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どういう人生を歩んで、なぜ農家になったのか、聞いてみた。

私達が運営する『東北農家fan&fundクラブ プリサポ』は、掲載されている農家さんを100円~支援出来るサイトである。

『東北農家fan&fundクラブ プリサポ』(https://pri-sapo.com)

そのサイトに掲載されている農家さんは、どのような人生を歩んで、現在まで至ったのか、農家さんを取材をして、記事として掲載している。

noteでは、掲載されている農家さんを紹介していきたい。


壮絶な人生経験が肉の旨味を彩る

【あおもり倉石牛 肥育農家 沼沢利夫】

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宝くじを当てることが夢!

本気なのか、冗談なのか分からないくらいの笑顔で、私達に投げかけてきた。

「宝くじを当てたら、そのお金で日本中の子供達に、美味しいものを食べさせたい!」

そんなユーモアと、壮大な夢を語る沼沢さんは、「あおもり倉石牛」の肥育農家である。

その笑顔の裏には、「波乱の人生」という過去があった。

肥育農家を継ぐ

中学を卒業すると同時に、家業である肥育農家を継いだ。

家業を継いだ頃、乳牛用のホルスタイン種を肥育していたが、22歳の時に大きな転機が訪れる。

アメリカの貿易自由化により、安い牛肉が輸入されるようになったのだ。

それをきっかけに、沼沢さんは「乳用種肥育」から「黒毛和種肥育」への転換を決断する。

先陣をきって、ひとり黒毛和種肥育を始めた沼沢さん。

「周りで誰もやっていないから、大変だったよ!他県の黒毛和牛の牛舎に研修に行った時は、こっそり餌を持って帰ってきては、一人で研究したよ」

当時を語る沼沢さんからは、笑顔が消えていた。

「当時、東京の市場に行くと、青森の牛は大根以下だとバカにされた」

苦難の連続だったという。

「どうせ青森の牛なんて・・という先入観をひっくり返すような旨い肉牛を作ってやると思って、たくさん努力したよ!」

そのようなたゆまぬ努力が徐々に実り、今では青森県が誇るトップブランド牛の産地となっている。

波乱の人生

「俺はもう、村議会議員をやっていた親父を超えているよ、だって3回も結婚したから!」

満面の笑みで語りかけ、笑いの渦へと引き込む。

しかしそれは、悲しみの裏返しであった。

22歳で結婚をし、3人の子宝に恵まれ、16年間連れ添った、最愛の妻を事故で亡くした。

稲わらを集める作業を手伝ってもらっている最中に、大型トラックの荷台の扉を持ち上げていたワイヤーが切れ、下敷きになったのだ。

「一生分の涙を流した‥」

悲しみの深さを知るには、この言葉に尽きるであろう。

二人目の妻は、入籍後、末期の肺がんが見つかり、入籍半年で他界。

三人目の妻は、縁が結ばれたと思ったが、ほどなく離婚。

災難は、まだ続いた。

ヒバの木で新築したばかりの自宅を、火事で焼失してしまう。

奈落の底に突き落とされた状況となった。

「もう今は見栄や、プライドを捨てて、メンツにはまったくこだわらなくなったよ」

沼沢さんの自室には、黒毛和種の大会で獲得した数十枚の賞状が、ほこりをかぶって無造作に積まれていた。

沼沢さんにとって大切なものは何か、まるで悟っているようであった。

美味しいと思える牛肉を創る、ただそれだけ

「生産者である前に、消費者でなければならない。消費者の気持ちを常に考えている」

牛肉のサシと赤身のバランスが大事だと、沼沢さんは考える。

「本当の肉の美味しさは、赤身の中にある旨みなんだよ」

その肉の旨味を生み出すために、餌の配合を自分で考えて、微調整している。

「市場の評価、価格ではなく、本当に美味しい肉を食べた時に、いい笑顔になるよ、私みたいに!」

また私たちを笑いの渦に引き込む。

宝くじを当てて、日本中の子供達へ、美味しいものを食べさせるという夢は、ただの夢で終わらないような気がした。

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