【読書】WE ARE LONELY,BUT NOT ALONE. ~現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ~ (NewsPicks Book)

●感想

マジョリティが孤独を感じている」というのが今の自分の悩みにピンポイントだった。そういうことか、と。それが自分だけではないということは、それの解決は多くの人に役に立つということ。考えてみたい。
「SNSは他人の人生の記録ではなく、他人の絶好調だけを切り取った記録でしかない」というのも分かるなあ。Twitterが始まってから、他の人が何をしてるのかがリアルタイムに分かり、自分がやろうとしたことを他の人がすでにやってることを知ってしまったり、自分がやってることがしょぼく感じるようになって、途中でやめてしまうことが多くなったと感じていた。Facebookはかなり前から見るのをやめていたけど(ランチの写真とかどうでもいいし)、Twitterも最近あんまり見ないようにしてたら他を気にすることが減って目の前のことに集中できるようになった。
興味のあることはいくつもあるけど、何かに深入りすることができない。情報量が多くて他の人がやってることがよく分かり、自分が今からやっても意味ないと思ってしまったり、ゴールまでの道筋が見えてしまうから分かっていることをこなすだけになるので興味が無くなるっていうのが自分の状態かな。情報量の多さだなあ。。

●アクション

・自己紹介は「相手の安心のため」と意識する。「何が好きか」「何をしたいか」を語る。
・「人々が社会的なつながりを実感できる場」をについて検討する。
・モノによって体験を生み出すような企画を考える。
・コンテンツに「余白」を作るようにする。
・連絡の時は相手の安全、安心を確保する。
・長文は避ける。

●気になったポイント

安心と自由どちらが重要か。安心を得ようとすると自由が失われ、自由を得ようとすると安心を失う。
自分がどれくらい自由なのか、自分ではなかなか理解できない。
快適で便利だと思っていることのほとんどは社会をスムーズにするための仕組みに自分たちを合わせているだけ。
不自由な社会に住んでいる。インターネットが自由にし始めた。
人間は機械にすぎない。機械であるならば、その精度をどのように上げるかが教育の使命だった。
アイデンティティの拠り所は「何を手に入れるか」だった。ネット以前は情報量が少なく、マスメディアの発信で何をいいものとするかの共通概念が共有されていた。そういう時代は終わった。
「何をやっているか、なぜやっているか」が重要になってきた。
Appleは「iPhoneを持つと幸せ」という旧来の価値観で動いている。このままだと今後失速していくのではないか?
今までの教育は問題解決ができる人を生み出すことを目的に設計されてきた。問題が与えられて時間内に解決できる人が偉かった。そういう人は「その問題は解決する必要があるんだっけ?」と問われると動けなくなる。
無限にあると思っていた不便や不満がほとんど解決されてしまった。
総務省によると、2002年のネット全体の情報量を10とすると2020年は6000倍の6万。
アナログ社会ではマイノリティだった人たちがネットの中だと存在感を示すことができる。ネットはマイノリティの孤独を癒した。逆にマジョリティが孤独を感じている。
自分たちが何を欲しているのかどう生きたいのかを把握せず、社会規範を不自由だと思わず従ってきたマジョリティはコミュニティを失い情報処理をうまくできず孤独を感じ始めている。
アメリア心理学会では2017年の学会で孤独感が肥満よりも深刻な脅威である可能性があると発表した。人々が社会的なつながりを実感できる場を創設する必要性を訴えた。
オープンなSNSは安心、心理的安全を脅かす。
昨日の自分と今日の自分を比較するのではなく、他人と自分を比較して「俺はなんてつまらない人生を送っているのだ」と感じるのは無意味だが、SNSではそこから抜けられない。
SNSは他人の人生の記録ではなく、他人の絶好調だけを切り取った記録でしかない。
どんな産業も基本の仕組みはそんなに変わらないはず。異常な仕組みは淘汰される。ネットによって不自然なものはより早く淘汰される。どんどんなめらかになっていくので基本に忠実なほうがよい。
本全体ではおそらく本好きの2割が8割の売り上げを支えている。しかし作家に関しては2割のファンが8割の収入を支える仕組みになっていない。
自分の欲望を理解している人はAmazonが良い。自分が何をしたいかを理解してない人は楽天が良い。
「モノではなく体験を売る」というのは必ずしもチケットを売ることではない。モノのコミュニケーションの中で、モノがきっかけになって体験を生み出せる。
今多くの人が抱えているのは情報が欲しいという欲望ではない。関係性を築きたいという欲望だ。
宇宙兄弟のグッズは受動層が積極層になるきっかけとなるようなものを意識している。外の人から見ると何がいいのか分からないものをあえて作る。
聖書は分かりにくい。だから誰もがそれについて自分なりに理解して語る。だから理解が深まる。
分かりにくさは参加するための余白。
インターネットによって生みだされるなめらかな世界では熱狂は最優先事項ではないのではないか?
仕事のできる人の連絡法は相手の安全、安心の確保がしっかりされている。
それぞれの人がどんな行動をするのか予想できるようにすること。それがコミュニティの安全・安心のための重要。
熱狂→拡大→熱狂を繰り返すと破綻する。まずは安全・安心の確保→熱狂→拡大→安全・安心の確保。
不安にならない人はいない。不安になるポイントがみんな違うだけ。そのポイントが日常的にある人は自分を弱いと思っている。
成功した宗教は反社会的な要素がある。コミュニティには仮想敵がいるほうが結束し熱狂が生まれやすい。
信用は過去の実績を価値があると評価すること。片方が一方的に評価するので関係にならない。
信頼は未来のこと。過去の実績を信用して不確実性のある未来のことも信じて評価することが信頼。片方が一方的に信頼することはできない。常に双方向になる。だから「信頼関係」になる。
コミュニティを運営するときはゼロから発想せず、学校行事に置き換えられるイベントを用意すると良い。大人になってからでも学校にいたときと同じように安全・安心の確保ができる。
自己紹介とは自分の物語を相手に聞かせること。自分のことなど相手が興味をもたないというのは謙虚なようで、コミュニティでは自分勝手な考え。自分がどんな人間かを紹介するのは自己アピールではなく、その場にいるメンバーの安心のため。
Doの肩書ではなく、Beの肩書きで自己紹介する。何ができるのか、ではなく、何が好きなのか、何をしたのかを語る。
完全に設計したものをメンバーが楽しむ形にするとメンバーが受動的になってしまう。わざと分かりにくくする。余白。
熱狂とは成長することか、成長を見守ることで生じる。
長文だと長文で返さないといけなくなり、会話がたくさん生まれる状態がでいない。
従来の納品主義の概念から抜けられていない人はしっかり情報を整理しないと伝えたくないと考え、長文になってしまう。
今の若い人はLINEなどで情報が流れていくのを眺めるのに慣れている。全部に返信しようとはしない。情報はどんどんスルーするという価値観がだんだん主流になる。
コミュニティは意思決定の量を減らす効果を持つ。

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