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高尾山ノスタルジア No.20:高尾山はどこからきたのか

関東山地は関東平野の西部、群馬埼玉東京神奈川長野山梨1都5県にまたがり、関東地方と中部地方を分つ山脈。高尾山は、その関東山地の南東の端、まさに関東山地が始まる所に位置します。このことは、この山域の形成史を語る上で、重要な意味を持ちます。

高尾陣馬山塊は、小仏層群と呼ばれる地層の上に形成されています。小仏層群は、高尾陣馬山塊から山梨県東部にかけて広がっていることが知られています。この小仏層群、形成された時代が長らく不明であったところ、西宮克彦山梨大学名誉教授が昭和51年(1976)、山梨県小菅村の小仏層群からイノセラムスという二枚貝の化石を発見したことを発表。1億年近く前の中生代白堊紀、恐竜の全盛期と言われるころにできた地層であることがわかりました。小仏層群は主として、頁岩けつがん、砂岩ならびに砂岩頁岩互層から成ることから、高尾山はかつて海の底であったことがわかっています。

日本列島は、かつて大陸の一部でした。それが、地殻変動によりおよそ2,000万年前から徐々に大陸から切り離され、現在の位置まで押し出されていきます。小仏層群は、日本列島が切り離されるまで大陸の東海岸の一部でした。東海岸が接していた海は大陸棚で、遠浅の海が広がっていたと考えられています。小仏層群は、大陸から川により流されてきた土砂が大陸棚、ないしは泥や土がプレートの移動により海溝に堆積することで形成されたものと考えられています。

日本の本州は、大陸から切り離された大地が地殻変動の作用で西南と東北のふたつの大きな島に折れ、その間にあった、北アメリカプレートがユーラシアプレートに沈み込む大断層線、いわゆる糸魚川–静岡構造線を西の境とする大地溝帯、いわゆるフォッサマグナがプレートテクトニクスの圧力による隆起と火山活動による溶岩や砕屑物さいせつぶつによって埋められたことで連結し、ひとつになります。あともうひとつ、フォッサマグナが埋まるプロセスにおいて大きな働きをしたのが、フィリピン海プレートの移動による伊豆−小笠原弧の本州への衝突です。

日本列島の地殻構造。北アメリカプレートがユーラシアプレートに落ち込む際の地殻活動で西南の島と東北の島が連結するとともに、フィリピン海プレートが南から島嶼を運んだことで大地溝帯(フォッサマグナ)が埋まり現在の本州の姿になった。図にあるとおり、本州の大部分は大陸由来だが、伊豆半島とその周辺はプレートの境が内陸に食い込み、南方由来と考えられている。なお、フォッサマグナ東端は諸説あり未確定。(注1)

だんだん話が難しくなってきたので、つまらなくなる前に長い話をものすごく短くすると、丹沢も伊豆半島も数百万年前は太平洋の島嶼(ないしは海底)だった、ということです。それがフィリピン海プレートの移動により運ばれ本州と衝突、その一部になりました。丹沢が本州に衝突したのはおよそ500万年前らしいのですが、その衝撃が、海の底だった高尾陣馬山塊を持ちあげているらしいのです。

南部フォッサマグナ拡大地図(注1)
地学的研究によれば、南部フォッサマグナはフィリピン海プレートの活動により伊豆–小笠原弧が本州に衝突、島嶼や海底が本州に付加されるとともに、富士山や箱根山の噴火がもたらした大量の溶岩と火山砕屑物により現在の姿になったと考えられている。櫛形山地塊、御坂地塊、丹沢地塊ならびに伊豆地塊は、それぞれ南の海から運ばれてきた島ないしは海底である。それぞれおよそ1,200万年前、900万年前、500万年前そして100万年前に本州に衝突したと考えられている。藤野木–愛川構造線は、丹沢地塊が本州に衝突し押し付けられている境界。そのすぐ北には高尾陣馬山塊(関東山地の南東端)があり、ここが大陸由来と南方由来の地面の境であると考えられている。(注1)

前述のとおり、高尾陣馬山塊を形成する小仏層群は大陸から南下してきたかつての沿岸です。それが、遠く太平洋からやってきた南の島と衝突したことにより隆起。すなわち、高尾山は北の地と南の地が衝突した境に位置することになります。現在、高尾山1号路や6号路で小仏層群の露出が観察できますが、その様相は褶曲しゅうきょく(地層がぐにゃぐにゃ曲がっていること)や劈開へきかい(岩石が割れること)著しく、極めて大きな力が加わっていることを示しています。

丹沢の本州衝突後、およそ100万年前に伊豆地塊が本州に衝突し、その衝撃で丹沢が隆起、丹沢山塊が形成されます。また、プレートが沈み込む溝ではその上部に、溝と並行に火山が列をなすことが知られています。フォッサマグナ中央部には、南北に新潟焼山、妙高山、草津白根山、浅間山、八ヶ岳、富士山、箱根山が連なります。なかでも富士山はその活発な火山活動により周辺に膨大な量の火山砕屑物を供給し、それにフィリピン海プレートの移動による島嶼の衝突が相まって甲府盆地以南のフォッサマグナが埋まったのが、現在のその姿とのよし。

現在もプレートテクトニクスによる地球の変化は継続しており、高尾山もその影響下にあります。しかるに地球の営みは万年単位。それと比べれば人間の一生なんてはかない一瞬にすぎず、生きているあいだに変化を感じることなどないでしょう。ですが、今我々が見る高尾山は数億数千万年にわたる地球の営みの現在地点であり、全てではないにせよ、科学を通じて、その経緯の一端を知ることはできます。

そしていまこの瞬間も、地球の脈動は続いています。

人間じんかん五十年
下天の内をくらぶれば
夢幻の如くなり


【参考文献】

「南部フォッサマグナ(伊豆衝突帯)の歴史を凝縮した身延地域の地質図を刊行」
国立研究開発法人 産業技術総合研究所 地質調査総合センター、2018.10

荒牧重雄、藤井敏嗣、中田節也、宮地直道 編集、「富士山の基盤:丹沢山地の地質 -衝突付加した古海洋性島弧-」、”富士火山”、山梨県環境科学研究所,2007

植木岳雪・原英俊・尾崎正紀、「八王子地域の地質」、”地域地質研究報告”、独立行政法人産業技術総合研究所 地質調査総合センター、2013

小池敏夫、「丹沢大山自然環境総合調査報告書 第2章 地形と地質」、”丹沢大山自然環境総合調査報告書”、神奈川県環境部、1997

(注1)
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出典:国土地理院ウェブサイト(地理院地図:電子国土Web)
地点強調は筆者加筆

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