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3spoons vol.12ー自由、港ーthe 3rd spoon_3月クララ

文芸ユニットるるるるんツイッター400字小説3spoons

不可逆なわたしとわたし

ビルの一階に迫り出す青いオーニングテント。それが目当ての本屋の入り口だ。部活のない日は寄り道をして、「最近のトピックス」を店主に喋り続ける。長居を決め込むためだ。もちろん7割方作り話。
「おかあさんに狐が憑いた」と言えば油揚げを、「虫食い穴がセーターとお腹を貫通した」と言えばビーズのアップリケを、「朝、炊飯器のタイマーをセットし忘れた」と言ったときは、「これは僕のおごり」とハーブキャンディーを出してみせた。謎の貿易商のような店主なのだ。

初めて失恋した日。その日は店主に勧められるままレターセットと切手を買い求め、海岸に出た。すぐに手紙を書いたことは、ずっと忘れていた。ぼーーという重低音で、ビリビリとうぶ毛が振動していた。
                  *
差し歯が折れた。セーターのど真ん中に虫食い穴ができた。朝、炊飯器のタイマーをセットし忘れた。失恋した。ただただ疲れていた。
仕事帰りに書店に立ち寄る。本を選ぶフリをして店主に愚痴を聞いてもらう。その日はハーブキャンディーと、勧められたレターセットを買った。海岸に出てすぐに手紙を書いたことは、ずっと忘れていた。
                     * *
ハーブキャンディーで空腹を紛らわせ、郵便受けに届いた青い封筒を開ける。
中には切り絵で青空がデザインされた便箋と、小さなビーズのアップリケが入っていた。

「おかえり。あなたはもう自由になっていい」
 
ぼーー。汽笛がうぶ毛を震わせ、港が近いことを知らせた。

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