昨日のピアノ合わせで思ったこと。「諦めることは大切ね」
昨日は文化の日。
夫は飛行機で福岡へ帰りました。
夫は2ヶ月に一度は福岡の空き家になっている実家の草取りやお墓掃除、施設に入院中の義母のお見舞いに福岡へ通っています。
夫は福岡のホテルに1泊して今日帰ってきます。
私はいつもワンコと東京でお留守番。
昨日は、25日のヴァイオリンの発表会のためのピアノ合わせの日でした。
ピアノの音源は頂いていましたが、生ピアノと合わせるのは初めて。
H先生が見守る中、ピアノとヴァイオリンで奏でる「人生のメリーゴーランド」
家で弾くときはならないのに、弓が弦の上で小刻みにバウンドする(汗)
僅かな緊張でも肩が上がると弓を持つ手がいつもより上に上がります。
その上がった手の力で、弓を弦の上に押さえつけ、その状態で引っ張るから弓がバウンドします(泣)
これでは弓の重みで滑らかに弦に吸い付いて、美しい音色を奏でることからは遠くなりますね。
キシキシとした美しくない音色になりました(泣)これが今の私の音色ですね。
まずは脱力。僅かな緊張もヴァイオリンには直ぐに伝わる。
「まずは楽しむこと。そして、諦めることね」とH先生に言われた。
諦めること。
大事かもしれない。
諦めるとちょっと冷静に他人事にみたいに自分の演奏を眺めることができる。
昨日、ちょっとそんな気分になった。
気持ちは込めたいけれど、そんな一生懸命な自分を斜め上から眺めている自分がいた。ちょっと冷静になり楽しめた。
「緊張して、弓がバウンドするのも楽しいじゃん!」
緊張している自分さえも斜め上から眺めて楽しんでしまえばいいのかもね。
それでも、今までの演奏よりずっと良くなったし、最後は胸がキューンとしたよ。とH先生に言ってもらえた。嬉しかった。
ヴァイオリン習い始めて13年。
こんなに上達しないものかと呆れるけど私らしいのんびりペースだし、Kちゃんにピアノ合わせ動画を送ったら、
「大人らしい味わいがあるね」と言ってくれた。キシキシする音色なりに私のヴァイオリンの味わいを楽しもう。
伴奏のピアノの先生も「この曲を伴奏できて楽しいわ」と言ってくれた。
うん、楽しんでしまおう。
発表会は公演ではないし、お祭り気分で楽しんじゃおう。
なんだかね、
バレエもヴァイオリンも今まで楽しむより技術の完璧さを目指してきたような気がするのね。。
クラシックの世界は厳しくて、バレエの群舞にしても、ちょっとした首の角度、脚の高さ、全てが揃っていないと美しくない。
主役が踊っている間、舞台の端で人形のようにポーズを決めたまま微動だにしてはいけない。
どんなにきつくても回れと言われれば回り、跳べと言われれば跳ぶ。
上の人に忠実な事が一番だし、それをやり遂げることで階段を一歩登れたような満足感があった(実はみんなマゾなのかもと思ったこともある。ちょっと兵隊さんみたいよね)
なんだかクラシックの美しさって、どれだけ人間離れ出来るかを競わされてるような気がしてくる。
白鳥のような肢体だって、健康な人間からはちょっと離れているような。人間離れしていることが一つのステイタスな気がしてくる。
バレエの頂点にいる人は、人間離れした聖人のような(才能に恵まれ、しかも過酷な努力に耐える精神力を持つ)人だろうなと信じてきた。
ヴァイオリンもそうなんだろう。
人間離れ、、人間離れって何だろう。
普通でないことへの憧れなんだろうか。普通の人間でいいじゃない?
今までが三角△のピラミッド社会だとすると、やはり多くの人達が出来ない事を軽々としてみせるごく一部の僅かな人が称賛されてきたんだと思う。
でもこれから始まる○の社会では、普通が一番になっていくんではないだろうか。
普通の暮らしをひとりひとりが楽しんで毎日を過ごしていく。
人に出来ない事が出来る人が称賛されるわけでもなく、みなそれぞれの良さで平等に輝いている。
人に見せて誉めらたり崇められたりするのではなく、自分が自分の毎日をそれぞれに楽しんでいく。
そんな時代になっていくのかしら。
緊張しても、失敗しても、どんな自分も愛おしいと思えたら、きっと人生はいつも愛おしいね。
もっともっとと頂点を目指すのではなくて、どこかで諦めて自分の人生を愛すること。
諦めることって、大事かも。。
そんなことを思った昨日のピアノ合わせでした。
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