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高尾山ノスタルジア No.14:たこスギ

霞台から山頂方面に1号路を進み、サル園をちょっと過ぎたところ、左手に存在感抜群の杉の巨木があります。

たこスギ

この杉は「樹高約30メートル、目通り約4メートル、樹齢は300年とも500年ともいわれる(*1)」巨木で、「たこスギ」という名が付けられています。

以下、八王子市公式HPの説明文を引きます(*1)。

「たこスギという名前は、露出した根の形がタコの足に似ていることから名付けられました。 どのようにしてこのような形になったのかは明らかになっていませんが、薬王院への参道が今のように整っていなかった頃、参道を切り開くのにこのスギの根が邪魔で天狗たちが伐採しようとしました。ところがこれを知ってか、このスギは一晩で根をくるくると引っ込め事無きを得たという言い伝えが残っています。」

同様の説明が、たこスギの傍に立つ、その由来を刻んだ石碑にもあります。この杉、私がこどもの時分から「蛸杉」と呼ばれていました。この伝説も聞いた覚えがあります。ですが、戦前昭和期の資料に「蛸杉」というあだ名があるという記録は残っているらしいのですが、このたこスギ伝説自体は終戦以前の記録にはなく、戦後にしか見つけることができません。

(資料①)『八王子名勝志』にある一本杉の説明箇所。(注1)

この杉は往古より「一本杉」と呼ばれていました。江戸時代後期の万延元年(1860年)以降に書かれたとされる地誌『八王子名勝志』(資料①)に、「一本杉いつほんすぎ 往還左側にあり」と至極あっさりとした説明があります。あくまでも「一本杉」とあるだけで、先述の言い伝えのようなものへの言及はありません。

(資料②)高尾山ケーブルカーが開業した昭和2年(1927)からまもない頃に発行されたと推定される、曙亭「多摩御陵参拝 高尾山登山 便利案内圗」の絵葉書に残る一本杉が描かれた絵図。(注2)

戦前、高尾山ケーブルカーの開業(昭和2年)から間もないころに発行されたと推定される、現在も高尾山山頂にお店を構える曙亭名義の絵葉書に残る絵図においても、「一本杉」の名前で記載されています(資料②)。

参道ではとにかく目立つ木であったことは間違いありませんが、ほかに特筆される情報はありません。

(資料③)『武蔵名勝図会』にある一本杉の説明箇所。
「一本松
麓より廿四五町も登り道より三四間も高き所に古木の杉一本あり 此邉は皆雑木にて松杉なき所に徃古より一株ある杉ゆへに斯は名付しなり 此杉のもとに妙見の小祠あり」
「一本松」は写本時の誤字か。(注1)

文政期(1818から1831)に植田孟縉により編纂されたとされる地誌『武蔵名勝図会』は、この一本杉について、道より三四間も高いところに立っていると記しています(資料③)。一間は1.818mですから、「三四間」はだいたい5m半から7m強。木がどこから植っているとみなすのかにもよると思いますが、この高さであれば、十分道から見上げるぐらいの高さから生えていたことになります。少なくとも、道を通す障碍になっていたということは伺えません。むしろ、人間のほうがこの神秘的な巨木を避けて道を通したと考えるほうが妥当でしょう。

(資料④)大正7年(1918)から昭和7年(1932)の間に発行されたと推定される絵葉書の写真に残る一本杉の姿。江戸期の記録にあるように、道は今よりかなり低い位置にあったことが推察される。(注2)

実際、大正期に撮影されたと推定される絵葉書に残る写真(資料④)を見ると根がかなり露出しており、この写真からも道は現在と比較すると低い位置にあったことが推察されます。今日こんにちたこスギから薬王院浄心門の間の道をよく観察すると、あきらかに人為的な手が加えられ、周囲の地勢と比して不自然に高い位置に道が通っていることがわかります。時期は不明ですが、車の通行を可能にするため土木工事を行いここに平坦な道を整備したものと思われます。道の端から下の方を覗くと、この附近は盛土によって地面を嵩上げし側面を石積みで補強していることが明らかです。

この土木工事で、たこスギの根元を現在の位置まで埋めたものと推察されます。先述の写真に写る一本杉を見ても、斜面のきわで落っこちないように全力で地面にしがみついているように見えるだけで、道路予定地に張り出した根をくるくると引っ込めたなどという空想は働きそうにありません。地面嵩上げ後の現在の姿を見れば、なるほどいかにもという感じはしますけどね。

ここから先は筆者の勝手な推測です。この言い伝えは終戦後この工事が完了したのち、その姿を見た誰かが創作したものではないのでしょうか。それがちょっと愉快な話だったので、関係者の間で口伝され、いつしかあたかも古来の言い伝えであるかのように脚色され、ついには木の傍にその由来を記した石碑が(スポンサーによる献金で)建ち、したり顔で自治体の公式HPにまで記されるような物語に仕立て上げられてしまったのでは。

興をさます意図はありません。行基菩薩による薬王院開山の言い伝えも琵琶滝の滝壺に沈むという弘法大師の梵字石も、言ってみれば同じようなこと。もしかしたら、今から千年の将来全部同じ扱いになっているかもしれません。我々は、歴史はこうして作られるという時代の目撃者になっているのかもしれません。


(*1)
八王子市公式HP 観光・文化 観光スポット情報 高尾山 歴史・文化・薬王院

(注1)
《「国立国会図書館ウェブサイトからのコンテンツの転載」に基づく表示》

表示しているコンテンツは、国立国会図書館デジタルコレクション」に収録されているデジタル化資料のうち、著作権保護期間が終了し公共財産に帰属するものであることを確認し、転載したものです。

百枝翁『八王子名勝志 4巻』[3],写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2577799 (参照 2024-04-15)

植田孟縉 稿 ほか『武蔵名勝図会』多摩郡之部 巻第8,小林幸次郎,大正14-15. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1172225 (参照 2024-04-15)

(注2)
《写真ならびに絵図に関する著作権について》
表示している写真ならびに絵図は、旧著作権法(明治32年法律第39号)及び著作権法(昭和45年5月6日法律第48号)に基づき著作権が消滅していると判断し掲載しているものです。
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参考資料:文化庁 著作物等の保護期間の延長に関するQ&A


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