、なんて日もありました。当時、雨の日の送り迎えは本当にしんどくて憂鬱でたまりませんでした。


そうして療育教室の目の前にタクシーをつけてもらって長男を無事受けとると、帰りはまたみんなでバスに乗って帰るのですが、バス停までは子どもの足で十分ほど歩いた距離にあり、そこをなんとか子どもたちに頑張って歩いてもらわなければいけませんでした。でもそもそも、長男は療育で、次男は延長保育で、一日の終わりに二人とも疲れているのです。長男のためとはいえ、私は療育に通わせることで子どもたちに負担をかけている罪悪感やら申し訳なさを常に感じていて、その十分の道のりが本当にしんどかった。子どもたちになんとか歩くやる気を出してもらって、ちょっとでも気分が上がるご褒美になればと、バス停の近くのパン屋さんで翌朝の朝ごはんにするパンを買ってあげるのが、当時の私のせめても罪滅ぼしであり、定例行事でした。


先日療育教室の前を久々に通りかかったときには、あの頃の、夜のお迎えのときの光景がぐわっと蘇ってきました。お迎えの時間は午後六時でした。夏はまだかろうじて沈みゆく太陽の光が辺りをオレンジ色に染めていたけれど、冬にもなるともうその時間の空は真っ暗でした。そんな中、暑い日も、寒い日も、晴れの日も、雨の日も、小さい次男の手を引いて(もしくはタクシー内で寝てしまったらしばらく抱っこして)、長男のお迎えに行った。ときに疲れたと言って帰り道ぐずる子どもたちに、ごめんねと思いながら言いながら、もしくは理不尽にもときにはイラッとしてしまいながら、とにかく必死に送り迎えをした日々。今でもあの当時の光景が鮮明に脳裏に蘇ります。


正直今振り返ると、なぜあの頃の私は、あんなに必死だったのだろうと、今ではちょっと信じられない気持ちだったりします。


どうして私はあんなに辛い思いをしてまで、長男を療育に連れていたのだろう、と。


そう、あの頃、私は、本当は、とても辛かったのです。


もちろん、療育は長男のためになると本気で思って、しっかり検討して通わせることを決めました。教室の先生方はとても良い方々だったし、実際に通うことで長男の役に立ったこともあっただろうと思います。長男も通うこと自体は疲れることではあっただろうけど、教室自体は嫌がることなく楽しそうに通っていました。


でも、でも、私の本音は…辛かった。


そもそも、長男を療育に通わせることにしたのは、私の不安と心配が募っての決断だったことが、今の私にはわかります。当時、常に長男のことが、彼の将来が心配でたまらなかった。まだ起きてもいない未来を憂いて、必要以上に心配して、目の前の長男自身の姿をしっかり見ることができていなかったと、今では思います。


目の前の長男よりも、まだ見えぬ未来、何が起きるかわからない将来の方にばかり意識を向けて、不安に支配されていたこと、それ自体がまず辛かった。


そして、やっぱり実質的に辛かったのは送り迎え。そもそも私自身、一日の中で何度も教室と幼稚園を行ったり来たりする行動がまず疲れる。さらには、小学校で疲れて帰ってきているだろう長男を療育のために再度連れ出して、長男のためとはいえ彼を疲れさせる選択をしている自分に罪悪感。そして、まだ年少さんなのに延長保育に預けてしまう次男への罪悪感。さらには、延長保育から疲れて帰ってきた次男を再び連れ出して、お兄ちゃんのお迎えに付き合わせなければいけない罪悪感。隣駅にバスで行けば二百円程度の交通費なのに、タクシーで約二千円の交通費を使ってしまう罪悪感。二人を教室からバス停まで歩かせる罪悪感。


自分が決めたことなのに、療育の日はいつも罪悪感と申し訳なさと疲労でいっぱいでした。(さらに言えば、当時は夫が激務のため平日は一切家のことはノータッチで、療育に行かせるかどうかの選択も、行かせるときの行動も、私一人ですべて担わなければいけなかったのも辛かった)


療育に通った日々は、本当に苦い印象が強いです。


でも一方で、今当時を振り返ったとき、あの頃の自分の選択肢を、間違っていたとは思いません。


あのとき、私はやっぱり、長男のためを思って必死だった。あのときの私があのときできることを、精一杯やっていた。


明らかにキャパオーバーだったけれど、自分ができる最善をやろうとしていた。そう思います。


その後療育に通うのをやめたのは、学年が上がるにつれて、長男がゆっくりながらも彼のペースで成長しているのが見えてきたこともあったし、でもそれ以上に、恐らく私が、あんなに心身ともに辛い思いをしてまで、子どもたちに負担をかけてまで、療育に通わなくてもいいのではないか、私が大切にしたいのはもっと別のことではないか、と不意に思ったからだったと思います。


その頃、長年子育てで苦しんできて、一時は育児ノイローゼを経験して、もっと毎日を心地よく過ごしたい、もっと楽しく子育てしたいと、ちょうど人の心と思考についての学びを重ねていたところで、その中で自分自身のマインドや日々の在り方が、だんだんと整っていった結果のように思います。


一番大きく変わったのは、長男ではなく、私自身だったと、今では思います。


……………


そして今、現状我が家の状況はどうかというと、やはり長男は他の同学年の子に比べたら成長がゆっくりだと感じるし、今年中学に入学したうえで、親の私がある程度サポートしなければいけない面はいまだにあります。


でも、今の私には、あの頃の私みたいな苦しみはありません。


もちろん、いまだに悩むし、心配するし、不安になることもあります。


でも、起こってもいない将来のことを先憂いしすぎたり、心配や不安から今の自分や子どもたちに負担をかけたり辛い思いをさせるような選択はしなくなりました。


日々生きていると、ときには心揺さぶられることはありながらも、それでも、まずは目の前のあるもの、目の前にある今の子どもたち、そして今の自分にとって必要なこと、大切だと感じることを、一つ一つコツコツとやっていくようにしています。


そんなわけで、先日あの懐かしの療育教室の前を通りながら、当時の苦味が蘇って少々胸が締めつけられながらも、同時に、もうあのときの不安やしんどさは過去のものであると、実感もしました。


そして、そう感じるようになった今、当時の私を振り返って出てくるのは、
ただただ「お疲れさま」と当時の私を労う感覚。


そして、「大丈夫だよ」という言葉をかけてあげたい。


本当にお疲れさま。あなたは大丈夫だよ。


あの頃の、ボロボロになりながら必死に頑張っていた私に、そう声をかけてあげたいと思ったのでした。

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